第46話 こんなに曖昧になっても、一つだけ
それはまさに『奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の……』、そんな時節のことでした。私は一人山寺巡りをし、身体が汗ばんだ状態で里へと下りて来ました。
すると藁葺きの家の庭に真っ赤に熟した柿が一杯なってるじゃないですか。
お腹も空き、喉も渇いていましたので、ちょっと失礼しますと一つもぎ取って、ガブリとかぶり付きました。
「シブッ!」
それは見事に渋柿だったわけでして、私はペッペッと皮を吐き出すしかありませんでした。
だけどその様子を、しっかり背後から見られていたのですよね。
「柿ドロボウ、罰が当たったのよ、ざまあ見ろだわ」
小馬鹿にされ、あとはプププと笑われたのです。
私はこれにムカッときましたが、そもそも根は小心者。ですから、「ちょっとした出来心というか、どんな味かなあと思いまして、すいません」と謝りながら振り返りました。
するとですよ、驚き桃の木山椒の木、いやそこは柿の木でしたが、要は突っ立っていたのですよ。少しばかり年を重ねた女性が。
その淑女とは、まさに高校時代に、演劇部で主役を張っていた同級生たちのマドンナ、そう、明らかに
つまり私にとっては初恋の人でありまして、今さらのことですが、昔の恋心に火が点いてしまいました。あとはハズミとイキオイで……、コクっちゃいました。
「美鈴さん、こんな所で再会できるなんて、やっぱり僕たちは赤い糸で結ばれていたのですね。僕はあなたに永遠の愛を誓いますから、結婚してください」と。
私のこの半世紀遅れの告白に、美鈴さまから返ってきた第一声は――、「ハァア?」。いわゆる疑問符が付いたものでした。
しかし考えてみれば、これも当然ですよね。渋柿の木の下で、年甲斐もなくプロポーズするなんて、ちょっとね。
自分ながら私は馬鹿かと思いました。そしてこれに呼応するかのように、屋根に止まっていたカラスがアホーアホーと甲高く鳴きよりました。
うーん、これでは愛の告白が喜劇になる!
私は反省し、美鈴さまを近場のカフェ、いえ、きつねうどんも注文できる、今時この辺りでしか見られない昭和風キッチャ店へと、とにかくエスコートさせてもらいました。
そこで私たちはやっぱりきつねうどんをオーダーし、気の抜けた七味を一杯掛けて、私だけが昔話に花を咲かせた次第であります。
それでもお腹も心も満腹となり、我が初恋はうどんのように長目で楽しもうと思い直しました。そして美鈴さまとのデートもそこそこにし、家へと帰ったわけです。
その夜のことです。
ビールを飲みながら気分良く録画しておいた朝ドラを観てますと、いきなりスイッチをプチッと切られました。
ワッツハプン?
横を見ますと、ビックリポンでした。
少々お年を召されたようでしたが、小学校時代の美智子先生がいつもの笑みを湛えて、リモコンを持っておられたのです。
先生は、私がいつぞや玄関の大きなガラスを割った時も、私と一緒に泣いて校長先生に謝ってくれはりました。
なぜだか分からないのですが、私だけには優しくって、本当に私は好きでした。
一度お会いしたいとずっと思い続けて来たのですが、それを果たせず卒業してから50年以上の歳月が流れてしまいました。
その美智子先生が今横におられて、「さっ、今夜はぐっすり寝なさい」と仰られるのです。私は小学生に戻り、素直に「おやすみなさい」とベッドに潜り込みました。
紅葉狩りの疲れでしょう、熟睡でき、目覚めの良い朝でした。私は清々しい気分で起き、キッチンへと入って行きました。
すると、なぜか10年前に他界した母が朝食にブリトーを作っているではありませんか。
不思議でした。
だけど、まっえっかと、「おはよう」と声を掛けますと、母は「イザベラを散歩に連れてって、これ後始末用よ」と真新しいプラスチック袋を渡してきました。私はそれを受け取り、「お母さん、行って参ります」と返しました。
しかし、母はここで意外なことを言ったのです。
「あなた、何勘違いしてんのよ、私は貴方の妻よ」ってね。
これにはおったまげましたぜ。私にはカミさんがいたのですね。
それにしても、こんな大事なことを忘れてしまっていたなんて、まさに一生の不覚です。
ここは「すまない、
するとどうでしょうか、たった今配偶者だと宣言なされたご婦人が私の頭をバシッと叩いて、「結菜は私たちの娘よ。私は
てな具合に、年を食うって、ホント嫌なことですね。
一番愛してる妻のことが……、曖昧模糊になるのですから。
だけど皆さん、こんなに曖昧になっても、一つだけ良いことがあるのですよ。
それは時代時代を共に生き、また教えられ、遅まきながらも感謝申し上げたい人たちと再会できる、ってことでしょうかね。
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