第15話 綾音は── (*^_^*) ―― ニコニコッ、と

 良樹よしきは田舎町の小さな駅に降り立った。この町を出て十年、そこには懐かしい風景があった。

 しかしながら商店街へと向かう良樹は驚いた。まさにシャッター通り、かっての賑やかさはない。

 良樹は人通りのないアーケードを進み、ローズ生花店までやってきた。引き戸が半分だけ開かれてる。良樹は中へと入り、薄暗い先の部屋に向かって声を掛ける。

「来たよ、綾音あやね!」


──お兄ちゃん、母が亡くなりました──

 良樹に、ずっと音沙汰がなかった綾音から一通の報せが届いた。綾音の父はとっくに他界している。それ故、母の死亡により、一人娘の綾音はひとりぼっちになった。

 その寂しさをおもんばかると、もう居ても立ってもいられなくなった。

 お兄ちゃんと呼ばれる良樹、実の兄ではない。単に三つ違いの幼馴染みだ。

 母子家庭だった良樹に兄弟はいない。そんなこともあり、きっと母同士の計らいだったのだろう、兄と妹の疑似関係が作られた。

 それでも瞳がくりくりとした綾音、本当の妹のように可愛かった。

 恐がりだった綾音は、ワン公に出くわすと良樹の後ろにいつもそっと隠れた。

 また綾音は泣き虫だった。いたずらっ子に虐められた時は兄として立ち向かった。やっつけた後は、おびえる綾音をぎゅっと抱き締め、綾音をなごますために、「お兄ちゃんがいるから、大丈夫」とほっぺをコチョコチョとくすぐってやる。すると綾音はほっとし、ニコニコと笑った。


 こんな幼い二人はやがて少年少女へと育った。

 しかし二人に別れがやってくる。高校卒業と同時に、良樹は母を助けるため都会で働くこととした。

「私、別にさびしくないから」

 見送りに来た綾音は精一杯の強がりを言った。

 されどもプラットホームの片隅へと走り、その頃多分芽生え始めた恋心のせいだろう、肩を振るわせ泣いていた。そんな少女の残像が瞼の裏に浮かぶ。


 綾音と何度も呼んだが応答がない。良樹は靴を脱ぎ捨て、襖を開けた。するとそこに、仏壇の前に座り込んだ綾音がいた。

 振り返りもせず、いきなり涙声で訴えてくる。

「お母さんが徘徊して……、その日、私探しに行けなかったの。そしたら川に落ちてて、私が――、殺してしまったのよ」

 良樹は綾音が不憫でならない。とっさに駆け寄る。

「もういいんだよ、綾音。お母さんが苦労を掛けまいと、命を絶ってくれたんだよ」

 音信不通だった二人の十年、あっという間にどこかへ消えてしまった。


「お兄ちゃん、ありがとう」

 綾音は少し落ち着きを取り戻したのか、良樹に向き合った。くりくりした目の少女はもうそこにはいなかった。泣きはらしてはいたが、涼やかな瞳を持つ女性が良樹を見詰めていた。

 だが、いかにあろうが、二人の関係は男と女ではない。どこまで行っても兄と妹だ。そのためか、幼い頃一緒に昼寝したように、その夜良樹と綾音は一つの布団で寝た。

 良樹は妹の不安を消し去るために、ずっとずっと愛おしく抱き締めた。その甲斐あってか、やっと安堵したのだろう、綾音からスースーと穏やかな寝息が聞こえてくる。


 翌朝、良樹が目を醒ますと、トントンと漬け物を刻む懐かしい音が聞こえてくる。綾音が朝食の用意をしてくれているのだ。起き上がって行くと、テーブル上にお握りが並んでる。

「お兄ちゃん、途中でお腹空くでしょ」

 良樹は「その通りだよ」と答えたが、綾音にあとの言葉が続かない。

 綾音にはわかってる。良樹には都会での生活があり、これ以上は引き留められない。結局は、そんな擬似的な兄と妹なのだと。


 綾音が駅まで見送りに来てくれた。良樹は後ろ髪を引かれる思い、それでも時間は止まらず、ガタンゴトンとたった一両だけのディーゼルカーが入って来た。良樹は心の乱れを抑え、乗り込み、ホームにいる綾音と向き合った。

 ひょっとすれば、これが二人の永遠の別離わかれになるかも知れない。そう予感する綾音、涙が止まらない。

 無情にもギーと鈍い音を発しながら、ドアーが閉まり始める。

「お兄ちゃん……」

 心悲しげに呼ぶ綾音、確かに良樹に再会できたことが嬉しかった。だが、この別れが途方もなく辛い。


 今、ドアーがピシャリと閉まりかける。その瞬間だった、良樹が思い切りドアーを開けた。それから綾音へと手を伸ばし、綾音を掴み車内へと誘い入れる。

 綾音は驚く。

 しかし、こんなことになることをずっと待っていたのかも知れない。その綾音の期待に応えるように、良樹が力強く言い切る。

「綾音、僕はもうお兄ちゃんじゃないよ。僕は――、夫だよ」

 綾音がこくりと頷く。

 その決意を確認した良樹は、兄ではなく夫として、この世界で一番の愛をもって妻を抱き寄せる。

 そしてやっぱり……、綾音のほっぺをコチョコチョとくすぐってしまう。これに綾音は表情を和らげ、幼かった頃と同じように、安堵した笑みを零すのだった。


  良樹よしきは田舎町の小さな駅に降り立った。この町を出て十年、そこには懐かしい風景があった。

 しかしながら商店街へと向かう良樹は驚いた。まさにシャッター通り、かっての賑やかさはない。

 良樹は人通りのないアーケードを進み、ローズ生花店までやってきた。引き戸が半分だけ開かれてる。良樹は中へと入り、薄暗い先の部屋に向かって声を掛ける。

「来たよ、綾音あやね!」


──お兄ちゃん、母が亡くなりました──

 良樹に、ずっと音沙汰がなかった綾音から一通の報せが届いた。綾音の父はとっくに他界している。それ故、母の死亡により、一人娘の綾音はひとりぼっちになった。

 その寂しさをおもんばかると、もう居ても立ってもいられなくなった。

 お兄ちゃんと呼ばれる良樹、実の兄ではない。単に三つ違いの幼馴染みだ。

 母子家庭だった良樹に兄弟はいない。そんなこともあり、きっと母同士の計らいだったのだろう、兄と妹の疑似関係が作られた。

 それでも瞳がくりくりとした綾音、本当の妹のように可愛かった。

 恐がりだった綾音は、ワン公に出くわすと良樹の後ろにいつもそっと隠れた。

 また綾音は泣き虫だった。いたずらっ子に虐められた時は兄として立ち向かった。やっつけた後は、おびえる綾音をぎゅっと抱き締め、綾音をなごますために、「お兄ちゃんがいるから、大丈夫」とほっぺをコチョコチョとくすぐってやる。すると綾音はほっとし、ニコニコと笑った。


 こんな幼い二人はやがて少年少女へと育った。

 しかし二人に別れがやってくる。高校卒業と同時に、良樹は母を助けるため都会で働くこととした。

「私、別にさびしくないから」

 見送りに来た綾音は精一杯の強がりを言った。

 されどもプラットホームの片隅へと走り、その頃多分芽生え始めた恋心のせいだろう、肩を振るわせ泣いていた。そんな少女の残像が瞼の裏に浮かぶ。


 綾音と何度も呼んだが応答がない。良樹は靴を脱ぎ捨て、襖を開けた。するとそこに、仏壇の前に座り込んだ綾音がいた。

 振り返りもせず、いきなり涙声で訴えてくる。

「お母さんが徘徊して……、その日、私探しに行けなかったの。そしたら川に落ちてて、私が――、殺してしまったのよ」

 良樹は綾音が不憫でならない。とっさに駆け寄る。

「もういいんだよ、綾音。お母さんが苦労を掛けまいと、命を絶ってくれたんだよ」

 音信不通だった二人の十年、あっという間にどこかへ消えてしまった。


「お兄ちゃん、ありがとう」

 綾音は少し落ち着きを取り戻したのか、良樹に向き合った。くりくりした目の少女はもうそこにはいなかった。泣きはらしてはいたが、涼やかな瞳を持つ女性が良樹を見詰めていた。

 だが、いかにあろうが、二人の関係は男と女ではない。どこまで行っても兄と妹だ。そのためか、幼い頃一緒に昼寝したように、その夜良樹と綾音は一つの布団で寝た。

 良樹は妹の不安を消し去るために、ずっとずっと愛おしく抱き締めた。その甲斐あってか、やっと安堵したのだろう、綾音からスースーと穏やかな寝息が聞こえてくる。


 翌朝、良樹が目を醒ますと、トントンと漬け物を刻む懐かしい音が聞こえてくる。綾音が朝食の用意をしてくれているのだ。起き上がって行くと、テーブル上にお握りが並んでる。

「お兄ちゃん、途中でお腹空くでしょ」

 良樹は「その通りだよ」と答えたが、綾音にあとの言葉が続かない。

 綾音にはわかってる。良樹には都会での生活があり、これ以上は引き留められない。結局は、そんな擬似的な兄と妹なのだと。


 綾音が駅まで見送りに来てくれた。良樹は後ろ髪を引かれる思い、それでも時間は止まらず、ガタンゴトンとたった一両だけのディーゼルカーが入って来た。良樹は心の乱れを抑え、乗り込み、ホームにいる綾音と向き合った。

 ひょっとすれば、これが二人の永遠の別離わかれになるかも知れない。そう予感する綾音、涙が止まらない。

 無情にもギーと鈍い音を発しながら、ドアーが閉まり始める。

「お兄ちゃん……」

 心悲しげに呼ぶ綾音、確かに良樹に再会できたことが嬉しかった。だが、この別れが途方もなく辛い。


 今、ドアーがピシャリと閉まりかける。その瞬間だった、良樹が思い切りドアーを開けた。それから綾音へと手を伸ばし、綾音を掴み車内へと誘い入れる。

 綾音は驚く。

 しかし、こんなことになることをずっと待っていたのかも知れない。その綾音の期待に応えるように、良樹が力強く言い切る。

「綾音、僕はもうお兄ちゃんじゃないよ。僕は――、夫だよ」

 綾音がこくりと頷く。

 その決意を確認した良樹は、兄ではなく夫として、この世界で一番の愛をもって妻を抱き寄せる。

 そしてやっぱり……、綾音のほっぺをコチョコチョとくすぐってしまう。これに綾音は表情を和らげ、幼かった頃と同じように、安堵した笑みを零すのだった。


  (*^_^*) ―― ニコニコッ、と。





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