第98話 デートですよね……

 ジョセフは大いに混乱していた。


 ハロルド侯爵がスタイン商会をおとしいれた、だって? 裏帳簿を捏造ねつぞうし、冤罪えんざいをかけたのが、ハロルド侯爵……?


「家の取り潰しか、降格か。どちらにしろ、ローズとの婚約はなかったことになる」

「いや、だからって、ミリアじゃ王妃は――」

「ローズでなけば誰でも同じだ。これから王妃教育を受けるのは変わらない。ならば私はミリア嬢を望む」

「それにしたって――」

「他にふさわしい令嬢でも?」


 ジョセフは言葉に詰まった。


 他にはいない。幼い頃からローズが婚約者でいたのもあって、他の古くから続く名家の令嬢たちはすでに婚姻を結んでいるか婚約者がいる。ギルバートの隣を狙っていた令嬢も、一人二人と相手を決めていった。


「ミリアは、男爵令嬢だし、男爵だって一代限りで――」

「それがなんだ。そんなもの、高位の爵位を与えるだけで済む。スタイン商会が王国にとって重要だということは、たびたび議論されてきた。先日の騒動で国民もそれを知っただろう。元平民のミリア嬢を王妃にすればたみの支持も得られるだろうな」

「それは――」


 何を言ってもジョセフに勝ち目はなかった。ジョセフも理論武装できているわけでもない。ミリアをエドワードに取られるのが嫌で理屈をこねているだけだ。


「おい、アル、何か言えよ。いいのかよ」

「いいわけないでしょう。ミリア嬢を王妃にするなんて」


 アルフォンスはエドワードに本気で怒っているようだった。エドワードがミリアに執着することを一番嫌っていたのがアルフォンスだ。ミリアが王妃になることも許せないだろう。


「殿下、いくらこれから王妃教育を受けるとしても、ミリア嬢には素養がありません。礼儀やマナーがまだまだ身についていないんですよ。お話になりませんね」


 アルフォンスは首を左右に振った。


「そうか?」


 エドワードがアルフォンスを見上げる。


「アルが散々仕込んだだろ? 最近のミリア嬢の立ち居振る舞いはサマになっている。言葉遣いもいい加減覚えているはずだ。やろうと思えば令嬢らしい話し方もできるのだよ、ミリア嬢は。不足しているのは経験くらいだ。そんなもの、やりながらでなんとでもなる」

「外交はそうは行きません。一度でも失敗をして関係がこじれたら、修復できないかもしれないんですよ」

「ミリア嬢は諸外国に明るい。使者にとって、訪問先の王妃が自国に精通している事は、多少の粗相くらいかすむほどの好印象をもたらすと思わないか? 王妃教育において、他国の事情の学習が重要なことは知っているな? ミリア嬢はすでにできているのだ」


 アルフォンスが口をつぐんだ。エドワードの言う通りだった。


「ミリアの気持ちはどうするんだよ」

「仕方ない」


 エドワードが肩をすくめる。


「仕方ないで済むことじゃないだろ!」

「わたしだってミリア嬢の想いを踏みにじってまで無理を通すつもりはない。だが今、ミリア嬢には想い人がいないのだろう? ミリア嬢が誰か他の男の手を取るというならわたしは諦める」

「俺でもか?」

「諦めたのではなかったか?」

「ミリアが俺を選ぶと言ってくれたら話は別だろ」

「そうだな。だが、王妃になりたくないからという理由では許さないぞ。ミリア嬢が心から想いを寄せていると言うのなら退こう」

「後悔するなよ」

「しないさ」


 ジョセフは余裕の表情でいるエドワードをにらんだ。エドワードはミリアがジョセフのことを好きにはなっていないと確信しているのだ。そして悲しい事に、ジョセフもそれを自覚していた。


「ギルバート殿下だったらどうするんだ?」

「ミリア嬢にとって兄上は友人だ」

「ギルバート殿下が望むかもしれない」

「だから何だ。ミリア嬢が兄上を想っていないなら、わたしと状況は同じだろう。王太子わたしが命じれば兄上であっても反対はできない」


 ジョセフは目を丸くした。


 エドワードが、ギルバートを差し置いて自分の要求を通そうとしている所を初めて見たからだ。エドワードが大きな決断をするときには、ギルバートの意見もかんがみてやってきた。それだけエドワードにとってギルバートの存在は大きいのだ。


 本気だ、とジョセフはようやく思った。エドワードの決意は絶対にくつがえらない。


 王太子エドワードがこうと決めたのなら、止められるのは国王しかいない。そして、明確な反対理由がない限り、王子二人の自主自立を尊重する国王が止めるとは思えない。ローズ・ハロルドをないがしろにするならば止めたかもしれないが、その理由はなくなった。


「七日後の卒業パーティだ。そこでローズとの婚約を破棄し、ミリア嬢との婚約を発表する」


 エドワードははっきりと宣言した。王太子としての顔をしていた。




*****


 放課後、ミリアは念のため着替えてから正門に向かった。マーサがその方がいいと言ったからだ。


 それに、少しでも遅く行けばエドワードと一緒にいる時間が短くなる。別に二人きりの時間は長くてもいいのだけれど。目撃される確率はどのみち変わらないのだから。


 ドレスを選ぶのが面倒くさくてアルフォンスのときと同じクリーム色のドレスだが、まあいいだろう。


「よく来てくれた」


 馬車から降りたエドワードは柔らかい笑みを見せた。嬉しそうにしてはいるが、王太子命令なら来るに決まっているじゃないか、とミリアは半眼で見た。


 エドワードのエスコートで馬車に乗り込むと、エドワードは上座かみざをミリアに譲った。そして当然のようにミリアの隣に座る。


 ミリアが無言で向かいに座り直そうと腰を上げると、ミリアの腰に回ったエドワードの手がそれをはばんだ。


「今日はエドと呼んでくれ」

「嫌です」

「呼ぶんだ、ミリア・スタイン」


 有無を言わさぬ口調だった。それはご命令ですか、と聞こうと思ったが、聞いたところで肯定されるだけだとわかっていた。


「わかりました、エド様」

「ただの、エド、と。先日と同じように」

「エド」


 この間はがっかりしていたじゃないか、とミリアは憮然ぶぜんとして言った。なのに、エドワードは心から嬉しそうに笑った。


「ミリィ」


 エドワードがミリアの顔に手を添える。


「エドワード様」

「ミリィ、エド、と」


 ミリアがとがめたが、エドワードは改める気がないようだった。


 はぁ、とミリアはため息をついた。観念したのである。


「わかりました。どうぞ」


 ふふっとエドワードが笑った。ミリアの不機嫌な態度ですら愛おしいというように、目が細められる。


 こんなに王子サマに愛されるなんて、まるで乙女ゲームみたいじゃないか。


 ははっ。笑えない。


 あと七日。あと七日で卒業できるのに。どうしてこのタイミングでこんな強硬手段に出たのか。あと七日だからなのか。


 それとも……シナリオ通り、ミリアを階段から突き落としたのが悪役令嬢ローズだったのだろうか。


 一時いっときの怒りに任せてアルフォンスに話すんじゃなかった。黙っていればミリアの不注意で終わったのに。だって死んでたかもしれないと思ったらさすがに腹が立ったんだもの。


 正妃にしろ側妃にしろミリアの心境は複雑だった。正妃は大変だが、側妃は浮気が確定している。こんなに熱のこもった目で自分を見るくせに、ローズほかのおんなともベッドを共にするなんて。あぁ、嫌だ。そんな手で触られたくない。


 どんなに攻められたとしても、どのみちミリアはうなずかない。どうせ命令するならこんな回りくどいことしなくたっていいのに。


 エドワードはミリアを王都でも最高級のケーキ屋に連れて行った。相応の家格がなければ予約はおろか入店すらできない店だ。ミリアだけでは絶対に入れない。しかし、王太子エドワードを断る店などあるはずもなかった。


 店主でもあるパティシエ自らエドワードを出迎えた。ミリアを見ても、そしてエドワードがぴったりと寄り添っていても、顔色一つ変えないのはさすがだ。


 通された個室は、一つ一つの調度品が目が飛び出るほど高級で、有名な画家の絵画――だと思う――が飾られていた。天井画も迫力があった。


 お菓子はコース料理のように、少しずつ順番に出てきた。


 最高級店なだけあって、味はもちろんのこと、使われている食材も超一流、造作もっていて、量も順番も出てくる時間も最適、紅茶も美味しかった。


 だが、残念なことに、ミリアはその味を存分には楽しめなかった。状況が最悪だからだ。美味しいとは思いながらも無言で食べた。エドワードは終始笑顔だった。


 その後はこれまた超一流店に連れていかれる。今度は菓子店ではなく宝飾品の店だった。


「彼女に似合う物を」

「かしこまりました」


 エドワードがひとこと言うだけで、店主が張り切って品物を出して来た。これまた超高級な宝石を使った物ばかりだ。精緻な細工が施されていて、どう見ても一級品だ。


 十分な大きさがあるのに、完璧な透明度で、きず一つない。スタイン商会では扱えない代物しろものだった。


 これはどうですか、あれはどうですか、とミリアの首や耳に当てていく。店主はエドワードの顔色をうかがっていたが、エドワードはミリアを眺めているだけで、口は出さなかった。


「気に入った物はあるか?」

「ありません」

「どれでも好きな物を選んでいいぞ」

「ありません」


 ミリアが拒むと、店主の顔が真っ青になった。


宝石いしを交換したり、デザインしなおすことも致します。お客様の髪の色でしたら、こちらの宝石とこちらのデザインはいかがでしょうか。それともこちらの宝石にいたしましょうか」


 ピンクダイヤやエメラルドをすすめられるが、ミリアが頷くわけもない。


「一つくらい贈らせてもらえないか?」

「いいえ。婚約者でもございませんのに、贈って頂くわけには参りませんわ」


 ミリアがにこりと笑うと、店主が困った顔をした。


「店主、彼女の気に入る物はなかったらしい」


 エドワードは立ち上がり、ミリアの手を取った。


「も、申し訳ありません……」


 店主が縮こまって言った。同じ商売人としてミリアは申し訳なくなったが、買ってもらうわけにはいかない。


 その後も複数の宝飾店や仕立屋に連れて行かれたが、ミリアが頷くことは無かった。


 帰りの馬車の中、ぶすっと不機嫌なミリアと対照的に、エドワードは上機嫌だった。ミリアの腰に腕をしっかりと回し、外を見ながら鼻歌を歌っているほどだ。


 ミリアはすっかり疲れ果てていた。

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