第153話 伯爵様が戻りました

 代替だいたいの麦の目処めどがついたのなら、あとは淡々とやるべきことをやるだけだった。


 王国内を混乱におとしいれたことに対する商会への非難はフィンが対処してくれたし、カリアード家への非難は、伯爵本人が不在であることとアルフォンスがコルドから出てこないことで、二人の行動の邪魔になることはなかった。


 王宮の方ではかなり紛糾ふんきゅうしたようだが、それはギルバートが抑えてくれていた。


 もちろん、伯爵が戻れば相当な非難を浴びることになる。


 だとしても、知らずとは言え、毒麦を出荷していたという事実が明るみになるよりは、遥かにマシだ。


 今の状態であれば、カリアード家はスタイン商会に裏切られた被害者ともいえるのだから。


 そして、泥をかぶることになったスタイン商会にしても、やはり、毒麦を運び販売していたという真実よりも、愛娘まなむすめの我がままに振り回されている状態の方がマシなのだった。




「暇だ……」


 ミリアは商会コルド支部の臨時の執務室にて、大きなデスクに片腕で頬杖ほおづえをついて呟いた。


 商会の従業員は、ゴールと方針さえ指示してしまえば、あとは勝手に動いてくれる。


 大きな課題が発生すれば解決に乗り出すが、そうでなければ、ただ進捗を確認するだけでいい。


 一方のアルフォンスは、やはり指示を細かく出さねばならないらしく、忙しくしていた。


 支部への訪問は毎日ではなくなり、直接話す日と、書類のやり取りだけの日が交互に来ていた。


 ちまたでは、一向に態度を軟化させないミリアに、さすがのアルフォンスも諦めを見せるようになった、ということになっているようだ。


「私はもう必要なさそうだし、そろそろ帰ろうかな」


 直接話さないまま権限を委譲されたルーズベルトからは、泣きの手紙が何通も送られてきている。


 上司の監査室長補佐ミリアどころかその上の監査室長アルフォンスもおらず、現在ギルバートが直々じきじきに統括していて、業務はなんとか回っているのだが、子爵令息が第一王子と直接やり取りするのは荷が重すぎるらしい。胃が痛くて仕方がないそうだ。


 王太子の側近であるアルフォンスは、王太子エドワードが帰国していないため、領地にかまけて王宮に戻らないことに対する非難はまだ大きくない。


 だが、私情で仕事をぶん投げたミリアの方は、その点でも相当なバッシングを受けていた。


 事態が落ち着いてエドワードが戻ってくれば、解雇クビになるだろうな、と思っている。


 監査の仕事はやりがいがあったが、もともと一度は断った仕事なのだし、婚約者でなくなった後もこれまで通りアルフォンスと一緒に仕事をしていく自信もなかったため、仕事に対する未練はなかった。


 アルフォンスなら、ちゃんと後任に適した人物を引っ張ってくるだろう。


「よし、帰ろう」


 後任への引き継ぎの準備が必要だ。


 このまま最後までコルドに残っていたら、引き継ぎなしで役職を明け渡すことになってしまう。


 直接説明するのは無理でも、せめて書類ドキュメントは作っておかないと。


 とは言え、思い立ったが吉日きちじつ、というわけにもいかない。


 こっちはこっちで引き継ぎをしなければならないからだ。


 ともかく支部長に伝えに行こう、と立ち上がった時、その支部長がやってきた。


「王太子殿下が帰国なさったそうです。領主様もコルドにお戻りになります」

「え、早くない!?」


 予定ではまだ会談が続いていて、そのあともエドワードは何日か滞在して視察をするはずだった。


 会談は運が良かったのかもしれないにせよ、視察はこのゴタゴタで取りやめたのだろう。


 麦の輸入で貸しを作ってしまったことといい、国交に関わることにまで迷惑をかけていることが申し訳なさすぎる。


 王太子の側近アルフォンスを守ることは王太子エドワードを守ることでもあるのだ、と思いはするも、ミリアまで胃が痛くなりそうだった。


 連絡が入る前であれば王都に戻っても良かったが、伯爵が戻ってくると知ってしまった以上、事の発端であるミリアがコルドに残らないわけにはいかない。


 あの伯爵に直接説明しないといけないのか……。


 アルフォンスに輪をかけて厳しい顔をしているカリアード伯爵を思い浮かべて、憂鬱ゆううつな気分になる。


 カリアード家にとってもベストな方法を取り、代理であるアルフォンスと共に進めているのだから悪いことはしていないはずなのだが、何を言っても怒鳴られる気がしてならない。


 事を起こしたことは伯爵に伝わっているし、その後の諸々もろもろはアルフォンスが説明するだろうと思っていたミリアは、今度こそ胃痛を感じるのだった。




 数日後、カリアード領の麦をめぐる騒動はおおむね収束し、残るは後処理のみになった所で、カリアード伯爵がコルドに帰還した。


 馬車で移動しているエドワードよりも先に、馬で移動してきたらしい。


 もちろんアルフォンスのような無茶はせず、護衛も連れて常識的な時間をかけて、だ。


 伯爵が戻ってきたのなら、当然ミリアは状況を報告するため、すぐさま屋敷に召喚されるはずだ。


 なのに、その日ミリアが呼ばれることはなかった。


 アルフォンスからも何の連絡もこないから、どうなっているかわからない。


 こんな事をしでかしたミリアとは、顔も合わせたくないということなのだろうか。


 カリアード家の屋敷は支部から少し足を伸ばせば行ける距離にあるのにも関わらず、ミリアはただ大人しく待つしかなかった。




 何もないまま二日ち、そろそろエドワードの王宮到着に合わせてアルフォンスがコルドを出なければならないのではと気をんでいた時、突然フィンが支部を訪れた。


 知らせを受けて執務室を飛び出したミリアは、ロビーにいるフィンを見て声を上げた。


「父さん!? なんでいるの!?」

「伯爵と話をしに来たんだよ。婚約破棄を言い出したのはミリィだろう?」


 ミリアは息を飲んだ。


 フィンはミリアの婚約破棄を進めるために来たのだ。


 家長同士が話し合って決めるのだから、正しくは婚約解消ということになる。


 ごくりとつばを飲み込んでカラカラになったのどうるおしてからミリアは口を開いた。


「連絡くらい、くれたらよかったのに」

「ちょうど近くに来ていた時に伯爵から連絡がきたんだ。知らせを届けるより来た方が早くてね」

「今から行くの?」

「ああ」

「そう……。いってらっしゃい。伯爵様には申し訳なく思っているって伝えて」


 ミリアは目を伏せて言った。


 アルフォンスへの伝言も頼みたかったが、怒り心頭しんとうで婚約破棄を言い出したミリアが、こんな所でフィンに頼むわけにはいかない。


「ミリィも行くんだよ」

「え? 私がいなくても父さんと伯爵様で話は済むでしょ?」

「その伯爵がミリィと話がしたいそうだ。父さんとの話の後に」


 今さら? しかも婚約を解消した後?


「さあ、行くよ。そろそろ約束の時間だ」


 フィンは戸惑っているミリアを手招きし、馬車に乗せた。




「暇だ……」


 ソファに座って天井をあおぎながら、ミリアは昼間と同じ言葉をぽつりとこぼした。


 場所はカリアード別邸の一室。以前ミリアが宿泊した部屋だ。


 フィンと共に屋敷を訪れたミリアは、執事長のキースによる案内で、ひかえ室ではなく、なぜかこの部屋に通された。


 来た時はまだ傾いたばかりだった日はとっくに落ちているのに、ミリアはまだ呼ばれない。


 ミリアとアルフォンス、どちらかに瑕疵かしがあっての婚約解消ではないから、慰謝料の話し合いなどは必要なく、ただ両者が書類にサインするだけで成立する。


 何をそんなに長く話し込んでいるのかと言えば、この騒動の着地点を決めなければならないからだった。


 表向きはミリア及びスタイン商会の暴走だが、裏では色々と清算が必要だし、今後どういう風に付き合っていくかも話し合わなくてはならない。


 ミリアはあらかじめフィンと意識を合わせてから始めたが、伯爵にとっては寝耳に水からスタートしていて、スタイン商会とカリアード家との間のすり合わせはこれが初めてなのだ。


 長引かせてもいいことはないので、両者は今日この一回で全て決めてしまうつもりなのだと思われた。


 貴族は回りくどく勿体もったいつけるのが好きなものだが、宰相さいしょう補佐ともなれば物事を迅速じんそくに進めるのをつねとしているだろうし、商人のフィンは言うまでもない。


 そろそろ呼ばれるだろう、もう呼ばれるだろう、と思っているうちにこんな時間になってしまった。


 あとどの位かかりそうですか、などと聞くわけにもいかない。


 本の一冊でも読んでいればよかった。


 今からでも絶対読み切れないけど、と思いながら、ミリアは立ち上がって本棚に近づこうとした。 


 すると、タイミングがいいのかわるいのか、扉が叩かれる音がした。


 やっと呼ばれたらしい。


「どうぞ」


 ミリアが返事をすると扉が開いた。


 廊下にいたのはアルフォンスだった。


 伯爵が戻ると聞いてからは会っていないから、数日ぶりに顔を見たことになる。


「やっと話し合いが終わったんですね」

「いえ、まだです」

「ならどうしてアルフォンス様が?」

「ようやく手がきました。軽食を用意させましたので、一緒にと思ったのですが、来てはいけませんでしたか?」

「そういうわけじゃ」


 悲しそうに言うアルフォンスに、ミリアはまた慌てて否定した。


「入っても?」

「どうぞ」


 ミリアはアルフォンスを部屋へと招き入れた。


 後ろから使用人がついてきて、テーブルにサンドイッチの皿を置き、お茶の準備をしていく。


 紅茶を一口飲むと、一息ついたような心地がした。


 ずっと待たされていたから、気が張っていたのかもしれない。


「なんとか終わりそうですね」

「ええ、なんとか……」


 アルフォンスは疲れをにじませたため息をついた。


「そんなに疲れているアルフォンス様を見るのは久しぶりです」

「久しぶり? 前回はいつですか?」

「卒業式の前です」

「あれは……本当に苦労しました」

「犯人を捜してくれていたんですよね」

「それもありましたが、リアとのことを整えるので必死でした」

「ああ、監査室を作ってたんでしたっけ。ギルと二人で裏でこそこそと」

「申し訳ありません……。リアを説得している時間がなくて」


 ミリアがわざと意地悪く言うと、アルフォンスは気まずそうな顔をした。


 あの頃は、アルフォンスはリリエントのことが好きなのだと思っていて、そんな幸せそうな二人を王宮で見続けるのは嫌だから、王宮に入らないかというアルフォンスの誘いを断っていた。


 もしもあの時、ミリアがその言葉にうなずいていたら、アルフォンスと婚約する未来はなかったのだろう。


 そうすれば、自分がアルフォンスに相応ふさわしくないとなげくことも、今こうやって婚約解消の完了を待つこともなかったに違いない。

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