第152話 麦の手配ができました

「そ、それじゃあ、今日の話し合いを始めましょう!」


 ミリアは恥ずかしさを吹き飛ばすようにことさら大きな声で言い、アルフォンスをソファへとうながした。


 自らもソファに座り、胸に手を当てて、ふぅ、と短く気を吐く。


 頭を切り替えなくちゃ。自意識過剰で浮ついている場合じゃない。


 最初にテーブルの上に書類を広げたのはアルフォンスだった。


「現地の畑と、スタイン商会にある麦のうち産地が明確になっている物を調査したところ、麦角ばっかく病におかされている畑は限定的でした」

「やっぱり……」


 発症した村が各地に散らばっていたため、領内の全域に麦角病が広がっていると予想していたのだが、ミリアが商会に調べさせた分に限っても、発病している畑は多くはなかった。


 ミリアは書類を一枚取って目を走らせた。


「新しく発症者が確認された村もないようですね」

「ええ。ありません。すでに発症者のいる村には、治療効果があるとして他の食品を食すことを奨励しています。これ以上の被害は起こらないでしょう」


 アルフォンスの答えに、ミリアはほっと息をついた。


 麦が売れなくなれば、農民は自分たちでそれを消費しようとする。


 だから、市場に流通させないことを優先して麦を買い取らなくなれば、農民の被害は増えるとミリアは予測していた。


 無論それを黙って見ていることなどできない。


 被害が広がるようであれば、最悪、夜陰やいんに乗じて畑を焼くのもやむを得ないと考えていた。


 だがその予測も外れたようだ。


「これで、産地によって毒麦と安全な麦を選別することができます。畑の割合で見れば、麦全体の九割は安全です」


 アルフォンスが力強く言った。


 麦角病は全体を侵すものではなく、黒い角状の麦角部分さえ口にしなければ問題がないから、丁寧に麦角を取り除けば食べることができる。


 だがそれには麦角病のことを公表しなくてはならない。


 そうはできないアルフォンスは、産地によって選別することに決めた。無論、おおやけにはせず、全て流通の途中でり分けるのだ。


 すでにかれて粉になってしまった麦でも、産地さえわかれば安全かどうか判断できる。


「でも、すでに八割がた出荷されてしまっていますし、市場から回収した麦は産地がわからなくなってしまった物も多いです」

「それでも、ある程度流通させることは可能ではありませんか?」


 ミリアは首を振った。


「できない事ではありませんが、現実的ではないですね。出荷済みの麦と分けるために別の袋を用意して詰め直す手間はともかく、やったとしても、領内で消費する分を除けば全体の数パーセントにとどまるでしょう。それだと、なぜその一部だけ売るのか、という話になります。妥当なシナリオを用意しないといけません」

「確かに……」


 アルフォンスがあごに手を当てて考え込む。


「数パーセントとはいえ結構な量になるのでもったいないですが、他の麦と一緒に処分するしかないですね。それは商会の方でやります」

「廃棄、というのは、どのような方法を考えていますか?」

「焼くしかありません」


 ミリアがそう言うと、アルフォンスは目を見開いた。


 気持ちはわかる。


 領地の主要生産物で、何より食べ物だ。


 わずかに混入した毒麦のせいで、その全てを廃棄しないといけないなんて。


「家畜のえさにするだとか、せめて肥料にはできませんか?」

「餌にはできません。人間だけではなくて、家畜にも害を及ぼします。肥料にできるかは、正直わかりません。毒が残るのか残らないのか、私は知らないんです。土も火で浄化した方がいいと思います」


 麦角病の原因は菌だから、残っていたらまた発病してしまうかもしれない。


 土に混ぜ込んでもいいのか。侵された畑の土をそのままにしてよいのか。


 麦角病のことを物語の中でしか知らないミリアにはそこまでの知識はなかったし、図書館で見つけた文献にも載っていなかった。


「対処の情報が集まるまで、保留にはできませんか? 麦や畑を焼くというのは、何かあったと言うようなものなので」

罹患りかんした畑は、休耕地にして、家畜の放牧もしないようにすれば大丈夫だと思います」


 連作障害を防ぐため、カリアード領では麦の栽培と放牧を交互にしている。だから麦と共に畜産も主要産業になっているのだ。


 これは、初めてカリアード領に来た時に、アルフォンスが教えてくれた事の一つだった。


「ただ、麦の処分は早いうちにやった方がいいです」

「というのは?」

「後からだと、やっぱり、どうして出荷しないのか、なぜ廃棄するのか、という話になります。今のこの状況であれば、私が怒りに任せてやったことにできます」

「それではまたリアが――」

「では、他に良い案がありますか?」

「……」


 アルフォンスがぐっと眉根を寄せた。


 他の手はないのだ。


 ミリアがとことん悪者になるしかない。


 それをわかっていてミリアはこの方法を選んだのだし、アルフォンスもわかっているはずで、このやり取りはただの確認にすぎなかった。


「時機は見たいです。少しでもリアの印象が悪くならないように」


 ミリアは肩をすくめた。


 今さら多少小細工をしたからといって、何になるだろうか。「非常に悪い」が「かなり悪い」になるくらいだ。


 だが、アルフォンスがタイミングをはかりたいというのなら、任せることにする。


 カリアードの麦のことだ。納得のいくようにして欲しい。


 伯爵が不在の間に、このような大きなことを決断するのも大変なプレッシャーだろう。


 と、その時、ノックの音がした。


「どうぞ」


 ミリアが声を上げると、支部長が入ってきた。


「ギルバート殿下から書簡が届きました」

「ありがとう」


 部屋に入ってすぐの所で立ち止まった支部長に近づいて、手紙を受け取る。


 差出人がギルバートであることを確かめたミリアに、支部長がちらりと気遣うような視線を向けてきた。


 支部長含めたわずかな職員には、アルフォンスとの喧嘩けんかは表面上のものだと伝えてあるのだが、部屋で長く二人きりというのが気にかかるのだろう。


 ミリアの事をなんとも思っていないアルフォンスがそのような行動に出るのはあり得ないのだが、表向きのはミリアに猛烈なアタックを仕掛けているわけで、支部長が心配になるのも無理はない。


「大丈夫よ」


 こそっと耳打ちしてから、支部長を部屋から出した。


 ソファへと戻り、さっそくペーパーナイフで封を切る。


 流麗な筆跡をさっと追って行きながら、ミリアは手紙の内容を告げた。


「代わりの麦の調達の目処めどがついたそうです。やはり他領ではまかないきれず、シャルシン国から輸入するとあります」


 シャルシン国から援助を受ける事にしたのは、ちょうどエドワードとカリアード伯爵が行っているのもあり、交渉がしやすかったからに違いない。


 そういう意味では、渦中かちゅうの伯爵本人がシャルシン国に残ったのはよかったのかもしれない。


「そうですか」


 アルフォンスが渋面を作った。


 相手は麦の金額をふっかけてきただろうし、それ以上の物も求めてきただろう。急な要請なのだから尚更だ。


 それがカリアード領のせいだということに責任を感じての表情だった。


「あ、でも、友好のあかしに、と何も要求されなかったようです。価格も常識の範囲内です」


 言いながら、ミリアも変な顔をした。


 普通に考えれば、貸し一つ、ということなのだろうが、ギルバートがわざわざ対価について書いてきたことが気にかかった。


 だが、文面からわかることはここまでだった。


「シャルシン国であれば、王都やフォーレンよりもコルドの方が近いので、私も従業員への指示が出しやすいです。麦の入れ替えはスムーズにいきそうですね」

「段取りは先日話した通りでよいでしょうか?」

「はい。まずはスタイン商会から、カリアード産の麦の最終買取価格を提示します。今の相場よりも高くするので、全て買い取ることができるはずです」

「カリアード家からはそのための資金の提供ですね」


 莫大ばくだいな金額になってしまうわけだが、カリアード家にとっては出せない程でもないらしい。


 そこを当てにしてこの計画を立てたわけだし、ギルバートもこの案を了承したのだから、今さら本当に大丈夫なのかと聞くつもりはないが、それでも驚いてしまう。


 収益をそのまま次の商売につぎ込み、現金を持たなければ持たない程効率がいいと考える商人からは、動かせる資金がそこまであることが考えられない。


 スタイン商会だって資金力はある方だと思うのだが、古くから続く名家には並ぶべくもなかった。


「それと、領内の麦の回収もお願いします。カリアード家が自ら買い取るのなら契約違反にはなりませんから」

「出荷済の土地との不公平感が出ないように、通常の価格で買い取ります。また、裏ルートに流れないように監視を強化します」

「お願いします。まあ、多少漏れるのは諦めています」


 スタイン商会が一切いっさい手を出さないカリアード領内だけは、麦の価格が上がらない。


 領内の農家から直接麦を入手できれば、領外で高く売ることができる。


 カリアード家とスタイン商会の監視をかいくぐって買い付けにくるやからも、決め事を無視して売り渡す農家も当然いた。


「領内の麦はアルフォンス様の方で回す、ということでいいですよね? スタイン商会にある安全な麦は、裏でお渡しします」

「ええ、農民に直接消費地に運ばせます。麦が売れるとなれば協力もするでしょう」

「シャルシン国の麦は商会が運搬と販売をにないます」


 大金をはたいてカリアードの麦を買い集め、通常価格で他国の麦を売買するのだから、スタイン商会は大損だ。


 実際には資金はカリアード家が都合するのだが、それは表に出ない情報なわけで、商会はどこまでもミリア一人に振り回されているように見える。


 まるで悪役令嬢の物語にありがちな、わがままで好き放題やる乙女ゲームの正ヒロインみたい。


 なんという皮肉だろうか。


 ミリアは内心で苦笑する他なかった。

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