第40話 颯太の夏休み
夏という字に、悪魔の魔、ちょっと恐ろしい名前を持った
服装も髪色もいつもツートンカラー。いかにも派手で活発そうだが、その外見に反し、立ち居振る舞いはおしとやか。もちろん口数は少ない。
コミュニケーションは社内メールのやりとりと、流し目だけでこなす。
そんなミステリアスな夏魔に恋心を抱いてしまった颯太、断られて元々、夏休みにどこかへ旅行しようと誘った。
結果は意外にも、「山に別荘があるの、そこへご招待するわ」とあっさりメールで返ってきた。
彼女いない歴5年の颯太、これは千載一遇のチャンス、やっと運命の女と出会えたかもしれない。もう浮き浮き気分で、夏魔が待つ別荘へと訪ねた。
しかれども……、オーマイゴッド!
これが最初に発した言葉だった。
夏魔がいう別荘、それは別荘ではなかった。手短に言えば、廃墟だ。
だが、約束は約束、颯太はドアをノックし、玄関へと入った。するとそこに多分何かの化身か、美姫な夏魔が妖しく微笑み、立っていた。
颯太にぞくぞくと戦慄が走る。そんな颯太の手を、夏魔がぎゅっとつかむ。そして颯太を中へと誘導する。
だが夏魔はなにも喋らない。それでも暖かくもてなしてくれた。二人は透明な時間の流れの中で食事をし、ワイングラスを傾けた。
颯太は元来騒々しいのは苦手。そのせいか、夏魔とのこの幽寂な一時、蜘蛛の巣だらけの廃屋ではあるが、まるで繭の中にいるような心地よさを感じた。
そして深夜、それは狼の遠吠えが聞こえてきそうな夜だった。夏魔の甘美な誘いで、颯太は
「あっ」
夏魔の喘ぎは一声だけだった。しかし、それは颯太との運命を受け入れた夏魔の決意、颯太はそう解釈した。
そんな夢幻の夜が白々と明け、目覚めにと颯太は庭へ出た。そしてキラキラとした朝の輝きの中に光彩放つ蜘蛛を見つけた。黒と黄の縞模様、まさに威厳があり美しい。
その奇抜さに見入っていると、背後から夏魔が声をかけてくる。
その蜘蛛ね、コガネクモっていうのよ。
メスは大きくって、性格は貪欲で……、獰猛なの。
巣の中心で、頭を下向け、X字状に二本ずつ足をそろえてるでしょ。
昆虫が網にかかると、その長い足をバネにして、獲物に瞬時に飛びかかり、大きな牙で噛みつくわ。
あとは糸で巻き付けて、毒でドロドロに溶けるのを待つの。
それからよ、チューチューと吸い尽くすのよ。
「へぇー、そうなんだ」
颯太は夏魔の説明に感心するしかなかった。
それにしても夏魔は息もつかず一気に喋った。こちらの方が予想外で、驚きだった。
夏魔は寡黙な女性のはず。それがなぜ突然に、こんなにも饒舌に、そして熱く、しかも普段の生活にはあまり関係のない蜘蛛のことを?
颯太は不思議で、あごに手を当てる。その颯太の背中に、今度はトーンの落ちた夏魔の囁きが覆い被さってくる。
「そのご婦人、私と一緒で……、無口なのよ」
えっ、蜘蛛が無口? そりゃそうだよなあ。
だけど、一緒って? 夏魔はやっぱり怪異な世界に生きる女なのか?
ひょっとすれば、このメス蜘蛛と――、親戚?
こんなことを思い巡らす颯太、身体がカチンと固まってしまった。それでも確認しなければならないことが一つある。
「このご婦人のダンナは、どこにいるの?」
颯太は振り返ることはできず、肩越しに訊いた。すると夏魔は無言で、細い腕を颯太の首に絡ませてきて、鋭利な指先で差した。
颯太がそこへ目をやると、5ミリほどの小さく冴えない蜘蛛がいた。
えっえー、夏魔がもしメス蜘蛛なら……、夫婦になったとしたら、俺はこの冴えないオス蜘蛛になるってこと?
これは充分あり得ることだ。
うーん、恐いし……、このまま逃げてしまおうか?
颯太の背筋が凍る。
そんな時に、「夏魔は私の娘よ。獰猛で無口だけど、愛は深いから、結婚してやって」と。
えっ、ご婦人が……、夏魔のお母さん?
颯太は、目の前のコガネクモが囁いたような気がして思わず呟いた。そして、それとは別に――、「だけど、蜘蛛って喋るんだ! と叫んでしまう。
「颯太さん、なにを一人悶えてるの。きっと毒がまわってきたのね。さっ、朝食にしましょ、大好きなドロドロスープよ」
颯太はこんな夏魔の囁きに、戦々恐々。だが思い切って振り返った。するとそこには、一見優しそうに笑う夏魔がたたずんでいた。
これで颯太は、ホッ!
いや、ゾォー!
はたまた、フシギー!
もう、わけわかりませ~ん!
とどのつまりが、今年の颯太の夏休み、見事に夏魔に絡め取られてしまったのだった。
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