第78話 また寝ぼけたんですね side アルフォンス

 ミリアとジョセフの婚姻の話をギルバートとした後、アルフォンスは図書館の閲覧スペースに行った。


 本を読んでいるミリアが、珍しく表情をころころと変えていた。最近はアルフォンスの存在を気にしていたのか、百面相は久しく見ていない。


 ミリアの機嫌はよさそうで、これならジョセフとのことが聞けるかもしれない、と思った。


 一ヵ月後の卒業式は夏が始まる時期にあたる。今は色とりどりの花が咲く、春真っ盛り。柔らかい春の日差しが窓のガラスを通してさらに柔らかくなり、アルフォンスの眠気を誘った。


 ミリアの助力で仕事ははかどっているが、代わりに嫌がらせの調査に時間をとられていた。


 報告書を読み、新たな指示を出すのは夜だ。自分で調べるべきこともあった。ミリアへの攻撃がエスカレートしていく中、成果が出ないことに焦り、睡眠時間を削っていた。


 眠ってはいけない、と先日の失態を思い起こす。立ち上がり、歩き回れば少し収まるだろうが、読書を楽しんでいるミリアの邪魔をするのははばかられた。


 うつらうつらとしながら、ミリアといるのは居心地がいい、と思った。


 表裏がなく、嫌な物は嫌、好きな物は好きだとはっきりと言う。感情が表情にありありと浮かび、わかりやすい。弱みを見せても害されることはない、と信じられるだけの安心感がある。


 キィキィと高い声でわめかない。びた目をしない。猫なで声を出さない。べたべたと触らない。香水のきつい匂いがしない。言葉の裏の真意を汲み取れという態度を取らない。


 アルフォンスが黙々と仕事をしていても、会話が仕事のことだらけになっても、文句一つ言わない。邪魔をしてこないのでわずらわしい思いをしない。


 手を止めたタイミングを見計らって話しかけてきたり、苦手な分野は丁寧に説明してくれたりと、細かな気遣いがある。


 そして何より、打てば響く会話だ。何を聞いても返ってくる。答えを持たない問いには推測や意見が飛んできた。ミリアの指摘は鋭く、提案は面白かった。雑談でさえ、時間の無駄だとは思わなくなった。


 元平民だからなんだ。商人の娘だからなんだ。礼儀作法が多少不出来なくらいなんだ。ミリアの価値はそこにはない。むしろ、その生い立ちだからこそ獲得し得た物だ。将来的に平民に戻ろうとも、その価値は失われない。

 

 共に王太子エドワードの補佐をしていければいいのに、と思った。ミリアが隣にいれば、様々な政策を打ち出し、そして実現させていけるだろう。


 ふと、ひたいに何かが触れる気配がした。瞬時に払ってもおかしくなかったが、不快には思わなかった。


 ゆっくりと目を開ければ、ミリアがすぐ目の前で真剣な顔をしていた。見ているのはアルフォンスの目線の少し上のあたり。ミリアはアルフォンスの前髪を触っていた。


 結局寝てしまったのか、とぼんやりと考えた。


「何をしているんです……?」


 ミリアの手を取ると、ひゃっ、と悲鳴が上がった。


 そうだ、ミリアはアルフォンスに触れられるのを嫌がっているのだった。自分から触れてきておいて、触られたくないというのも不可解だが。


 ミリアは何も言わなかった。いたずらが見つかってしまった子のような表情で、気まずそうに目をせわしなく動かしていた。以前も同じことがあった。あのときは未遂だったが、前髪を狙っていたのか。


 きょろきょろとさ迷っていたミリアの視線は、アルフォンスの視線にぶっかった途端、ぴたりと止まった。びくっと目をわずかに見開くと、かぁっ、とミリアの顔が紅潮していった。


 先日アルフォンスがほほに触れたときと同じだ。潤んだピンク色の瞳に、アルフォンスが映り込んでいる。ミリアは目をそらさない。


 嗜虐しぎゃく心がそそられ、それでいて庇護ひご欲もわく表情だった。


 かわいいな、と思った瞬間、どくり、と心臓が跳ねた。


 会いたい、とこぼしたエドワードの顔。

 キスをした、と口を覆ったジョセフの手。

 愛をいたい、と言ったギルバートの声。

 帝国に連れて帰る、と宣言したクリスの態度。

 

 妻に迎えるのも悪くない、と考えた自分。


 それらが次々に頭に浮かんだ。かと思うと――


 パンッ


 耳元で突然大きな音がして、遅れて頬が熱くなった。


 平手打ちをされたのだと分かったのは、ミリアが走り去った後。


 ミリアに口づけた――。


 口元に手をやり、自分のしでかしたことにしばし呆然ぼうぜんとした。叩かれて当然の行いだ。


 自分の行動が理解できなかった。


 また寝ぼけたのだと自身を納得させる他なかった。









 その夜、王宮に大きなニュースが飛び込む。


 スタイン商会本部で、奴隷売買の証拠が発見された、と。

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