第30話 タットケー!

 万感胸に迫る、お薦め珍名スポットを訪ねてみませんか?


 国内

  ヤリキレナイ川    北海道由仁町

  シャックリ川     三重県名張市

  南蛇井(なんじゃい) 群馬県富岡市

  トロントロン     宮崎県川南町


 海外

  アンポンタン(Anne Pontan)フランス

  オデンの森(Odenwald)  ドイツ

  タットケー(That Khe)  ベトナム

  マダカシラ(Madakasira ) インド

  マルデアホ(Mar de Ajo ) アルゼンチン


 私は、我が人生も佳境、そこで振り返りの一人旅がしたくなり、旅行社を訪ねました。そこで手渡されたパンフレットに思わず――、「これ、ナンジャイ!」と叫んでしまいました。

「お客さま、南蛇井ですか、世界を股にかけて活躍されてきた企業戦士には、ちーと近場過ぎませんか、珍名スポットを訪ねる旅、もう少し遠い方がよろしいかと」

 相談を持ち掛けた旅行アドバイザーからこんな回答が。それにしても、ワテが発したナンジャイは、どういうこっちゃという関西弁やがな、と関東人には理解不能な文句を一発噛まして、ついつい、オデンの森って癒やされるだろうなあ、と小声で呟いてしまいました。


 だが相手はプロ、聞き逃しません。

「最近ヨーロッパは不景気で、こんにゃく不足、オデンの森がお出汁だしの森に、納豆巻きです」と、の強引こじつけダジャレを一発。

 それでも私はズッコケず、親切心で、「やり切れないね」と合わせてやりました。

 すると旅行アドバイザーは「北海道のヤリキレナイ川へ行ってみませんか、そのお気持ちを共有できますよ」と。


 この女は一体何を考えて生きてるのだろうか?

 そんな疑問に、私は「君はマルデアホか」とついつい口を滑らせてしまいました。

「えっ、お客さま、一見賢そうなのに、マルデアホに行きたいのですか、それよりもマダカシラの方がよろしいかと」

 ここまで話しが捻れてくれば、もうあとは関西人のさが、会話を盛り上げるしかありませんね。

「もしお姉さんだったら、マダカシラで何を待つの?」と訊いてやりました。これにポッチャリ乙女子は団子鼻を天上に向け、「そうね、私の場合は……、結婚マダカシラ」と虚ろになりやんした。

 その夢心地を破るかのように、「じゃあ、私の場合は何だと思いますか?」と尋ねました。

 客からのこの唐突な質問に、プロアドバイザーはハッと我に返り、青過ぎシャドウの下にツケマ四枚、そんなびっくり瞳をバシャバシャと二度打ちし、仰ったのです。

「お客さまの場合は――、ご臨終、マダカシラ」

 怒髪天を衝く。

「タットケー!」

 私は年甲斐もなく叫んでしまいました。

 さすが旅行アドバイザーです、これに間髪入れず、「お客さまの究極の、訪ねるべき地は――タットケーです!」と答え、あとは「Have a nice trip.」(良い旅を)と英語でニッコリとしてくれました。


 こんな、ちょっとややこしい経緯を経て、私が選んだ旅行究極スポット、それは「タットケー」。ベトナムのハノイから北へ百キロメーターにある小さな町です。

 そこに到着した私は早速何の変哲もない街をぶらりと散策しました。それから屋台へと入り、ブンタン、つまり鶏だしのスープの五目米麺ラーメンを注文しました。

 さっ頂こうと箸を持った時です、アオザイを着たお嬢さんが前を通り掛かったのです。

 この瞬間です、驚きました。あちらこちらから声が飛んで来るではありませんか、「タットケー!」と。

 もちろんこれに私はクイック・レスポンスで、キリーツ。

 そうなのです、この町には掟があったのです。レディに敬意を表し、ご婦人の前では――、タットケー!

 背筋をシャキッと伸ばし直立不動。

 私はこの仕来しきたりに感動致しました。

 今までの不埒ふらちな人生、まるでそれが綺麗に洗い流されるかのようで、いや、むしろこれからは真摯しんしに生き抜く熱い情熱を帯びさせてもらいました。

 こうして帰り便に搭乗したわけです。


「江原さん、モニターが異様な熱を感知しました」

 フライトは着陸し、入国手続きを終えた後、女性係員が声を掛けてきました。それに振り返りますと、他の乗客たちがウォーと声を上げながら後退りしてるじゃありませんか。

 その理由が何か、私は最初わからなかったのですが、ハッと気付きました。そして大声で申告してやりました。「私はエボラ出血熱じゃない、エバラじゃ!」と。

 それからすべてを無視し、歩き始めると、女性係員が近付いてきて囁くのです。「焼き肉のタレさん、お待ちください」と。


「ナンジャイ!」

 私はそのエバラ違いに精一杯反発を試みたのですが、この言葉を発してしまったせいか、旅行アドバイザーが薦めてくれた珍名が次々と脳裏を過ぎって行くのです。それは南蛇井から始まり、オデンの森にヤリキレナイ川、そしてマルデアホにマダカシラと。

 こんな錯乱をする私に、ウン十年前に習った先生によく似たスタッフが声を張り上げました。

「女性係員をなめんじゃない、そこに――、タットケー!」

 これに私はシャキッと起立。まさに掟・タットケーを、旅行から戻り早速日本で実行させられた、名誉の第1号になったわけであります。

それじゃ、みな様にお裾分けで、……、タットケー!


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