第23話 『3』の欠落

「何かちょっと変だなあ」

 大瀬太一郎おおせたいちろうはこんな独り言を吐きながら、単身赴任のアパートへと帰って来た。

 初夏の熱が籠もった部屋。まずはヨタヨタと冷蔵庫へと歩み寄り、冷え切った缶ビールを取り出す。そして命蘇生のために、グビグビと。

 とりあえずこれで一息入れて、あとはパソコンの前にドサリと座り込む。そして「おかしなことが……」と一人小首を傾げる。

 それはオフィスでの出来事だった。

 仕事上緊急案件が発生し、3階の会議室へと急ぎ向かうためエレベーターに乗り込んだ。しかしだ、3階のボタンを押そうとしたが……、ない!

 そう、あるべきはずの――『3』のボタンが消えていたのだ。

「え、え、えっ! これって?」(汗、汗、汗)

 太一郎は呻きながらエレベーターから降り、ゼーゼーと階段を駆け上がった。


「3、3、3、なぜ『3』は俺の前から消滅したのだ!」

 単身赴任の殺風景な一室で、缶ビール片手に、太一郎は犬の遠吠えのごとく叫んだ。

 そう言えば、最近のゴルフのこと、ショートホールでパーの『3』が取れない。しかもミドルのバーディーの『3』も、とんと縁がない。

「いやいや、これは腕が悪いから……、だよな」

 こう思い直したりもしてる時に、部下の榊原さかきばらが話していたことをふと思い出す。


 先週のことだった。生意気な部下であっても、たまには食事くらいは奢ってやろうかと、連れだって焼き肉店へと入った。

 そしてタン塩にレモン汁をたっぷりかけながら榊原が訊いてきた。

「太一郎さん、知ってますか? 最近の科学の発展でわかってきたことですが、宇宙をつかさどる神から与えられた人間の宿命ってやつ。それ、何だと思います?」

 太一郎はこんなことを唐突に尋ねられても訳がわからない。そこで網の上の肉をひっくり返す間を取って「その大袈裟な宿命って、何だよ?」と部下の顔を見た。すると榊原はニッと笑い、タン3枚をいっぺんに摘まみ上げ、素早く口に持って行く。おいおいおいと文句をつけると、あとはシレッと――、

「数字って、0、1、2、3と始まり、その後は百、千、万、億と途切れることなく無限に続いて行くと思ってるでしょ。だけど、それぞれの人には、1年周期で変わって行く、ってのがあるのですよ」

太一郎は特に興味があったわけではないが、「ホッホー、いわゆる欠番だね。それは大変だ」と大袈裟に反応してやると、榊原は今度はロースを口一杯に放り込み、ニタつきながら、「例えばですよ、その欠番が768,924のような大きな数字だったら、日常生活に実害は出ないでしょ。だけど、時々神さまは気まぐれに、小さな数字を割り振ってくることがあるのですよね」と。

 太一郎はこんなくだらない話しに、「そんなのどこかの三流週刊誌の記事だろ」と結論付けた。


 しかし、榊原はひるまなかった。

「実は私、ちょっと好きながいたのですが、その娘いわく、ある日突然、数字の『5』が私の前から消えてしまったと。そのせいで、5円玉までもがなくなってしまったとか。その上にですよ、その娘がある時言ったんですよ、私との『ご縁』までデリートされたわって。とどのつまり、その娘とはそれっ切りとなってしまって、ホント、欠落数字って、恐いんですよね」

 太一郎はこんなオヤジギャグ含みのバカ話しに開いた口が塞がらない。その結果なのか、安物の赤ワインを口からポタポタと、じゅんじゅんと焼き上がりつつあるカルビの上に零してしまったのだ。


 こんな珍奇この上ない会話を思い出した太一郎、「ひょっとすると、今の俺の状態って……、数字『3』の欠落ってことかな」と、どことなく納得できてきた。

 それにしてもこれは大変なことだ。1年周期で変わって行く欠番、この宇宙の掟に従って、これからの1年間、――、『3』という数字が消えてなくなってしまう状況に。

「思えば、職場内での俺の立ち位置は、居心地の良い中間管理職の『3』番手。これもなくなるということか? 結果、4番手に格落ち、あ~あ、『3』を取り戻したいよ!」

 まさにこれは非常事態だ。太一郎は神にもすがる思いでその対処法をネットで検索してみた。

 するとどうだろうか、この現代社会で、数字の欠落が結構深刻な問題となってるようなのだ。

 そして幸運にも、打開方法が見つかった。

 いわく、なくした数字を取り戻すためには、まずは1万円のお供えを持って、数字地蔵に参れと!

 そうすれば、地蔵は宇宙の神に掛け合ってくれて、欠落数字を、自分が指定する数字に差し替えてくれるという。


 太一郎はこれを読み、1万円とはちょっと高いが、とにもかくにもエレベーターの『3』のボタンがなくなってるのだから、早晩業務にも支障が出てくる。もう背に腹はかえられない。

「よし、明日参るとして、『3』の代わりに望みの欠番を提案する必要があるのだな。さあ、何番にしようかな。うーん」

 太一郎はいろいろと考えを巡らせ、最終的に「俺も年だし……、これからの人生、カミさんと仲良く幸せに暮らして行きたいし、職場では気楽な『3』番手を死守したい。そのためには、ヨシ、この数字を欠落させてもらおう」と呟き、手帳に「250700」とメモった。

250700」、それは『ふこうなオレ』とも読める。

 つまり『3』の代わりに、この数字、を欠落させてもらいたいと――、切に、切に願うものだった。


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