第17話 卑弥呼が愛したスイーツ

 魏志倭人伝に〈南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月〉とある。

 つまり不弥ふみ国、現在の福岡市箱崎を起点に南へ、いやこれは間違い。

 東へ海路十日、もしくは陸路一月で、女王が統治する倭国の首都・邪馬台国に着くという。

 そして、〈卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入〉。

 すなわち女王・卑弥呼は鬼道の宗主。

 夫を持たず、高齢(五十歳)のため弟が国事を補佐していた。

 一千人の下女を侍らせ、人たちはその姿を見たことがほとんどない。

 ただ一人の男子だけが飲食などの世話をしていた、と記してる。


 春樹はるきはサラリーマン。多忙な日々の中にあったが、やっと休暇が取れ、気分転換にと中国を旅した。そして訪ねた古都、洛陽の夜店でたまたま一冊の古書を手にした。

 表紙には外伝とだけ書かれてある。

 実のところ、最近付き合いだした貴美子きみこ、世間では滅多に見掛けない古書大好きレディーだ。

 その彼女にもっと気に入られようと、そんな魂胆で購入し、土産として日本へ持ち帰った。

「えっ、信じられない。この外伝の伝記は──魏志倭人伝よ!」

 カフェで貴美子に逢い、手渡した古本。これを手にしていきなり叫ばれても、春樹はコーヒーカップを持ったまま呆然となるだけだった。

「外伝には伝記の裏話や補足があるのよ。私に1週間の時間をくれない、読み解くわ」

 貴美子は食べかけのケーキをそのままにし、席を立ち、さっさと帰ってしまった。これが古書女の振る舞いか、と春樹はただただポカーンと見送るしかなかった。


 それから1週間後のこと、貴美子がケイタイの向こうから話す。「私、山に行きたいの。ご一緒してね」と、ほぼ強制的に。

 女がだいたいこんな誘いをする時は、なにかが危ない。

 春樹はそんなこと百も承知。だが惚れた弱みか、「ああ、いいよ」と軽く返す。

 それでもちょっと気になる、「何しに?」と訊くと、貴美子が甘い声で囁く。

「春樹と一緒に、アケビに山栗、それに自然薯じねんじょを採りに行きたいの」

 春樹はこれで覚悟を決めた。要は汗水流す労役だと。

 そして予想は的中し、まったくの肉体労働だった。

 例えば自然薯なんて穴を2メートル掘らないと採れない。それでも貴美子のため春樹は頑張った。

 そしてアケビ10個、山栗500グラム、自然薯1本の収穫で、まさにヨレヨレ状態で貴美子のアパートへと引き上げた。


「春樹、よくお仕事してくれたわ。今から赤米を炊いて、一緒に美味しいスイーツを作りましょ」

 そう宣言した貴美子、春樹は何のことかまだわからない。

 それを察してか、貴美子は「魏志倭人伝に、一人の男子が女王の食べ物の世話をしてたとあるでしょ。その外伝の裏話に、女王の好物とレシピが載っていたのよ。それを現代文に直しておいたわ」とノートを手渡す。春樹がそれを開くと、メモられてあった。


『卑弥呼のスイーツ → こなもち』

 生地  古代紅米→ 赤米

      水多めで炊き、

      炊き上がったらすぐに餅つき

 つなぎ 自然生 → 自然薯

      すり下ろし、粘りで餅をつなぐ

 甘味  木通  → アケビ

      種を取り去り、

      甘汁だけを餅に加える

 風味  山栗子 → 柴栗

      茹で、渋皮を剥き、

      乾燥させ粉にする


「すべて山の幸、古代人はこんな素材でスイーツを作っていたのか」

 春樹は感心するばかり。しかし、貴美子は「さあ、お仕事よ」とまたまた労働の強要だ。それから彼女はソファでゆったりの寛ぎタイムへ突入。

 それでも春樹は、どんな卑弥呼のスイーツが出来るのかなと興味が湧き、餅をついたり、芋をすったりの大活躍。結果、ここに古代スイーツが見事に蘇った。


「ご苦労様でした」

 貴美子はねぎらいの言葉を一言春樹に掛け、早速こな餅一つ頬張る。春樹はそれをほほえましく見届け、一つ手に取ってみる。

 餅の表面を覆った山栗の粉、色鮮やかに黄色。二つに割ってみると、赤米のためか中は薄紅。それから口に入れると、しっとりとした自然薯の粘りがあり、アケビの清楚な甘さが口の中にふわりと。この世のものかと思うほどの貴賓あるテーストだ。

「これぞ卑弥呼が愛したスイーツだ」と春樹は涙が出そうに。

 貴美子も古代餅を食べ、「美味しいわ」と満面の笑みを浮かべている。春樹はそんな貴美子を見て心に誓う、貴美子とこんな幸福感を分かち合い、ともに人生を歩んで行こうと。


 そんな感動の一時だった、貴美子が妙なことを呟く。

「懐かしい味だわ」と。

 それから春樹を真正面に見据えて告げる。

「二千年前、覇留黄はるきという召使いがいたぞえ。その男は毎日このスイーツを運んで来た。よ~く聞け、現代を生きる春樹も、私への生涯のご奉公、――、その命を掛けて果たされよ」

 こんないきなりの命令に、ううううう。春樹は喉に餅が詰まりそうになった。

 これは貴美子の冗談か、それとも卑弥呼が乗り移ったのか? それは不明。

 だが、古書大好きな女に、妖術を掛けられたように、戸惑いもなく現代の春樹は返答してしまうのだった。

「はっはー、貴美子、いや、卑弥呼女王さま、我が身一生を捧げます」



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