第14話 この縁へと繋がるため
夜来の雨はあがり、
しかし、光司はそんな季節の移ろいに特段のときめきを抱くこともなく、キッチンへと向かう。トーストをカリカリに焼き、ハムとレタスを挟む。あとは無造作にマグカップにコーヒーを注ぐ。
あ~あ、一つため息を吐いた。そして、仕方ないかと呟く。
半年前、光司の妻、
それにもかかわらず、こんな人生の終盤が待っていたとは……。
あの夜、スポーツ特番を観ていた。そんな時愛華が涙ながらに訴えてきた。私、やっぱり
なぜ、還暦も超えた歳になって、離婚という最悪なことになってしまったのだろうか? しかも略奪者は現役時代の同僚の大輝だという。光司は今もってその原因がわからない。
だが、あの出来事で──、妻には、殺意があったのでは? と疑い始めてから、それは当然の成り行きかのように離婚へと突き進んでしまった。
妻に裏切られたことは辛い。だが長年連れ添ってくれた女への感謝もあり、そこまで別れることに
それにしても、なぜ、こんな腹立たしい人生の結末に?
そのプロローグは1年前の登山だった。
すでに一線から退いた光司と愛華、そして大輝と
それでもご来光は神々しく、心が洗われた。
だが下山途中、台風の急接近か山が荒れた。冷たい雨が疲れた身体に容赦なく襲いかかってきた。視界は失われ、深い沢に迷い込んでしまった。
その挙げ句、優子が足を滑らせ捻挫し、前へと進めない。四人は岩陰に身を潜め、救助を待つこととした。
「私が足を傷め、遭難してしまったのね。ゴメンなさい」
優子の冷えた頬に落涙の線が二つ。
「優子さんのせいじゃないですよ。ここで待ってれば、きっと救助隊が発見してくれます」
光司は自分自身を鼓舞するためにも言葉に力を込めた。
しかし、友人の大輝は「ここで待っていても死はあるし、待たずに下山しても危ない。まさに生死はフィフティフィフティだな」と恐怖心を煽る。これに妻の愛華が血の気が引いた顔を上げる。
「それじゃ、待つか、待たないかで、リスク分散をしない?」
光司には妻が何を言おうとしているのか理解できない。それでも愛華は微かな笑みを浮かべ、「あなたと優子さんはここで待って、私と大輝さんは──、今から下山するから」と。
光司は驚いた。
されど確かに、愛華が言う通りかも知れない。
今の運命は生と死が半々。つまり、この暗い岩陰でただ待っていても、全員の死はあり得ることだ。
「夫婦内でも、どちらかが生き残る、そのチャンスを増やすってことか。そうしよう」
横の大輝が言い切った。
これは一つの賭け、されど光司と愛華の今生の別れになるかも知れない。そして大輝の夫婦も同じこと。だが大輝の同意に煽られたのか、光司も優子も頷いてしまった。
湿った岩陰に身を寄せ合う光司と優子、体温はどんどんと下がって行く。優子は他人の妻、されどもサバイバル、光司はずっとずっと抱き締めた。そして冷えた夜がやっと明けた。しかし、待てども救助隊はやって来ない。
時は流れ、また闇が襲いかかってきた。この意味は、愛華と大輝が未だ下山できていない、どこかで……、となる。
光司と優子は連れ合いの不幸を嘆き、そして自分たちの死の予感におびえた。
それでももう一つの夜は明けた。これはまことに幸運、待ちに待った救助隊、いや神がついに立ち現れたのだ。
されども光司は救いの神、リーダーから信じられないことを告げられる。
「遭難場所の報告は北側だったのですが……、実際は南だったのですね」
光司と優子は耳を疑った。
愛華と大輝は南側だと絶対に知っていたはず。もちろん後日、光司は二人を問い詰めた。だが単純な記憶ミスとしか返ってこなかった。
光司は疑った。二人には何か冷徹な意志が働き、嘘をついたのではと。
それからのことだ。光司は妻が信じられなくなった。そして離婚が切り出された時、こういう宿命だったのかと諦め、届けに判をついた。
あ~あ、最近このやり切れないため息から一日が始まる。そして今朝も同じ、あとは仕方ないかと続く。
こんな沈鬱な思いで過ごす昼前に、チャイムが鳴る。光司がおもむろに玄関を開けると、焦燥し切った優子が立っていた。そして言う。
「ここの岩陰で、しばらく……、今度は、愛の神さまを待たせてください」
えっ、愛の神さまって? と光司は考えを巡らせる。
そして、とどのつまりが、今までのすべての出来事が、優子との縁に繋がるためのものだったのかと年甲斐もなくはにかんでしまう。
しかし、ここから優子との新しい人生の物語が始まるかと思い直し、一拍の間を取って、そっと手を差し伸べるのだった。
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