第16話 出てしまった最終バスを待つ女

 男Aはやっと残業を終え、オフィスを飛び出した。イケメンでもないし、高給取りでもない。これといった趣味もない。

 別に世の中を恨んでるわけではないが、まさに無い無い尽くしのサラリーマンだ。

「もう30歳、彼女でもいてくれたら、もっと楽しいだろうなあ」

 恋愛のチャンスもなく、もちろんデートもない。今日も今日とて男一人電車から降り、バス停へと向かった。

 ここからアパートまで30分、バスに乗らなければならない。時計を見れば、最終まで少し時間がある。コンビニに入って、とりあえず夜食の焼きオニを確保した。あとは時間待ちで立ち読みをする。そしていつの間にか――、ザァー、外は雨。


 その雨音で男は我に返り、コンビニを出て停留所へと走る。ところがすでにバスは発車したところだった。

「しまった! 立ち読みなんかしなきゃよかった」と後悔しきり。そんな男Aをあざ笑うように横なぐりの雨が容赦なく吹き付けてくる。

 そんな時に気付くのだ、横に女性が一人たたずんでいるのを。

 言ってみれば──、出てしまった最終バスを待つ女。

 ちょっと不気味だ。

 だが背はスラリと高く、赤い傘を持っている。なかなかセンスがいい女性だ。

「あのう、バスは出てしまいましたよ」

 男がこの不運の同志のように声を掛けてみると、女は「あらっ、そうなの」とじっと見詰めてくる。


 色白な顔に、切れ長の目が鋭い。

 しかし、差された紅がその表情を和らげ、濡れた黄金色の髪と相まって……、男は一瞬ドギマギと。それと同時に、この出逢いが俺の平凡な日々を変えてくれるかも、と思い、あとは勢いで、「どこへ行かれるのですか?」と尋ねた。

「こんこんちき山よ」

 女はこう返し、連れてってという目で迫ってくる。男は、なぜこの雨の中、こんこんちき山なのだろうかと疑ったが、「そこなら途中ですから、タクシーでお送りしましょう」と誘った。


 二人で乗り込んだ車内、初対面であり、特別な会話へとは進まなかった。だが、「何をされてるのですか?」の男の問いに、女はさらりと答えたのだ。

「女優です」と。

 男Aはぶったまげた。アクトレスなんて、映像の中でしか観たことがない。男は嬉しかった。タクシー内のほんの一時ではあったが、綺麗な女優さんと時を過ごせたのだから。

「また、お会いしたいわ」

 女は軽く手を振り、そして雨の中へと消えて行った。


 偶然に出逢った女、鬱々うつうつとした日々を過ごしていた男にとって、ぱっと花が咲いたようなもの。

 さらに妄想は膨らみ、女に恋心を抱くようになった。

 もう一度あの女、女優さんに会いたい。そう願う日が続いた。そして再会する時がきた。

 それはやっぱり雨の夜だった。あの時と同じように、女は発車してしまった最終バスを待っていた。

「あのう、今夜もバスは出てしまいましたよ。私がこんこんちき山までお送りしましょう」

「あらっ、そうなの。じゃ、お願いするわ」

 女が微笑む。

 男はこれで一気に距離が縮まった感がした。そしてここがチャンスと「これからもお送りしますよ」と自分を売り込んだ。女は不愉快な顔もせず、「そうね、また雨の夜にお会いしましょうね」と約束してくれた。

 あとはタクシーの乗客となり、軽い世間話で一時を過ごした。そして女は降車し、山へと消えて行った。


ところが、そんな女を目で追ってる男Aに運転手が声を掛ける。

「お客さん、前回もそうだったのですが、なぜこんな遠回りをして帰られるのですか?」

 男はおかしなことを訊く運転手だと思い、「そりゃあ、女性をこんこんちき山へと送るためですよ」と突っぱねた。

「えっ、女性をって? 誰もいませんよ。乗車された時からお客さん一人ですよ」

 男は最初運転手が何をほざいているのかよくわからなかった。それでも頭を巡らせ、もう一度運転手に確認する。

「ホントに……、俺一人なの?」

「なんなら防犯用の車内録画がありますから、それお見せしましょうか」

 こんなやり取りの末に男は映像を確認する。確かに女なんていない。まるで一人芝居をしているようだ。男はショックだった。


 なぜだ!

 男Aはこの事態がどうしても納得できず、タクシーを降り、女を追いかけた。そしてその後、男Aの姿を誰も見たことがない。

 ただ何年か後に、こんこんちき山で、鋭い歯で噛みちぎられた白骨が発見されたとか。

 それからのことだ、町で噂されるようになった。こんこんちき山には《いけない女狐》が住んでると。

 雨の日は猟がなく暇で、女優に化けて、ふらりと独身男を拾いに来る。特に、出てしまった最終バスを待つ女、この演技が上手いそうな。


 こんな都市伝説いろいろ本をコンビニで立ち読みしてしまった石井智也いしいともや、はと気付けばもう真夜中だ。外は冷たい雨が降っている。

 明日も早い。智也はバス停へと走った。そして時刻表を見て、「しまった!」と地団駄を踏んだ。

 ふと横を見ると、黄金色の髪はしっとりと濡れ、色白な顔に切れ長の目、そんな女が赤い傘を持って、なぜか──、出てしまった最終バスを待っている。

 智也は、これはひょっとして、今読んだ都市伝説の筋書きではと、あまりにもミステリアスで、思わず声を掛けてしまう。

「こんこんちき山へ行かれるのでしょ。申し訳ありません、私、タクシーでお送りしませんから」

 これに女は妖しく囁くのだった。

「あら、坊や、知ってんだね。最終バスのあとの……、恋の結末を」



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