第100話 俺様すぎやしませんか

 次の日の昼休み、ジョセフはカフェテリアへと向かうミリアを呼び止めた。


「ミリア」

「何?」

「二人で話す時間をもらえないか?」


 ミリアが眉を寄せた。


「二人きりでなくてもいいんだ。使用人をつける」

「んー……ごめん」

「そっか……」


 ジョセフは断られる覚悟はしていたが、それでも面と向かって断られるのはこたえる。だが自業自得なのだ。ジョセフはそれだけのことをした。


「アルも呼んだらどうだ?」

「それって放課後の話だよね? アルフォンス様は忙しいんじゃない? それに私も手伝わなきゃ――」

「アルがいいって言ったらいいか?」


 ミリアの言葉に隙があり、ジョセフはそこに食いついた。


「まあ、雇い主アルフォンス様がいいって言うなら……」

「駄目だ」

「え?」


 突然横からエドワードの声がしたかと思うと、ミリアの肩に手を回し、引き寄せた。


「ミリア嬢はわたしの茶会に来るのだから」

「聞いてませんけど」

「だが来るだろう?」


 エドワードはミリアの頬に手を添えて自分の方を向かせると、自信たっぷりに言った。


「……行きます」

「今日は王宮で開く。正門に馬車を用意させるから、めかし込んで来てくれ」

「王宮で!?」


 ミリアが驚きの声を上げたが、エドワードはミリアの頭にキスをすると、何も言わずに離れていった。


 やり過ぎだ。口にこそ出さないものの、口調には拒否することは許さないという圧力があった。


 ジョセフはエドワードの傲岸不遜ごうがんふそんな態度に呆気にとられていた。


「あいつ、やり過ぎじゃないか?」

「ね。急に我が儘な王子サマになっちゃったよ」


 ミリアはジョセフを見上げた。


「……ジェフ、やっぱり、愚痴ぐちに付き合ってくれない?」

「もちろん! でも放課後はエドのところに行くんだろ」

「今いい? お昼庭園に行くんだけど、ジェフの分のご飯用意できるかな?」

「ミリアと話せるなら、一食くらい抜くよ」


 ジョセフはおどけるように言ったが、使用人に命じてしっかりランチを用意させた。





 ミリア行きつけの庭園は気持ちがよかった。


 季節は初夏。下級生は卒業パーティ後に夏季休暇に入る。


 常春とこはるのローレンツ王国では夏でも酷暑にはならず、外でも快適に過ごせる。日差しを暑く感じることはあるが、木陰は吹き抜ける風が気持ちよかった。


 庭園では夏の花が咲き誇り、木々の濃い緑が目を癒す。ミリアが毎日のように通う理由が良く分かった。水がきらきらと輝く噴水のある庭園もいいが、緑あふれる庭園もいいと思った。


 どこから聞きつけてきたのか、いつもはほぼ使われていないという周りのテーブルセットは、全てドレスで埋まっていた。日焼けを気にして傘を使用人に差させてまで来なくてもいいだろうに。どうせ会話まで聞こえる距離ではない。


 二人きりではないが、二人で話ができている。ジョセフはそれで満足していた。


「信じられないよね、何あの態度。人のこと何だと思ってるわけ? 権力使って思い通りにしようとするなんて最低。何で私がエドワード様と結婚しなきゃいけないの!?」


 ミリアはぷりぷり怒っていた。それでもサンドイッチにかぶりつく時だけは、にこにこと美味しそうに笑うのだから可愛い。


 ミリアはあまり愚痴を言わないから新鮮だった。内容がエドワードほかのおとこの悪口というものいい。


「好きだって言いながら、無理矢理結婚させるとか意味がわからない!」


 俺もできることならやってる、とは言わない。


「ジェフ、どうにかならないかな? 王妃になんてなりたくないの」

「ミリアはずっと言ってたもんな」

「私が他の人と結婚するなら諦めてくれるんだって」

「俺と結婚する?」


 ミリアにジト目をされた。うーん。傷つくなぁ。


「マジな話、俺と結婚すれば王妃にならなくて済む。ユーフェン家うちは身分に寛容だし、周りに平民も多いから気は楽だ。俺は騎士になるから、ミリアには領地の統治を手伝ってもらうことになるけど、ミリアはきっとそっちの方が得意だろ?」

「わかってるんだけどね」

「俺のこと嫌いになった?」

「それ聞く?」


 またミリアに半眼で見られた。何やったかわかってるの、という顔だ。ジョセフは無言で頷いた。


「……嫌いにはなってないよ。何だかんだでジェフといるのは居心地がいいし。だけどね――」

「好きではないって言うんだろ」


 ミリアが苦笑した。


「今後も俺を好きになってくれることはない? ゆっくりでもいいんだ。どうしても無理だったら婚約解消してもいい。もちろん俺が原因ってことで。俺の手を取ってくれないか?」

「ごめん」


 ずきりと心が痛んだ。


「王妃にならなくて済むとしても?」

「そういう打算でこたえることはできない。ジェフも本当は嫌でしょ?」

「俺はミリアが側にいてくれたらそれでいい。毎日朝おはようって言って、帰ったときにただいまって言ってくれたら」


 口に出してから、手を出しておいてその言い草はないな、と自分でも思った。


「嘘つき」


 案の定、ミリアは冗談だと思ったのか、くすくすと笑った。可愛い。


 ジョセフはミリアへの想いに我慢ができなくなるだけで、そう思っていることは本当だ。ミリアが家で待っていてくれたなら、厳しい訓練にも耐えられるし、万が一戦争に行くことになっても絶対に生きて帰れると思う。


「ミリア、俺は今度もう一度だけ聞くよ。その時に最後の返事が欲しい」

「わかった」


 エドワードは五日後の卒業パーティで婚約の宣言をすると言っていた。その時が最後のチャンスだ。


 一度は諦めようと思った想いだが、ミリアが倒れたことがこたえた。エドワードと同じだ。自分がミリアを守りたい。


 可能性が低いことはわかっているが、黙って見過ごすことはできなかった。ミリアがどうしてもエドワードと結婚したくないと思ったら、ジョセフの手をとってくれるかもしれない。


 次が本当に最後の最後のチャンスだった。




*****


 放課後、ミリアは王族の馬車に乗って、王宮に向かっていた。歩いて行ける距離だから馬車を使うまでもないのだが、そういう訳にもいかないのが貴族の面倒なところだ。


 昨日はムカついていてよく見ていなかったが、王族の馬車はすごかった。伯爵家アルフォンスの馬車でもお腹いっぱいだったが、比較しようもない。上には上があるものだ。


 床に敷かれている絨毯じゅうたんからして違う。新品のようにぴかぴかで、踏みつけるのが心苦しい。雨の日には靴を脱いで裸足で乗らなければならないのではないだろうか。


 前回王宮に来たときは、騎士に連行されながらだった。扱いは荒く、すれ違う人々の目は冷ややかなものだったが、その態度はがらりと変わっていた。エドワードの使用人に先導されたミリアは、会釈えしゃくこそされないものの、にこやかな顔で道を譲られる。


 前から度を越していたエドワードの執着が、この三日であり得ないほど強くなったことに敏感に反応しているのだろう。学園ではローズとの婚約ですら危ういのではないかとささやかれているほどだ。


 勘弁して欲しい。今後、王妃の権力を当てにしたピラニアが群がってくるのかと思うと、憂鬱ゆううつになった。


 案内されたのは、帝国の皇子クリスと再会したサロンだった。


 ふんだんに設けられた窓からの日差しは暖かく、暑くなりすぎないように窓が開けられている。甘い南国の花の香りが満ちていた。


「ミリィ」

「お招きありがとうございます、エドワード様」


 嬉しそうに微笑むエドワードに、ミリアは形式通りの挨拶をした。かしこまった言い方にエドワードの眉が寄るが、最初くらいはちゃんと挨拶しておかないと、とミリアは思っていた。


「ミリィ、おいで」


 エドワードが手を差し伸べる。ミリアが手を重ねると、ぐっと引かれ、腕の中に抱き込まれた。


「ああ、ミリィ、会いたかった」

「学園で会ったじゃないですか」

一時いっときも離れたくないんだ。そのドレス、良く似合っている。可愛い」


 不意にストレートに褒められて、ミリアの顔が赤くなった。褒められ慣れていないのだ。褒めてくれるのは家族と従業員くらいで、身内びいきがふんだんに込められている。


「照れる顔も可愛いな。もっとよく見せてくれ」


 エドワードはそう言うとミリアに顔を向けさせ、キスをした。


「エドワ――」


 ミリアがにらんで抗議の声を上げようとすると、口を指で押さえられた。


「昨日教えただろう?」


 むっとミリアは黙った。


「勝手にキスしないでください」


 エドワードが首をかしげた。


「これから口づけをする」


 返事を待たずに、またちゅっとキスをされる。


 この野郎。


「そういう意味ではありません! 許可を取ってください。許可を!」

「ふむ。ミリィ、口づけをするが、いいな?」

「駄目です」

「いいな?」

「駄目です」

「ミリィ、わたしの言うことは聞かないと駄目だろう? また仕置きをしないといけないな」


 そう言うと、エドワードは三回目の口づけをした。しかも今度は深い。


「んっ、んんっ」


 手を突っ張って思いっきり抵抗するが、エドワードの拘束はやはり解けない。


 目を閉じていないミリアには、エドワードのまつ毛がよく見える。視線を感じたのか、その目が細く開き、緑色の瞳がミリアを映した。


「ミリィ、キスをするときは目を閉じるものだ。そんなにわたしの事を見ていたいのか?」

「いいえ」


 目を閉じないのは、同意ではないのだというせめてもの抵抗だった。


「さて、そろそろお茶にしようか」


 その言葉に使用人たちがさっと動き出す。


 ちょっ! 二人きりじゃなかったの!?


 今の一連の流れを見られていたのかと思うと、羞恥心しゅうちしんが湧いた。恥ずかしすぎる。


 婚約者がいる身でこんな振る舞いをしているエドワードを見て、なんとも思わないのだろうか。王族は側妃が認められているから何てことはないのだろうか。


 いや、主人が何をしようとも空気のように振舞うのが使用人のあるべき姿であり、それを体現しているだけだ。気配を消していたところといい、完璧な裏方っぷりだった。


 王太子エドワードおん自ら椅子を引き、ミリアを座らせる。他人が見たら悲鳴を上げそうな光景だが――当初アルフォンスはミリアをたしなめていた――学園でのお茶会でも同様なので、ミリアが動じることはない。


 王宮のパティシエが作ったというケーキはそれはそれは美味しかった。知っている味だったので聞いてみたら、ミリアのお気に入りの店のパティシエを引き抜いたと言われた。店側が気の毒だった。




 お開きの時間になったとき、ミリアは、やっとか、と息をついた。早く自室に帰りたい。


 それを見たエドワードが顔をゆがめ、片手で目元を覆った。


「ミリア嬢」

「はい……?」


 突然呼び方が変わったミリアは不思議に思った。態度もいつものエドワードに戻っている。


「すまない」

「……何がですか」


 謝られる覚えならいくらでもある。


 エドワードがミリアをじっと見た。


「わたしは、どうしてもミリア嬢が欲しい。こんな方法でミリア嬢を縛るのは不本意だ。だが――」


 エドワードが一度躊躇ためらうように言葉を切った。


「わたしにはもう王太子としての立場を利用するしか道がない。許してもらえるとは思っていない。それでもミリア嬢に隣にいてもらいたい。昨日と今日、無理やり口づけたことも謝罪する。らしくないことをした。すまない」


 ああ、これもゲーム補正なんだ、とミリアはエドワードらしくない行動に合点がいった。


 この世界は、どうやってもミリアとエドワードをくっつけて、悪役令嬢と婚約破棄させたいのだろう。


 ミリアは何も言わなかった。

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