第11話 無慈悲な人

 高瀬川亮平へ

  随分とご無沙汰ですが、

  元気にしてますか?

  ところで、先月、義男が他界しました。


  その生命保険の受取人は、

  故人の遺言で亮平です。

  受け取ってください。

               母より


 何年ぶりかに届いた母からの手紙、実に簡潔に書かれてあった。

「そうか、ついに義男よしおは亡くなったか」

 亮平りょうへい忸怩じくじたる思いにもなったが、それにしてもおかしなことだ。

 というのも、義男は亮平の父ではない。

 確かに、実父が死亡した後、母は幼い亮平を連れて義男と再婚した。それから母の連れ子として、中学卒業まで同じ屋根の下で暮らした。

 だが義男は亮平を認知せず、同戸籍には入れてくれなかった。

 言い換えれば、母は再婚と同時に義男の姓を名乗ることになったが、亮平は実父の姓、高瀬川のままであった。そして現在に至っている。


 なぜ義男は亮平に対しこんな扱いをしたのか、今もってその理由がわからない。しかし、そこからくる一つの現実は、義男にとって亮平はただのよその家のガキだったのだ。

 それでも多分、これは母子が生きて行くための母の窮余の策だったのだろうか?

 そのせいか母はいつも義男にすり寄っていた。

 亮平はそんな母を見るのが幼いながらも辛く、物心がついた頃から人知れず、よくすすり泣いた。

 それからそう月日が経たない内に、義男と母の間に二人の子ができた。これにより明らかに、亮平はこの家族にとって邪魔者となった。

 こんな事態に亮平は決意した。中学卒業と同時に母を捨て、都会に出て一人で生きて行こうと。


 亮平にとってなんの温かみもない家、そこをとにかく飛び出した。そして小さな会社で働き始めた。いつかきっとあの家族を見返してやると馬車馬のように働いた。

 そんな必死な若造に、社長は親代わりとなり夜間高校を卒業させてくれた。

 青春を謳歌する暇などなかった。ただ汗にまみれる日々が続いた。

 だがその辛苦を乗り越え、亮平は一端の社会人と成長した。そして社長に暖簾のれん分けをしてもらい、独立してみようかと、将来への夢まで膨らませることができるようになった。

「それにしても、なんで今さら……、義男の生命保険て? 俺には受け取る理由がない」

 亮平は何年ぶりかに届いた母からの手紙をぎゅっと握りつぶした。


 翌日、こんなことがあったと社長に報告すると、社長はニコッと笑う。そして、「真奈まなさんを連れて、一度お母さんに会いに行ってこい」と促す。

 真奈は婚約者、三ヶ月後に所帯を持つ。

 中学卒業と同時に縁を切った母であっても、真奈だけは紹介しておいても良いだろう。そして恨み辛みで、いつまでも母に反発している年頃でもない。ここは社長の勧めに従い、亮平は真奈と田舎へと向かう電車に乗った。


 十五年ぶりの母との再会だった。

 母は年老いてはいたが、相変わらず気丈だ。

 そして亮平も一人で生きてきた自信なのか、それとも母への憎しみが拭い切れないのか、母に会っても特に感情が高ぶるものではなかった。

 過ぎ去った十五年間の出来事、それらを淡々と会話した後、亮平は切り出した。

「お母さん、俺、義男さんの生命保険を受け取ることはできないよ」

「そうかい」

 母は一つ頷き、今度は真奈へと向き直った。

「この子、時々勘違いして突っ走るのよ。私の姓は変わったけど、亮平の実父は高瀬川、その一人息子だから……、その名を立派につなげていくよう、真奈さん、手綱をしっかり締めてくださいね」と話す。

 高瀬川の一人息子、突然母の口から飛び出したこの言葉、亮平は認知されなかったのは名を守るためだったのかと謎が解けてきたような気がする。

 それから母は戸棚の引き出しから一通の封書を取り出した。それは義男から亮平への、手短に書かれた手紙だった。


 亮平君へ


  私は君とよく似た境遇で育った。

  それでも一所懸命生き、

  人生を全うすることができた。


  私の生命保険金は、

  世の無情で強くなった男から、

  強くなりつつある男への

  リレーのバトンだと思ってくれ。


  だから遠慮なく、受け取って欲しい。

                 義男


 こんな文面を読み終えた亮平に、母はよほど伝えておきたかったのだろう、子への思いを絞り出す。

「父親というのはね、息子にはいつも無慈悲な人なのよ。だけど、ここ一番の時に、一回だけの大きな愛を与えるの。社長さんから聞いたわ、あなたたち独立し、共に歩んで行くんでしょ。だから今がその時よ。さあ、この義男さんのお金を使いなさい」

 こんな話を耳にした亮平、涙がこぼれ落ちる。

 そしてあとは、ありきたりの言葉でしか返せなかった。

「お父さん、……、それと、お母さん、ありがとう」



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