第38話 どこかで、こんな『蟻 & 角砂糖』的なクリスマス・プレゼント

「ありがとう」

 今宵はフランス料理のクリスマス・ディナー。涼太りょうたはシェリー酒を一口飲み、あらためて世話になってるお局さまの真奈まなに礼を述べた。

 だが真奈はアベリティフで口を潤しながら「うん」とだけ頷いた。そしてオードブルのフォアグラにナイフを入れながら、自虐的なことを言う。

「だけどね、私は結局、蟻みたいなものだったわ」


 涼太は真奈が唐突に吐いた言葉、蟻の意味がわからない。「それって、なに?」と小首を傾げる。

「だって、蟻ってちっちゃいけど、生きるために一所懸命でしょ。私によく似てるわ」

 いつもの強気の真奈らしくない。

「真奈さん、そう言うなよ。俺がここまでこれたのも、真奈さんが今までサポートしてくれたからだよ」

 これは断じて嘘ではない。だが真奈は何かを企んでいるのか、媚びるような目つきでじっと見つめてくる。

「だったら、今夜……、私を抱いて」

 ひょっとすればこれは真奈の罠かも、涼太は疑った。だが調子に乗って、「えっ、いいの」と返してしまう。

 それを確認し、真奈はゆるりとワインを一口。余程絶妙な味わいだったのだろう、柔らかく微笑む。それから涼太を睨み付け、一言。

「冗談だってば」


「おいおい、男をからかうのはよせよ」

 涼太はムカッときた。しかし真奈はふふふと笑い、さらに意味深なことを。

「だって涼太さんは、あの時私を選んでくれなかったでしょ。だけど、これからも涼太さんを応援するわ。だからクリスマス・プレゼントに、蟻10匹分くらいのお砂糖がもらえたら、私、それだけで嬉しいの」

「お砂糖ね」

 涼太は真奈が何を言いたいのかおよその見当が付いてきた。

「確かに出世払いの約束だったよな。じゃあ、お砂糖、毎月1万円くらいでいいかな?」

 黒毛和牛フィレステーキにナイフを入れる真奈、微妙に頬が緩む。

「お気持ちだけで、充分よ。私はちっちゃな蟻、だけど、チクリと刺す刺客。涼太さんのために蟻10匹分くらいの働きはしてきたよね」

「わかってるよ、恩義は決して忘れてないから」


 あれはまだ若かった頃のことだった。社内クリスマス・パーティーの後、真奈がやぶから棒に訊いてきた。

「涼太さん、私をもっと好きになって、結婚する? それとも会社を取って、出世したい? どちらを選びたいの?」

 涼太は真奈が好きだった。もし結婚できたら、生涯面白いことになるだろうなあとぼんやり考えていた。しかしアルコールの勢いで、男の見栄を張ってしまった。

「もちろん、偉くなりたいよ」

 これを耳にした真奈は意外にあっさりしたものだった。

「そう、わかったわ。ところで涼太さん、最近上司からのパワハラで困ってるでしょ。私がなんとかしてあげるわ。だけど、この人生の貸しは出世払いでいいから、死ぬまで返し続けてね」

 涼太はかなり酔っ払っていた。

「ああ、あいつを葬ってくれたら、真奈さんの生涯を保証するよ。男の約束だよ」

 涼太はこんな危険なことを言い放ってしまったのだ。

 それから1年後、上司は真奈とのオフィスラブ発覚で飛ばされた。その後、真奈はセクハラだったと言い張り生き延び、上司は行方不明となった。涼太は目の上のタンコブが取れ、そこから昇進の快進撃が始まった。


 しかし真奈は上司の子を産み、シングルマザーとなった。

 涼太は思った。人生とは、実に不徳な展開をして行くものだと。

 しかし涼太はもう戻れなかった。なぜなら、その時涼太は妻を娶ってしまっていたからだ。

 その後、もちろん家族のために、そして真奈との約束を果たすために頑張るしかなかった。

 馬車馬のように働いた。

 そして今宵、久々にお局さま、真奈を食事に誘い、少し酔っ払った。涼太は真奈の妖しい色気に翻弄され、堪らず口を滑らせてしまう。

「俺たち、もう一度、やり直すことできるかな?」

 真奈は香りの良いコーヒーに1粒のシュガーを入れ、ぐるぐるとかき混ぜる。

「あなたバカね、一度結び損ねた赤い糸は二度と結べないのよ。今のすべてを捨てる覚悟なんてないくせに」

 そう毒づいて、「私は仕事に一途な男の末路を見てみたいだけなの。どんな花を咲かせて散っていくのかなって。だから浮ついたことを私に言わないで」と、あとは涙がポロポロ零れ落ちる。

 こんな事態に、涼太は無言で真っ白なナプキンを真奈に渡す。それを受け取った真奈はテーブルに大きく広げ、角砂糖1個を中央に置く。そしてその周りに文字を書き連ねるのだった。


 蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻


 涼太は1匹2匹と数えてみる。そして10匹を確認した。

 その瞬間だった、涼太に電撃が走った。それは嫌みか、それとも真奈の本心か、とにかく蟻が10匹……、『ありがとう』だ。

 そして涼太はしみじみと呟いてしまう。

「真ん中の角砂糖は俺。いつの間にか、昔好きだった女の砂糖であらねばならない生き様になってしまったが、……」と。

 それからゆるりと汗が滲んだ額に手を当て、一言、――、「まっえっか」



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