第13話 明朝体ワールド
何かが変だと思っていた
「
久々に休暇が取れ、婚約者の節子と浅草へと出掛けて来た。
結婚を三ヶ月後に控え、幸せな家庭が築いて行けるようにと、
だが、大樹は雷門の前で突然立ち止まってしまった。
「提灯は、何も変わってないわよ」と、節子が不思議そうに大樹の顔を覗き込む。
「よーく見てごらん。文字がいつもの提灯書体ではなく、これって、多分……、
大樹は首を傾げ、赤提灯に『雷門』と書かれた黒文字を指さす。
しかし、節子は別段驚く風でもなく、小さな声でささめく。
「あら、大樹、今さら何言ってるの。私たちは明朝体ワールドにいるのよ」
「えっ、明朝体ワールドって……?」
大樹はきょとんとし、そこへ節子が言ってのけるのだ。
「だって、ゴシック体世界は堅過ぎるでしょ、それに行書体ワールドは柔過ぎよね。明朝体ワールドが一番居心地が良いのよ」
「えっ、アサクサで、ドサクサに、明朝体ワールドって?」
大樹は思わずオヤジギャグ含みで聞き直したが、すでに節子は明朝体ワールドにゾッコン状態。よく理解できないが、そうなのかも知れない。
そう言えば、今思い当たる。
朝電車に乗ってから大樹の目に入ってきた文字、それらすべてが明朝体に変わっていたのだ。駅名も車内の広告も、駅そばの看板までもがだ。
とならば節子が話すように、俺は今、明朝体だけの世界にいて、……、そこに住む節子と会ってるっていうことなのか?
「大樹、何をぶつぶつ言ってるのよ。さっ、行きましょ」
節子に腕を引っ張られ、大樹は明朝体フォントの大提灯の下をくぐった。そして賑わう仲見世を通り抜け、本堂へと向かう。
確かに、目に入る看板も店内のメニューまでもが、すべて明朝体。これが現実、節子が言う通り、ここは明朝体ワールドなのだ。
しかしだ、単一フォントだけではこの世は面白くもないし、情緒もない。
それなのに、俺はなぜこんな世界に紛れ込んでしまったのだろうか?
朝起きてから何か普段と変わったことをしてしまったのだろうか?
順を追って振り返ってみると、するとどうだろうか、一つだけあった。それは電車に乗るため、いつも右から二つ目の改札を通る。
しかし今日は、そこがトラブっていた。そのため一番左端の改札を通り抜けた。
「そうだ、わかったぞ! あの左端の改札は、明朝体ワールドへの入口だったのだ」
こう気付いた大樹、謎が一応解けホッとする。
しかれども事態は深刻だ。
このまま観音さまに二人の幸せな結婚をお願いしてしまえば、現在の延長で、一生涯明朝体のフォントだけしか存在しない世界で生きて行かざるを得なくなる。ちょっとこれはまずいことに。
あーあ、どうしようか?
ヨシ! 今すぐ節子を連れて、左端の改札を反対向けに抜け、元の世界へと逆戻りしよう。
こう決断した大樹は節子の手を取り、電車に乗り、入口、いや出口となる、その改札を走り抜けたのだった。
ジジジーーーー。
大樹は「ウッセーなあ」と唸り、枕元で鳴る目覚まし時計を止めた。そして目をこすりながら「えっ、これって夢だったのか?」と、まずは一安心。
しかし、この夢って正夢、充分あり得るストーリーだ。大樹は早速節子にケイタイを掛ける。
「なあ、節子、今日浅草へ行くだろ。現地集合じゃなくって、駅前で待ち合わせしないか」
「いいわよ、だけどどうしたのよ」
「頼みがあるんだよ、一番左端の改札じゃなくって、右から二つ目の改札を、一緒に通って欲しいんだよ」
こんな大樹の求めに「大樹は住む世界を確定したいんだね」と、節子から思わぬ言葉が返ってきた。まるで大樹が見た夢を知ってるかのようだ。
大樹の脳はこれで余計にこんがらがったが、もし節子が左端の改札を通れば明朝体ワールドへ入ってしまう。
その挙げ句に明朝体ワールドがお気に入りになり、この世界は最高なんて
そして二時間後、大樹は節子と駅前で落ち合った。そこから二人で右から二番目の改札を通り、浅草へとやって来た。
大樹は今、大提灯を見上げている。
そしてフーと大きく息を吐き、しみじみと呟くのだ。
「カッコ良い書体で、『雷門』と書いてあるよな。明朝体でなくって良かったよ」
これに寄り添っていた節子が、大樹の手をしっかりと握る。
「友達が話してたわ。左端の改札は、明朝体だらけの世界への入口ってね。ちょっと魅力だったけど、結婚前に観音さまからどうしますかと夢で打診があるんだって。今日右から二つ目の改札を通って浅草に来たでしょ。これが答えで、決まりね。さっ、これからもいろんなフォント花咲く世界で、二人仲良く暮らして行けるようにお願いしましょ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます