第4話 生滅流転
「どうしたの?」
悦蔵はそんな紗菜が震わす肩越しに目撃したのだ、天にも昇る火柱を。
炎は村の庄屋でごうごうと燃え盛っている。悦蔵は総毛立ち、めまいを覚えるほどだった。しかし妹が無性に哀れに思われ、力を込めて抱き締めた。
悦蔵は紗菜を問い詰めなかった。なぜなら紗菜が火をつけたことは、その涙の濃さからして明々白々たる事実だった。
まるで夜叉にもなってしまった妹、その気持ちが痛いほどわかる。そして兄として、ここに至ってしまった以上、覚悟を決めた言葉を絞り出す。
「紗菜、ここから逃げよう、今すぐに」
「うん」
紗菜は小さく頷き、涙で濡れた手で悦蔵にしがみつく。
悦蔵は十四歳、紗菜は十二歳、なかなか利発な兄妹だ。しかし、よくここまで生き延びてこれたものだ。
母、
だが、あれは三年前のこと、母は祭りの後の宴席に呼び出され、庄屋へと出掛けて行った。そして村の男たちにいたぶられたのだ。
逃げる母を追い掛け、獣のように襲いかかった荒くれ者たち。それを庄屋の旦那の
そして最後に、母は庄助に
こんな一部始終を見てしまった悦蔵と紗菜、まだ年端もいかない子供だった。
だが母を守れなかったことが悔しい。そしてそれは憎しみに変わり、日ごと恨みが骨髄に染み渡って行った。
だから悦蔵は理解できた。紗菜がここにきて、母の無念と、そして自分たちの
ここで悦蔵は思い出した、万が一のことを考え、「何か困ったことがあったら、山寺に行きなさい」と、母はいつも二人に言って聞かせていたことを。
悦蔵にはもう迷いはなかった。その教え通りに紗菜の手を取り、三日三晩寝ずに野を駆けた。そして山を登り、今にも朽ち落ちそうな寺へと辿り着いた。
門を叩くと、天狗のような坊主が現れた。そして一言訊いてきた、「母の名は?」と。
これに悦蔵は「母は静香と申します、三年前に殺されました」と声を震わせた。
これに坊主は手を合わせ、あとはこの二人が助けを求め駆け込んできたことに別段感情を出さず、淡々と話す。
「わしは
坊主はこんな小難しいことを告げ、二人に夜露が凌げる小さな小屋を与えてくれた。それでも悦蔵と紗菜は嬉しかった。なぜならここでなんとか二人で力合わせて生きて行くことができるからだ。
それから兄妹にとって穏やかな三年の年月が流れた。悦蔵は十七歳、背はスラリと高く、なかなかのいい男になった。坊主、生滅流転の影響なのだろうか仏門に入りたいと思っている。そして紗菜は、きっと母親譲りなのだろう、抜けるような白い肌を持つ美しい十五歳の娘へと成長した。
そんなある日のことだった。四、五人の野卑な男たちが寺を訪ねてきた。
「やっと突き止めたぞ。お前たちが火をつけたのだろう。村へ連れ戻して、八つ裂きの刑にしてやる」
こう怒鳴り散らし、ならず者たちは有無も言わせずに悦蔵と紗菜の手を取った。そして連れ出そうとする。それを遠くから見ていた坊主、生滅流転が前へと進み出た。そして言い放ったのだ。
「ちょっと待たれい! 火を放ったのは……、このわしじゃ!」
これは奇妙なことだと思ったのか、「何をほざくか、この生臭坊主! おまえには火をつける理由がないだろ!」と、いかにも親分風な男が声を荒げる。生滅流転はこれに仁王立ちとなり、鬼の形相で浴びせたのだ。
「庄助は、同じ空の下では生かせておけないわしの
こうして生滅流転は不逞の輩に連れて行かれ、二度と寺に戻ってくることはなかった。こんな事態の後、悦蔵は寺を引き継いだ。そしてしばらくして、紗菜は嫁いで行った。
それから幾星霜を重ねただろうか。初雪が降り、山が白く化粧した寒い朝のことだった。歳の頃は十四、五歳だろう、少年と少女が必死の形相で寺へと駆け込んできた。
山寺の僧・悦蔵は一言訊く、「母の名は?」と。
これに少年は「母は紗菜と申します、三年前に殺されました」と涙を流した。
これ以上二人が語らなくとも、山寺の僧・悦蔵はすべてが手に取るようにわかる。まるで昔の自分たちを見てるようだ。
そして込み上げてくる愛おしい気持ちを抑え、かって聞いたことがある言葉で静かに伝える。
「わしは生滅流転という坊主じゃ。世の恨み辛みは絶えぬもの。それが運命だと思い、ここでしばらく精進せよ」
しかし、悦蔵はそれだけの言葉だけでは終わることはできなかった。さらに言い添えるのだった。
「お前たちが、これからの生涯幸せに生きて行けるよう、今度こそ、このわしがその流転を変えてやろう。ここで学問に励め。お前たちの母、いや、愛しい妹、紗菜のためにも」
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