第39話 小指立て夕子
これは作り話? それとも実話?
「ただいまよりS・1グランプリを開催します」
地下室のステージに立つ仕立屋銀次、明治のスリの大親分が宣言した。
会場には歴代のスリ名人たちが一堂に会している。
「みんな、普段の腕前を発揮して、競おうぜ!」
ケッパーの梅ジイが気合いを入れる。
ケッは尻のこと。またパーは財布の隠語。その名前通り、ケッパーの梅ジイはアメ横で後ろポケットから財布を抜き盗ることを得意技としてきた。81歳の大御所だ。
これを受けてか、スリ歴60年、デパ地下専門の通称・デパ地下のさと婆が「あんさん、あんまり張り切りなさんな、もう歳なんだから」と諭す。梅ジイとは半世紀以上のスリ仲間、そのためか表情は心配げだ。
これに地下鉄のマサが「年寄りは横で見てらっしゃい!」と、まことに無礼千万。
「プラットホームで寝てる人から、サイフを失敬するだけだろ、ほざくんじゃないよ」
「そうよ、姉さん、テクニックもないくせに、マサは生意気なんだよね」
スリ歴60年の駒崎姉妹が目をつり上げた。
この二人、デビューはこまどり姉妹と同じ頃。だが最近、梅田の*急デパートで捕まって、しばらく休業していた。
さらに会場を見渡せば、他に新幹線の水さん、ブランコすり金さん、抜きのヒデなどがいて、S・1の幕開けを今か今かとみんな待っている。
競技時間は3時間、街へと散らばり、一番金額の多い財布をスッてきた者が優勝者となる。
昨年の覇者は『小指立て夕子』だった。
夕暮れの混雑した繁華街、その細くて長い指で、ポケットからスーとなめらかに財布を抜き盗る。その瞬間に、まことに微妙だが、小指がエレガントに立つのだ。
言ってみれば、それは白魚の舞い。まさにその様はしなやかで、かつ色気がある。同業のオッサンスリにジジスリ、彼らにファンが多い。
そんなアイドル、小指立て夕子、本日はどうも元気がない。
「仕立屋銀次さん、……、私、今年はS・1を辞退しようかと思ってます」
これを耳にした声掛けのタマちゃん、「あっらー、小指が立たなくなったのね、可哀想」と嫌味な言葉を掛け、寄ってくる。
なぜなら、特に年寄りや男性を標的として、甘ったるく声掛けして言い寄り、その隙に財布を抜き盗る。それを技としている、とんでもない女なのだ。
夕子は、声掛けのタマちゃんがライバル意識を燃やしていることを知っている。だから余計に、哀れみで言い寄ってこられても鬱陶しい。
小指立て夕子はそんなタマちゃんをシカトし、沈黙を続ける。
だが、二人にはきつい対抗意識があり、このまま放っておけば、一触即発の事態に。そして突然に、女同士の取っ組み合いが……。
「まあまあまあ」
ここは亀の甲より年の功、デパ地下のさと婆が割って入った。だが婆さんゆえに、現代レディーの心情が理解できてない。
そんな空気を読んでか、駒崎姉妹が「夕子、指をお見せ」と手を掴む。
「ホッホー、男ができたんだね」と図星。
それもそのはず、かっての白魚のような指ではなく、そこにあったのはゴツゴツと筋肉がはり付いた指。
「あんた、彼のために、家事や草引きを一所懸命やってんだね」
こう言い当てられた夕子、指を隠そうとぎゅっと拳を握る。
「それで彼は、あんたがスリを
駒崎姉妹が優しく問い詰めると、夕子は悲しそうに「明かせないの」と。
「わかりました。小指立て夕子さん、もうその指では財布は抜き盗れません。この業界から脱会して……、さっさと彼氏のところへ行きなさい」
若い夕子のことを思ってか、ついに大親分の仕立屋銀次から結論が下された。これに夕子は深々と頭を下げる。
そんな時だった。どかどかと4、5人のデカが会場へと入ってきた。一網打尽にスリたちを連行しようというものだ。
「あれ、なんで、夕子が……、ここに?」
若いデカの
「銭形さん、私、OLではなく、スリだったの。これから罪を償います」
やっと悪の道から解放される、そう覚悟を決めたのか、夕子は微笑みながら手首を前へと差し出した。
こんな出来事の後、小指立て夕子は改心し、スリ業から抜け出した。そして夕子は銭形の花嫁となることができた。
それからウン10年、妻として幸せに暮らしてきた。
されどS・1グランプリで優勝まで果たした夕子、時々指先がムズムズとこそば痒い。
そんな時は、ダンナの財布から1万円札を1枚抜き取ることにしている。
その一瞬のことだが、昔取った杵柄、きっと名残なのだろう、小指が立つのだ。
ただ娘時代とは――、ちと違う。
どすこい、どすこい!
それは白魚のような指ではなく、そう、幸福の証、まるでお相撲さんのような小指がド、ド、ドーン、とだ。
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