第97話 行きたくないんですけど

 放課後、ミリアはエドワードのことばかり考えていて、仕事が手につかなかった。


「疲れているなら今日はもうやめましょうか?」

「いえ、疲れているわけじゃないです」

「一度休憩しましょうか」

「すみません……」


 ミリアはため息をついた。


 アルフォンスが使用人を呼び、お茶の準備がされる。目の前にケーキが置かれたが、申し訳ないことに全然ときめかなかった。


 一口食べてみたが、何の味も感じない。せっかく用意してくれたのに、と悲しくなる。


「お口に合いませんでしたか?」

「いいえ。美味しいです」


 作り笑顔をしたが、アルフォンスは悲しそうに目を伏せた。ああ、上手く笑えなかった。


「別の物を用意させますね」

「いいえ、違うんです」


 ベルを鳴らそうとしたアルフォンスを制止する。


「ちょっと、悩みごと……というか、困ったことになっていまして。すみません、私事わたくしごとで」

「仕事のことはいいです。それよりも、何があったか話してくれませんか?」


 ミリアは曖昧あいまいな笑みを浮かべた。アルフォンスの愚痴は聞いてあげられないのに、自分が話すのは悪いと思った。


「私には言えないことですか?」

「そういうわけじゃ、ないんですけど」


 どうせ黙っていても知られるか、と思った。エドワードが話すかもしれない。それに、明日仕事を休むことになるのだ。言わないわけにはいかなかった。


「エドワード様に明日王都に出ようって言われました」


 ミリアは手に持ったカップに視線を落としながら言った。


「殿下が? 了承したんですか?」

「しなかったんですけど……王太子命令だって」

「……」


 アルフォンスからのリアクションがない。ミリアが顔を上げると、アルフォンスは目に手を当ててうつむいていた。エドワードの暴挙に呆れているのだろう。


「行かなきゃ、駄目、ですよね?」


 はあぁぁぁぁぁ、とアルフォンスが長い長いため息をついた。


「ですよねっ、エドワード様の命令ですもんねっ」


 王太子命令に逆らうつもりなのか、という意味だと思った。


「ああ、違うんです。今のはミリア嬢にではなく、エド――殿下に対してのもので……少し混乱していて」

「私もまさか命令されるとは思いませんでした」


 一度顔を上げたアルフォンスは、再び目を覆った。


「でも行かなきゃいけないなら、悩んでも仕方ないですよね」


 ミリアは意識して明るい声を出した。


「私のせいですね」

「どうしてですか?」

「先日私がミリア嬢をお誘いしたからでしょう」

「いえいえ、私も行くと決めたわけですし」


 騒がれる覚悟はしていたが、ここまでするとは予想できなかった。


「行きたくないんですか?」

「行きたくないですね」

「なぜです?」


 アルフォンスは思いつめたような顔をしていた。そりゃそうだよな、自分のあるじがこんな行動に出たんだから。


「面倒な事になるに決まっているからです。ローズ様に知られたらどうなると思います? 何考えているんでしょう」

「ですが、私とは行ってくれました」

「それは……」


 アルフォンスが不憫ふびんだったから、とは言えない。皇子クリスとのことをミリアが知っているのは秘密だからだ。


「あそこのアップルパイは前から食べたかったんです」


 アルフォンスがぱちぱちと目をまたたかせた。


「なるほど……」


 口元に手をやり目をそらすアルフォンス。たぶんこれは笑われている。目は笑ってないけど。


 甘い物に釣られたと思われた。実際それもある。あるけど、それだけじゃないんだって! 自分だってスイーツ男子のくせに……!


「殿下が美味しいケーキのお店に連れて行くと言ったら、誘いに乗りますか?」

「え、嫌です」

「そうですか」


 アルフォンスが大きく頷いた。ミリアの回答に満足したらしい。ミリアだってそこまで馬鹿じゃない。


「ジェフならどうです?」

「えぇー……」


 どうしてジョセフのことを聞くのだろうか。


「まあ、行きますかね。美味しそうだったら。でも現地集合、現地解散、個室不可ですね。うーん……やっぱり面倒なので行きません」

「そうですか」


 アルフォンスが平坦な声を出した。そう言えばアルフォンスにはジョセフを推されてたな、と思い出す。でももうこりごりだ。複数人で話すくらいならいいけど、二人きりにはなりたくない。


「エドワード様とのデートって、何着てけばいいんでしょう」

「デート?殿下とのはデートではないでしょう?ミリア嬢は行きたくないんですよね?命令で行くならデートとは言いませんお付きです」

「え、あ、はい、そうですね」


 アルフォンスが流れるように言ったので、ミリアは若干圧倒された。そんなに力説しなくてもいい気になったりしませんよ。


「服装なんて何でもいいですよ。そのまま行けばいいんじゃないですか」

「え、そうなんですか? なんだ、てっきり着替えないといけないものなのかと。お茶会は着替えるのに、デー……お付きは着替えなくていいなんて、やっぱり難しいですね」


 ミリアは困った顔をした。外に出て人に見られる時の方がちゃんとしなくてはならないのではないだろうか。


「いえ、普通はきちんとした服装をしなければいけません。ですが、殿下は気にしないでしょう。ミリア嬢が着飾る必要はありません」

「あ、はい」


 またもアルフォンスは大きく頷いた。


「エドワード様はどこ行くつもりなんでしょう。どうせ付き合うなら、高いドレスかアクセサリーでもねだっちゃおうかな」

「駄目です!」 


 アルフォンスが突然大きな声を出した。びっくりした。


「えっ、冗談ですよ、もちろん」


 ミリアが手を振って否定すると、アルフォンスはほっと息をついた。


「そんなことしたら余計面倒なことになるって私だってわかってますって。エドワード様が買ってくれるって言っても固辞します」

「ええ、断って下さい。絶対に」

「はい」


 さっきから何なのだろうか。やたらアルフォンスの口調が強い。ミリアが何かやらかすのではないかと心配なのはわかるが。


「恐らく殿下は、ミリア嬢を菓子店に連れて行きます。食べたらすぐに帰ってくるんですよ。殿下が仕立屋や宝飾品の店に連れて行こうとしても断って下さい。行ったら最後、きっと押しつけられます。指輪や緑色の宝石いしは絶対に、絶対に、受け取ってはなりません」

「わかってますって。ていうか、さすがにエドワード様もそこまではしませんよ。ローズ様がいるんですから」


 する気なんですよあの人は、というアルフォンスの呟きはミリアには届かなかった。


「聞いてもらったらすっきりしました。ありがとうございました」

「お役に立てたらよかったです」


 ミリアはケーキの二口目を頂いた。今度はちゃんと美味しかった。幸せだ。


 にこにこしていたら、またアルフォンスに笑われた。


 


*****


「そうだ。ジェフ、今日は執務室に来なくていいぞ」


 昼休み、学園の個室で食事をしていたエドワードは、ジョセフとアルフォンスを前に上機嫌で言った。


「わかった。会議か?」

「いいや。私用だ」

「珍しいな」

「アルにも言っておく。ミリア嬢は今日仕事を休む」

「昨日聞きました」

「おい、なんでミリアが休むってエドが知ってるんだよ」


 いぶかしむジョセフに、エドワードはドヤ顔を向けた。


「ミリア嬢と王都に出ることにした」

「はぁ!? なんで!」

「アルと行ってわたしとは行かない理由はないだろう?」


 エドワードはジョセフではなくアルフォンスに向かって言った。


「ちょ、待て、アルはミリア嬢とデートしたってのか?」

「……デートとは人聞きの悪い。少し話をしただけです」


 デートだろう、とエドワードは思った。


 いつの間にそんな間柄になったのか。アルフォンスが商会を通してミリアを雇っているという話は把握していたが、完全に油断していた。アルフォンスがミリアを好きになることはないだろうが、ミリアの方はどうかわからない。


「男と女が二人で出かけたらデートじゃねぇか。――俺も誘ってくる」

「ジェフ、あなたはミリア嬢を諦めたのでしょう?」

「ぐ……」


 勢いよく立ち上がったジョセフが椅子に座り直した。


「諦めたのか。それはいい」


 エドワードはそれを歓迎した。ジョセフの想いはどうせむくわれないのだ。


「ミリアがエドと出かけることを了承したってのか?」

「してないが、来るだろうな」

「なんでだよ」

「殿下が命令したからですよ」

「マジか……」


 ジョセフが絶句した。


「それは禁じ手だろ。好きな女に立場を使って命令するとか男のすることじゃないぞ」


 エドワードは、ジョセフのにらみを涼しい顔で受け流した。


「わたしはミリアと婚約することにしたんだ」

「は?」


 ジョセフはぽかんと口を開け、アルフォンスは目を覆ってうつむいた。呆れているのだろう。だが、これはもう決めたことだ。絶対に譲らない。


「いやいやいやいや。求婚したところでミリアは受けないぞ。エドだってわかってるだろ。散々フラれてるんだから」


 歯にきぬ着せぬ物言いがエドワードの胸にぐさっと刺さった。


「……お前には言われたくない」

「ミリア嬢は了承するでしょうね」

「しないだろ。王妃にはなりたくないって言ってた。エドの事を好きとも思えない」


 ぐさぐさっとまた言葉が突き刺さる。少しはオブラートに包んでもいいだろうに。


「それでもするんでしょうね。王太子殿下がご命令するんでしょうから」

「そういうことだ」


 エドワードは椅子にもたれて足を組み、腹に両手を置いて微笑んだ。


「……最低だな」

「何とでも言えばいい」

「見損なったわ」


 ジョセフの軽蔑の視線を受け、エドワードは上体を起こし、執務机に組んだ手を置いた。


「ミリア嬢が意識不明だと聞いたとき、わたしはミリアを失うのかと思うと怖くて仕方がなかった。もうあんな思いはしたくないのだ。わたしがミリアを守ると決めた」

「そんなの俺だって……!」

「悪いな」


 ジョセフがぐっと言葉を詰まらせた。伯爵令息ジョセフでは王太子エドワードの権力には太刀打ちできない。普段は対等に振舞っていても、その差は歴然なのだ。


「ミリアを側妃にするなんて許さねぇぞ」

「まさか。ミリアは正妃にする」

「ローズ嬢はどうするんだよ」

「ローズとの婚約は白紙に戻る」

「そんなことができるわけない。俺だって貴族の端くれだぞ。中立派のハロルド侯爵を敵には回せないだろ」

「敵には回らない。なぜなら――」


 エドワードは自分の口角が上がっていくのがわかった。


「スタイン商会をおとしいれた犯人が侯爵だからだ」

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