第147話 これでも貴族ですけど?

 ミリアがフォーレンのスタイン商会本部に着いたとき、本部は大騒ぎになっていた。


 王都でのことはとっくに伝わっていて、フォーレンでも動いてよいのかと指示をあおぐ声が上がっていたが、予想通り、フィンは何の指示も出さずに、ミリアの到着を待っていた。


 そして、これも予想通り、フィンはミリアの考えに同調する。


 ミリアが説明を終えると、執務席に座ったフィンは、しばし黙考したのち、重々しく告げた。


「父さんもこれが最善だと思うよ」

「よかった」


 ミリアはほっと胸をなで下ろした。


 ここでフィンがカリアード家の衰勢など知ったことではないと判断し、全てをおおやけにすることを選んだならば、カリアード家は終わりだ。


「だけどミリィはいいのかい? アルフォンス君との婚約を破棄してしまって」

「いいの。どうせ私はそのうち解消を言い渡されただろうだから」

「そんなことはないと思うが」

「万一そのまま結婚したとしても、私とアルフォンス様は住む世界が違うもの。上手くいかなかったと思う」

「……そうかもしれないね」


 住む世界が違う。


 ミリアがその壁を越えようと努力していることを、フィンは知っていた。


 弟のエルリックは「ごっこ」と称したが、さすがは父親は娘の気持ちに気がついているのだ。


 どちらがミリアの幸せなのかはわからない。窮屈な思いをしながらいた男と一緒にいることなのか、気の合う男と結婚して自由に生きるのか。


 だからフィンは、父親としても、ミリアの選んだ道を応援することにした。


「本当に、いいんだね?」


 フィンが最後の念押しをする。


「うん」


 ミリアは強くうなずいた。その目に迷いはない。


「では始めようか」


 フィンが椅子から立ち上がる。


 人好きのする笑顔を保っているがその眼光は鋭い。


「私はコルドに行くね」


 フィンはフォーレンで商会全体の指揮を、ミリアはカリアード領で現地の指揮をる。王都では、騒ぎを知ったエルリックがすでに動いているだろう。


 あのとき王都支部にいた客によって、事態はとっくに広まっていた。


 エルリックは真相を知らされていないが、ミリアがやれと言ったのだから、確実に実行に移す。これから出るフィンの指示を待つことなく。


 ミリアはコルドに向かう準備を始めた。




 カリアード領は遠い。一日がかりの旅程になる。


 もうすでに日は落ちようとしていて、夜間の行程となった。


 視界は悪いので速度は出せず、夜盗にも気をつけなければならない。


 危険を最小限にすべく、ミリアは従業員と共に、二人でからの荷馬車に乗っていた。


 荷馬車は馬車より軽いから、馬の疲労が少ない。荷物が載っていないことが明白だから、夜盗にも襲われにくい。乗り心地は最悪だが、だからなんだというのだ。


 本当はミリアが馬に乗って行ければ一番早いのだが、ちょっとそこまでならともかく、ここまで長距離になると無理だった。


 二人で交互に荷馬車をあやつりながら、先に知らせを向かわせた途中の街の支部で馬を取り替えつつ、とにかく最速でコルドを目指した。


 先日アルフォンスと通ったのと同じ道を辿たどっているのだと思うと、不思議な気分になる。


 夜が明け、カリアード領に入って麦畑を見ると、なおさらだった。


 街道の周りの畑はもうり取られていた。すでに収穫時期は終わりに近づいている。


 あの時は、こんなことになるだなんて、思いもしなかった。


 アルフォンスのひざの上で抱えられて、どきどきしながら、カリアード領のことを教えてもらっていた。


 ミリアは自分のお腹に手を当てた。回ったアルフォンスの腕を思い出す。


 お休みなさいを言い合って、同じ屋根の下で眠って、一緒に朝ご飯を食べて――。


 まだ伯爵家に入るということがどういうことなのかわかっていなかった。婚約は一時の夢だと思っていた。


 それが、アルフォンスと共にいたいと心から思うようになり、相応ふさわしくなろうとした。上手くいっていると思っていた。


 その結果、この事態に気づくのが遅れた。


 アルフォンスと一緒にいたいなどと身の程知らずな夢を見なければ、こうはならなかったのだろうか。自分から一方的に破棄を言い出す事態になることもなく、短くも幸せな婚約者でいられたのかもしれない。


 パンッとミリアは両手でほほを叩いた。


 もし・・の話を考えても意味がない。今が全て。今できることをやるだけだ。


「眠いですか? 少し寝たらどうですか?」


 隣で手綱たづなを持っている従業員が、ミリアが眠気覚ましをしたのだと思って聞いてきた。


「大丈夫。目は覚めた」


 もう夢は見ない。幸せな夢は、昨日王都支部で、婚約破棄を宣言した時に捨ててきた。



 * * * * *



 コルドは、フォーレン以上の大騒ぎになっていた。


 商会本部からの支部への伝達ももちろんあったが、それ以外のルートでも伝わっている。商人同士の伝手つてもあるし、街の有力者だって、独自の情報路くらいある。


 ましてやこれは王都から始まった出来事だ。伝わっていないはずがない。


 商人たちのみならず、街全体がこの事態に揺れていた。


 ミリアの顔は知らなくとも、次期領主アルフォンスとスタイン商会会長の娘が婚約をしたことも、商会が領内の流通をになうようになったことも、田舎いなかの村ならともかく、コルドでは誰もが知っていたのだから。


 カリアード家最大の産業である小麦の栽培。それが流通しなくなるとしたら。


 直接それに関わらない職業の者でも、不安に思わないわけはない。


 ミリアがコルド支部に着いたときには、街の有力者たちが詰めかけていた。恐らく領内の離れた場所に住んでいる者も、急いで駆けつけたに違いない。


 一般市民は商会を遠巻きに見ている。気にはなるが、有力者の中に混ざるところまではできないということだろう。


 商会のコルド支部は、カリアード領の流通のかなめだ。流通を一手にになうようになってから、大きな建物に居を移している。


 決して狭くはない一階のロビーはぎゅうぎゅうで、カウンターに向かって怒号が寄せられていた。


 従業員たちはおろおろしながら、こぶしを振り上げる彼らをなだめようとしている。


 荷馬車から降りたミリアは人垣にはばまれ、入る事ができない。


 裏に回ることもできたが、ミリアは息を大きく吸って叫んだ。


「おじさんたち、邪魔なんだけど! 通してくれない?」


 野太い声の中、ミリアの声はよく通った。


 振り返った彼らは、なぜここに若い女がいるのかわからない。見たことのない顔だ。


「ミリア様」


 奥から、ミリアを見た従業員がほっとした声を上げた。


 その言葉を聞いて、中でも上等な服を着ている一人の男が、はっとする。


「ミリア・スタイン……!」


 あの夜会の出席者なのだろう。ミリアの顔を知っているのはあの場にいた者くらいだ。


 まあ、ミリアがピンクの髪をしていることは知っているだろうから、そうでなくてもわかりそうなものだが、ミリアは着飾ったあの時とは違い、平民同然の身なりをしている。言葉遣いも平民そのものだ。気がつくのが遅れても無理はない。


 ミリア・スタインの名に、ざわめきが広がっていった。


「入れて欲しいんだけど?」


 強い口調でもう一度言うと、人垣がさっと割れた。


 ミリアはその中を悠々と歩く。


 それを止める声が後ろからかけられた。


「待て」


 ミリアはゆっくりと振り向いた。


「なぁに、おじさん?」

「商会がうちの麦を扱わないとはどういうことだ!」

「どうって?」


 よく見れば、あの日ミリアに飲み物をこぼした酔っ払いだった。地主だったのか。


 周囲の男たちは事の次第を見守っていた。


「農民たちの生活はどうなる! まだ収穫の終わっていない農地もあるんだぞ!」

「さあ?」

「なっ!?」


 ミリアが首を傾げると、男は絶句した。


「領民を守るのは領主の務めでしょ? 私には関係ないもの」

「お前はっ、アルフォンス様の婚約者だろう! 次期伯爵夫人がそれでいいと思っているのか!?」


 そうだそうだ、とヤジが飛んだ。


「次期伯爵夫人として扱わなかったのはおじさんたちでしょ?」


 ぐっ、と男が言葉を詰まらせた。


 周囲を見渡すと、目をそらす者がちらほらといた。彼らも夜会にいたのだろう。


「それに、アルフォンス様との婚約は破棄することにしたの。次期伯爵夫人じゃなくなるんだから、もう関係ない」

「伯爵家との婚約を、お前ごときから破棄できると思うのか!」


 男は腕を振り上げた。


「ミリア様っ!」


 従業員がミリアを守ろうと駆け寄ってきた。


 だがミリアは冷ややかに男を見る。


「なら、私は次期伯爵夫人ってことになるんだけど、その私を殴るつもりなの?」

「くっ……」


 男は振り下ろしかけた腕を止めた。


「それに、お前ごとき、って言うけど、これでも私は男爵の娘なんだけど? わかってるの? 貴族への暴行がどういう罪になるか」


 憤怒ふんぬ形相ぎょうそうのまま、男は腕を下ろした。


 ミリアはわざと相手を怒らせるような態度を取っている。


 自分よりも年配の男にこんな口のき方をしているのもその一環だ。


 麦の流通を止めるのは、ミリアのわがままで通さなくてはならない。これは全部、いけ好かないスタイン商会の娘が婚約者への腹いせにやっていることだと思わせる。


 麦角ばっかく病のことを知られることなく、全てを収めるために。


「麦以外の品物を止める気はないから安心して。抗議は受け付けない。知ってるんでしょ? これはアルフォンス様への仕返しなの。恨むなら領主の息子を恨む事ね。伯爵様とだけは交渉に応じるわ」

「領主様は今ご不在で……」


 他の男がおずおずと発言した。


 ミリアがお貴族様・・・・であることを思い出し、周囲の反応も変わっていた。


 領主の予定を把握してるということは、カリアード家の関係者か、親しい者だろう。


「知ってる。だから今やることにしたの。邪魔されないように」


 ミリアは精一杯意地悪な顔をした。


「わかったら帰ってくれない? 他の業務の邪魔だから。それとも、全部の物流を止めたいの?」


 ミリアが、パンパンと手を叩くと、集まっていた有力者たちはひとまず出て行った。ここにいても何もできることはないからだ。


 商会が利益を求めて動いているのならともかく、これはミリアの感情から来ているものだから、交渉の余地がない。


 それよりも、この騒ぎの中でどう立ち回るかを考え始めた方がいい。


 中には従業員に話しかけている者もいるが、抗議ではなく、商談の続きのようだ。


 地主と思われる男たちは最後まで何か言いたそうに残っていたが、忌々いまいましいという顔をしながら、結局何も言わずに出て行った。


「ミリア様、私たちは何をすれば……」


 話しかけてきたのは、コルド支部長だった。


「もう行ってると思うけど、まずは領内の支店に改めて伝達。カリアード領の麦は一切仕入れないこと。動かさないこと。既に売った分は可能な限り買い戻すこと。他の品物は通常通りにすること。他の土地の麦は優先的に流すこと。抗議に来た人は全部追い返して。あと、農民が暴動を起こすかもしれないから、警戒をおこたらないこと」

「わかりました」


 支部長は神妙な顔つきでうなずいた。 


「それと、私に一部屋ちょうだい。領内の地理に詳しい人を寄越して。他にもやって欲しいことがあるの」


 麦の流通を止める裏で、麦角病の最新の被害状況を調べなくてはならない。

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