第146話 私の持てる全てです

「ミリア、本当にそれでいいの? ミリアはカリアードのことを……」


 ミリアの話を聞いて心配そうな顔をしたギルバートに、ミリアは首を振った。


「いいの。これが私にできる一番いい方法だから」


 ギルバートも、この方法が最良だとわかっている。第一王子としての立場からすれば、ミリアの提案を受け入れる他ない。


 だが、友人としては気遣ってくれている。それがミリアには嬉しかった。


「わかった。ミリアの思う通りに動くといい」

「ありがとう」


 もしもミリアが、アルフォンスの婚約者だというだけのただの男爵令嬢であったなら、こんな無茶な計画を第一王子ギルバートから全面的に任されることはなかっただろう。

 

 これもミリア・スタインの持つ力の一つだった。ギルバートの信頼は、学園での三年間を通してミリア自身が得たものだ。


 権力を使うのは好きじゃない。


 だけど、持てる物は全て使うと決めた。


「カリアード伯爵様への連絡、お願いね。あと、カリアード産の麦の代わりの確保も」

「うん。僕も最善を尽くすよ」


 第一王子ギルバートからの確約を得て、ミリアは部屋を後にした。


 次はスタイン商会の王都支部だ。


 そこでの振る舞いが、これからの全てを決める。




 ミリアは急いで馬車で支部に乗り付けた。


 支部とは言え、王都に構えているだけあって、立派な建物だ。フォーレンにある本部よりも少しだけ装飾もほどこされている。


 ミリアは正面の入り口から、心持ち足音高く、堂々と入って行った。


 一階はロビーになっている。


 テーブルとソファが置いてあって、商談の担当が来るまでの間、客はそこで待つのだ。


 待たせるだなんて、フォーレンのせっかちな商人相手であれば許されないが、王都の商人は逆に余裕を見せることを良しとする。


 同じ人物であっても、王都とフォーレンでは振る舞い方を変えるのだから、おかしなものだ。


 ちなみに、相手が貴族だった場合は、当然のことながら個室に通される。


 ロビーの奥の方には衝立ついたてで区切られたスペースがあり、簡単な商談であればそこで済ませるようになっていた。もちろん大っぴらにできない重要な案件は二階の個室で行われる。


 ミリアはロビーで待つ客や、奥で商談をしている客がいることを、素早く確認した。


「ミリア様。今日は突然どうしました?」


 ミリアの姿に気づき、問いかけてきたのは支部長だった。


 ちょうど支部長がロビーにいたのは好都合だ。


 もしも奥の執務室にいたり、商談をしていたら、どうにか理由をつけて呼び出さないといけなかったから。


 他の従業員も、フォーレンの本部のように気さくに話しかけてきたりはしないが、ミリアに注目している。


「カリアード領の麦をおろすのをやめて」


 ミリアは尊大ともとれる態度で言った。周りに聞こえるように大きな声で。


「それは、どういう意味でしょうか?」


 突然のことに、支部長が戸惑いの声を出す。


「そのままの意味。これ以上市場しじょうに出さないで。おろしてしまった分は買い戻して。全部。一さじ残らず」

「ご冗談でしょう?」


 支部長はミリアの言葉を信じなかった。


 こんな所でなんてことを言うのだと、周りの目を気にしている。


 客としてきていた商人や店の主人たちはめざとい。商機となるならば見逃さない。


 これが本当ならば、カリアード産の麦は高騰こうとうする。スタイン商会よりも先に手に入れれば、商会が高く買ってくれるだろう。


 だが、理由を聞かねば動けない。一人の娘の戯言たわごとだったら大変だ。


「いいえ。冗談なんかじゃない。私は大真面目に言ってるの」

「またまたそんな」


 きっぱりと言うミリアに、支部長は笑いを含んだ声で言った。


 気安いのは、かつてフォーレンにいて、ミリアを幼い頃から知っているからだ。


 それならば、ミリアがこんな冗談を言わないことも知っているはずだが、話が突拍子もなさ過ぎた。


「スタイン商会会長の娘として指示します。今すぐに市場からカリアード領の麦を一掃して」


 支部長は息をのんだ。他の職員もだ。


 ミリアは会長の娘というだけで、何の役職にもついていない。以前は副会長という肩書きを持っていたが、それは学園への入学を機に辞めている。


 だが、ミリアの言葉は十分すぎる程の重みを持っていた。会長の娘という立場でだけでなく、これまでの実績から。


 一笑いっしょうすことはできない。


 すでに市場に出てしまった物を全てを買い戻すことは現実には不可能かもしれないが、カリアード領の流通を一手にになっているスタイン商会が麦を流さないと決めたのなら、それ以上は市場に出ない。


 そして、流通を止めるということは、領の農家からも買い取らないということだ。


 まあ、そんな一方通行の契約をカリアード家が結ぶはずはなく、スタイン商会の方に縛りはあるのだが、その話はここで言う必要はない。


「ミリア様、後はここではなくて、奥で……」


 これ以上は他の者には聞かせられない、と支部長は判断した。もうすでに遅いかもしれないが。


 だがミリアは首を振る。


「いいえ、ここでいいの。これは仕返しなんだから」

「仕返しというのは?」


 聞かれたミリアは肩をすくめた。


「アルフォンス様との婚約を破棄することにしたの。これは慰謝料代わりよ。困らせてやるわ。カリアード領の麦を一切市場に出さない」


 支部長は目を白黒させた。とんでもない理由だった。単なる痴情ちじょうのもつれだ。


「ですが、そんなことをしたら国内の麦が不足して大変なことになりますよ」

「大丈夫。ギルバート殿下が他から調達してくれるって約束してくれたから。私、ギルとは友達なの」


 さらりと言ったミリアの言葉が真実だと、この場にいる誰もが知っている。


 第一王子ギルバートがミリアに求婚したのは周知の事実だ。


 ギルバートをよく知る者であれば、男爵令嬢一人の言葉に振り回されるような人物ではないとわかるだろうが、古今東西、女にうつつを抜かして国を傾ける為政者は少なくない。


 れた女の頼みであれば、それも婚約破棄をする上での行動であれば、了承したとしてもおかしくはなかった。


 しかも今は王太子エドワードが不在である。その位のことは通ってしまうのかもしれない。


「商会にも多大な損害が」

「それも大丈夫。父さんには話は通してあるから。私に甘いの、知ってるでしょ?」


 甘いにも程がある。


 この場にいる誰もがそう思った。


 だが、会長の許可が下りているのなら、従業員にすぎない支部長には何も言えない。


「本当に、実行してしまっていいんですね?」

「いいって言ってるでしょ」

 

 ミリアは苛立いらだちを声ににじませた。


「せめて婚約破棄の理由を教えて下さい。解消ではなく破棄と言うからには、それなりの理由がありますよね」


 聞いてから、支部長は、しまった、と思った。


 衆人環視の中で聞くことではなかった。これこそ奥で聞くべきだったのだ。


 しかしミリアは目を伏せて答えた。涙声で、震えながら。


「アルフォンス様に、ひどいことをされたの……」


 それが決め手になった。


 支部長が指示を出すまでもなく、従業員が動き出す。


 スタイン商会は、とことん身内に甘かった。




 支部で具体的な方策の指示を出した後、ミリアは馬車に飛び乗った。


 目指すはフォーレン。商会の本部だ。


 ミリアがカリアード領の麦を市場から一掃しろと命じたことは、すぐさまフォーレンに伝わるだろう。


 早馬はやうまで伝達すれば、馬車で行くミリアよりもずっと早く会長フィンの耳に入る。


 ミリアが先ほど会長の許可を得ていると言ったのは真っ赤な嘘だ。


 決めたその足でギルバートに提案し、そのまま支部に行ったのだから、許可をもらう時間などあろうはずもない。


 だが、ミリアには勝算があった。


 ミリアのこのとんでもない行動を知ったフィンはどうするか。


 すぐに取り消したりはしない。絶対にミリアからの連絡を待つ。ミリアの真意を確かめるために。


 ミリアが何の考えもなくこんなことをするはずがない、と考えて。


 色恋沙汰いろこいざたでそこまでするほど、ミリアは浅慮ではないとフィンはわかっている。


 それだけの信頼を、ミリアはフィンから得ているはずだ。


 だからミリアは許可を得るのを後回しにした。


 そしてこれからみずから説明しに行く。


 ミリアが真実を告げれば、フィンは同意するだろう。


 カリアード家に恩を売ることで、損害は秘密裏にカリアード家から補填ほてんされる。


 カリアード家との繋がりはなくなってしまうが、元々貴族との繋がりを欲していたわけではない。恩があるから、領への出入りを禁止されることもないだろう。


 商会としての信頼は失うかもしれないが、直接被害をこうむるのはカリアード領だけだ。


 ミリアが婚約者アルフォンスからひどい扱いをされたと言ったことで、商会の身内に対してそのようなことをしたカリアード家の、自業自得と見る者もいるはずだ。前のストライキの時に、スタイン商会が身内を大切にしていることは知られているのだから。


 その全てをかんがみ、毒の含まれた麦を流通させたというとがを逃れられるのであれば、悪くない手だと言える。


 だからフィンはミリアの考えに乗る。


 娘のわがままを聞く振りをして。


 一番の貧乏くじを引くのはアルフォンスだ。ミリアに「ひどいこと」をしたといういわれのない罪を着せられることになる。


 それだけは申し訳ない。


 だがこれも、家と領民を守るために必要な犠牲ぎせいだとわかってくれるはずだ。


 アルフォンス様との婚約はなくなってしまうけれど。


 婚約を続けるための今までの努力も全て無駄になってしまうけれど。


 仕方がない。


 アルフォンスとの婚約破棄も、ミリアが切ることのできるカードの一枚だ。

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