第96話 酔ってるんですか?

 二人の間に沈黙が下りた。


 ミリアはもう話は終わったと思っているだろう。しかしアルフォンスはまだここにいたかった。ミリアの負担になっていることがわかっていても。


「あの、お加減はいかがですか」

「大丈夫ですよ。痛い所もありません。捻挫ねんざしていたみたいですが、もう治ったみたいです」


 本当だろうか。ミリアは強がっているのでは。


「見せて頂いても?」

「いいですけど……」


 ミリアがカーテンの隙間から手を出した。


「まだ包帯が巻かれているではないですか」

「巻いてあるだけで痛くはないんです」

「本当ですか?」

「本当です」

「触ってみてもいいですか?」

「え?」


 アルフォンスはミリアの返事を待つ前に、アルフォンスはその場にひざまずき、ミリアの手に触れた。小さくて柔らかい手だ。


 思ったよりも冷たくて、アルフォンスはぬくもりを与えるように、両手で包み込んだ。


「痛くはないですか?」

「そう言っているじゃないですか」


 ミリアが半分笑って言った。


「もしかして、寂しかったんですか? 私がいなくて」

「そうです」

「えっ?」


 冗談めいた口調のミリアに、つい本音で答えてしまった。


「一人で休憩するのは味気ないんですよ」

「あ、ああ! そうですよね! すみません、お仕事お休みしちゃって」

「いいんです。今はゆっくり休んでください」

「はい。ありがとうございます」


 アルフォンスは、お大事に、とミリアに声をかけ、部屋を後にした。危なかった。口を滑らせてしまった。


「遅かったな、アル」

「何してたのかなあ、アルフォンス様は。俺たちをほっぽって」


 ミリアに講義に戻れと言われたのだが、エドワードとジョセフはまだそこにいた。ジョセフなどはもう三日もサボっているのに。


「先日の事件のことですよ」

「スタイン商会のか」

「アルがミリアと検証してたんだもんな」


 エドワードが、ぐぬぬ、と悔しがり、ジョセフも悔しそうに舌打ちをした。


 アルフォンスは否定しなかった。二人を勘違いさせたままにしておく。嘘はついていない。ミリアが階段から突き落とされたのは、先日だし立派な事件だ。


「私は忙しいのでこれで」


 早く犯人を見つけ出さなければ。


「ああ、ジェフ、明日からはちゃんと講義に出てくださいね。私用でサボるとユーフェン家に迷惑がかかりますよ」

「わかってるよ」


 ジョセフが疲れた声で言った。


 アルフォンスは講義室の方へと向かった。講義に戻るためではない。生徒が多くいるところに行くのだ。


 三日前のランチどきに、クリーム色のドレスを着た令嬢がハンカチを落として行った。返却したいのだが誰だかわからない。


 そう聞いて回れば、誰がその色のドレスを着ていたのかも、彼女たちがその時間どこにいたのかもすぐにわかるだろう。使用人に調査を命じるより早い。


 アルフォンスの目論見もくろみ通り、放課後にかけてうろうろしながら聞き込みをするだけで、必要な情報はほぼ集まった。


 アリバイ工作をされていることを警戒して複数の目撃証言を集めたが、矛盾した証言はなかった。発覚するわけがないと思っているのか、それとも衝動的な犯行だったのか。


 怪しいのは三人。クリーム色のドレスを着ていて、昼休みに一人でいる時間があった令嬢たちだ。その中にアルフォンスが疑っていた人物が含まれていて、やはり、と思った。もうほぼ決まりだろう。


 これだけで確定はできないが、対象を絞りこむことができた。


 あとは本人に直接どこにいたかを聞いて、その反応を見てさらに絞りこみ、アルフォンスの判断が正しいことを示す証拠を探すのだ。


 証言通りの場所にいたことを確かめるのではなく、そこにいなかったという証言を集め、矛盾を指摘して突き崩すのがいいだろう、と思った。




*****


 次の日、ミリアは朝から講義室に行った。ようやく復帰だ。寮の自室には昨夜のうちに戻っていた。


 放課後、ミリアは仕事の再開を申し出たが、アルフォンスに断られた。今日は帰って休めと言われたのだ。休んでばかりで申し訳なかった。


 そのさらに次の日、放課後の仕事は再開された……のだが、アルフォンスはミリアを気遣って二回もお茶休憩を挟んだ。


 しかも、ケーキだとクリームで具合が悪くなるかもしれないし、一切れ丸ごとは食べきれないかもしれないから、とイチゴを用意してくれた。ソツがなさ過ぎて嫌になる。


 実のところ、休憩を二度挟んでくれたのは、へとへとだったミリアにはありがたかった。疲労は事件のせいではなく、昼間の他の生徒の視線と噂話のせいである。


 卒業前で遠慮がなくなったのか、楽しめるのはあと少しだと思われているのか、人目をはばかることを知らない勢いだった。学園での三年間、特にこの半年で鍛えられたはずのミリアが疲れるのだから、相当である。


 そのくせ彼女らはエドワード達三人の前では大人しくしている。貴族の変わり身の早さにはいっそ感心する程だった。


 倒れたせいでエドワードが過保護になっていて困った。講義室の間を移動するだけなのにエスコートなぞ要るものか。


 ジョセフなど階段で抱き上げようとする始末。いやマジお姫様だっことか勘弁してください。自分の足で歩けないなんてむしろ怖いわ。この前までのよそよそしさはどこ行った。


 それがまた冷たい視線の原因になるのだが、彼らは気づいていないのだろうか。普段と変わらないアルフォンスの様子がありがたかった。


 休憩のお陰でいつもと同等のパフォーマンスを維持できていたミリアだったが、アルフォンスがいつもより随分早くに業務終了の宣言をした。まだ日が落ちたばかりだ。


「私は続けられますよ?」

「いいえ、早めに休んで下さい」

「そうですか? ではお言葉に甘えます」


 ミリアは書類や筆記用具を整理して、アルフォンスの前に立った。


 ハグをすると思ったのだ。


 だが、アルフォンスが腕を広げることはなかった。


「明日もお願いします」

「え、あ、はい」


 アルフォンスが扉を開けてくれたので、ミリアはそのまま部屋を後にした。




*****


 ミリアが執務室から出て行ったあと、アルフォンスは閉じた扉に額をつけてうつむいていた。扉に入っている精緻せいちな彫り込みが食い込んで痛い。


 ミリアが目の前で抱擁を待っていてくれたのに、緊張しすぎて動けなかった。


 久しぶりに二人きりになれて舞い上がってしまったのだ。一昨日も二人きりで話したが、あのときは顔を見ることができなかった。


 平静を装うだけで精一杯だった。感情を顔に出さないのはこんなに大変だっただろうか。幼少期からの訓練がなければただただ緩みきっている所だった。


 七日ぶりの抱擁で、その瞬間を待ち焦がれていたというのに、何もできないとは。


 はっきり言ってヘタレだ。


 アルフォンスは自分の情けなさとチャンスを不意にした後悔でうめいた。




*****


 急にハグがなくなって、残念な気持ちよりも戸惑いの方が強かった。


 今日はそういう気分じゃなかったということか。それともミリアが何かしたのか。


 犯人探しをお願いしたのはやはり迷惑だっただろうか、とへこむ。


 一昨日は、別に構わない、という様子だったが、アルフォンスは感情が読みにくいのだ。今からでもエドワードに頼った方がいいだろうか。


 それともデートで何かやらかしたのか。愚痴を聞いてあげられなかった。ミリアはただ食いの上に、一人で思い切り楽しんでしまった。


 そこまで考えて、はっと気がついた。


 きっとリリエントと何かいいことがあったのだ。だからミリアで人恋しさを埋める必要がなくなった。


 互いの愛を確かめたとか、ハグができたとか、キスができたとか、あとまあ色々。


 良かったね、と思えた自分が嬉しかった。ちゃんと感情をコントロールできている。推しの幸せは自分の幸せなのだ。





「ミリア嬢」


 次の日の午後の休み時間、ミリアは廊下の壁に追い詰められていた。どんっ、と顔の横に手が突かれる。人生二度目の壁ドンだ。


 金色の長い睫毛まつげに縁どられた明るい緑色の瞳が、ミリアの目をのぞき込んでいた。


 貴公子ぜんとしていて、毎度王子様みたいだなと思う。黙っていれば。全然ときめかないけど。


「何でしょうか、エドワード様」


 ミリアは不機嫌さを隠さずにエドワードを見上げた。


 何やらかしやがるんですかね、この王太子サマは。廊下ですよここ。わかってらしゃらないんですか頭診てもらったらどうですか一発殴ってあげましょうか叩いたら治るかもしれませんよ。


「先日アルと王都に出たと聞いたのだが?」


 ミリアは顔をそむけ、ちっ、と心の中で舌打ちをした。


 面倒なことになった。行く前に一度覚悟はしていたものの、一週間も何も言われないから、このまま知らないままでいてくれないかな、と密かに期待していた。


 だが噂が耳に入ってしまったようだ。誰かに正門で見られたんだろうな、と思った。


 ミリアはエドワードに視線を戻す。


「それが何か?」

「わたしとも行ってくれるな?」


 エドワードはひじを曲げ、金色の前髪が顔に付きそうな所まで顔を近づけた。ミリアがちょっと顔を動かせば、王太子のくちびるを奪える距離だ。無防備すぎないか。


「嫌です」

「なぜ?」

「行きたくないからです」

「ミリア嬢」


 エドワードは少し顔を離し、ミリアの指先を手に取ると、ちゅっとキスをした。


「いいだろう?」

「嫌です」


 こんなに強気なエドワードは久しぶりだ。キャンキャンとジャンプしながら足にまとわりついて来るポメラニアンのくせに。


 エドワードがミリアの耳元に口を寄せた。距離がぐっと縮まり、二人の体が触れ合う。


「わたしはミリア嬢のことが好きだ。どうかこたえてくれないか?」

「なっ!?」


 ささやくように言われ、ミリアは思わずエドワードを突き飛ばした。


「ひどいな」


 エドワードが楽しそうに笑う。


 いや、笑っている場合じゃないから。


 ミリアは顔が真っ赤になっていた。


「そ、それはっ、言っちゃ駄目なやつですよっ!」


 周りに聞こえていなかったかとびくびくと見回した。立ち止まり、ひそひそと話をしているギャラリーはたくさんいたが、今のエドワードの声は聞こえていなかったらしい。


「そうか、ミリア嬢はここまで言えば意識してくれるのか」


 エドワードが今度は嬉しそうに笑った。とろけるような笑みである。


 いやだからっ、なんで笑ってるの!?


 あんたには婚約者ローズがいるでしょうよっ! 他の女に告白なんかしちゃ駄目でしょう!


 それだけはないと確信していたのに。


 エドワードが再び壁ドンをした。今度は両手が顔の横に置かれる。


「逃がさないと決めた」


 真剣な顔だ。ミリアの目が泳ぐ。


 その視界のすみにローズの姿が見えた。ローズは目を丸くした後、ぐっと目に力を入れてミリアをにらんだ。


 ミリアはさっと顔を青くした。修羅場になると思った。ここで婚約破棄されるのは困る。大いに困る。


「え、エドワード様、様子が変ですよ? お酒でも飲んだんですか?」

「まさか。わたしは素面しらふだ。酒の力を借りるほど意気地なしではない」


 素面ならなんでこんなことしてるんですか。


「明日の放課後、正門で待っている」

「嫌です。行きませんから」


 エドワードはもう一度ミリアの耳に顔を近づけて、爆弾を落とした。


「王太子命令だ」


 そして、ちゅっと耳の手前にキスをした。


「なっ! なっ! なっっ!」


 ミリアは耳を片手で覆い、ぱくぱくと口を動かした。エドワードはミリアから体を離し、もう終わったから散れ、とギャラリーを追い払った。それは非常にらしくない行動なのだが、ミリアはそれどころではない。


 王太子命令!?


 王太子命令って言った!?


 私が嫌がるって知っていて、何でそんなこと言うの!? 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る