第36話 再会 (駅の出会いは時空を超える)
朝の通勤時間帯、駅のプラットホームは人で溢れている。
しかし、そんな中にあって、愼一は電車が到着するまでの僅かなタイミングを狙って、向かいのホームを見渡してみる。
そして今日も見つけたのだ、彼女を。
年の頃は25歳前後だろうか、肩までの黒髪にすらりと背の高い女性。濃紺のビジネススーツを品良く着こなしている。目鼻立ちを正確に確認することはできないが、とにかく色白で
そんな彼女に、愼一は一瞬の間をとらえて小さく手を振った。彼女もそれに応えて、手の平を開き小刻みに振り返してきた。
もし誰かがこんな二人の無言のやりとりを目にしたら、愛人関係にあるのではと疑うだろう。
しかし、愼一は彼女の身元も名前も知らない。もちろんどこの会社に勤めているのかも不明だ。通勤時の混雑の隙間を見つけ、互いに手を振り合う、たったそれだけのことなのだ。
愼一には妻も子供もいる。そして仕事では最近部長に昇進した。
これからが男の本番だ。厳しいビジネス社会で勝ち抜いていくためには、今ここで色恋にうつつを抜かしている場合じゃない。また正直彼女にはそんな感情を持っていない。
互いに手を振り合う、それは「今日一日頑張ろうね。また明朝、元気で会えたら、生きてることに感謝しよう」、そんな朝の挨拶のようなものだ。
彼女も同じように感じているのか、「私、今日という日を大切にするわ」、そんな前向きな気持ちが伝わってくる。
それにしても愼一と彼女はいつ頃から手を振り合うようになったのだろうか。
まず半年ほど前のことだった。なぜか人混みに押されても涼やかに凜と姿勢を崩さない彼女が気になった。さらに観察を続けると、どうも愼一と同じ時間に、いや愼一の乗車時刻に合わせるかのように現れるのだ。
それから3ヶ月ほど経過した頃のことだった。多分軽い貧血でも起こしたのだろう、彼女がホームにしゃがみ込んだ。愼一は思わず「少し休んで行ったら」と初めて手を振った。
だが愼一はそのまま電車に乗り込んでしまった。「あれから彼女は一体どうしたのだろうか?」と心配だった。
翌朝、普段通りに現れた彼女に手を振ってみた。すると彼女は「ありがとう」と手を振り返してきてくれた。
確かにこれは奇妙な縁なのかも知れない。
ラッシュアワー時の向かい合ったプラットホーム、愼一と彼女は互いのことを知らずとも意思疎通できている。そして愼一は彼女がとてつもなく大事な人で、もし何かあれば絶対に守ってやろう、そんな親愛の情を抱くようにもなった。
そんな親心にも似た気持ちが伝わっているのか、彼女はいつも愼一に微笑み、元気に電車に乗り込んでいく。
これは一体どういうことなのだろうか?
愼一にはわからない。
そしてこんな日がしばらく続いた。だが愼一は転勤となった。それから彼女と手を振り合うことはなくなってしまったのだ。
歳月の流れは早い。子供たちは結婚し、それぞれの家族を持つようになった。そして愼一は定年となり、田舎住まいをするようになった。
さらに幾星霜の月日は過ぎ去った。そんなある日、妻が話してきた。
「ねえ、あなた、
真衣は孫だ。中学生の頃に会ったきり、かれこれ10年ほどが経つ。愼一は楽しみだ。
小さな駅舎を覆い尽くすように桜が咲き誇っている。
そんな春陽の昼下がり、たった一輛のディーゼルカーがカタンコトンと駅に到着した。
改札口で待つ愼一、真衣がどんな女性に成長したのか胸が高鳴る。
ドアーは開かれ、黒髪が肩まである、スリムな若い女性がホームに降り立った。愼一はそれが真衣だとすぐにわかった。そして真衣も愼一に気付いた。
それから信じられないことが起こったのだ。愼一は何かの運命に支配されたかのように真衣に手を振った。そして真衣はそれにすぐさま反応し、手を振り返してきた。
愼一には忘れてしまっていた記憶が蘇ってくる。そしてやっと理解できた。
あの頃、真衣は確かにこの世には存在しなかった。
しかし、あの女性は……時空を超えた、今ある孫の真衣だったのではないかと。
「グランパ、元気だった? 私、今、プラットホームで若い頃のグランパのような人に励まされて、毎日元気に会社行ってるよ」
真衣はそんなことを楽しそうに話す。そして、あの時の彼女とまったく同じように微笑んでくれた。
年老いた愼一と若い真衣、時を超えて二人は再会した。それをまるで祝福するかのように、桜の花びらがひらひらと舞い落ちてくるのだった
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