第79話 私はやっていません

 泣き疲れて眠ってしまったミリアを起こしたのは、激しく扉を叩く音だった。


「お嬢様っ! お嬢様っ、入りますねっ!」

「どうしたの、マーサ」


 ミリアはれて重たくなった目蓋まぶたをなんとか上げて言った。泣きすぎて頭ががんがんする。


 ぼんやりとした頭は、しかし、マーサに続いて入ってきた騎士たちの姿を見た途端に覚醒した。


「騎士!?」


 淑女しゅくじょの寝室に許しなく足を踏み入れるなど、騎士のすることとは思えない。しかもミリアはまだ寝台ベッドの上にいるのである。髪は降ろしたままだ。


 加えてここは女子寮だ。騎士とはいえ入ってきていい場所ではない。


「王宮へ来てもらう」


 騎士は険しい顔をして、突然ミリアの腕を乱暴につかんだ。胸の紋章は第二騎士団。王都の治安維持を担当する。


「なに、どういうこと!?」


 引きずり降ろされたミリアは腕を背中で拘束こうそくされ、無理やり立たされた。マーサも騎士の一人に拘束されている。


 別の騎士たちは、寝室にあるクローゼットや棚の中を漁り始めた。寝台のシーツもはがされる。


「何するのっ! やめてっ!」


 ミリアの悲鳴は無視され、居間へと引きずられていく。


 その部屋でも同様のことが行われていた。


 机の引き出しはひっくり返され、サイドテーブルの引き出しも同様だった。新調したソファのクッションには短剣が突き立てられ、びりびりと布が引き裂かれていく。窓辺に飾ってあったエドワードからもらったブーケも、花を引き抜かれて騎士のブーツで踏みにじられていた。


 まるで家探やさがしだ。


 そう思ったミリアは正しい。事実、家探しなのだから。


 私物が乱暴に扱われていくのを、ミリアは茫然ぼうぜんと眺めていた。


「隊長、衣装棚の中にこんなものが!」


 寝室から一人の騎士が掲げながら持ってきたのは書類の束だ。


 クローゼットの中に書類? 何を言っているんだ。どうしてそんな所に保管する。


「こちらにもありました! 隠しポケットです」


 ソファを確認していた騎士が声を上げた。その手にも紙の束がある。いやいやソファに隠しポケットとか、意味がわからない。


「隊長、机に王太子殿下と王子殿下からの手紙が」


 ばさばさと床に広げられていくのは、いくつもの封筒だった。今までミリア宛に送られて来たものだ。レターセットと一緒に、二番目の引き出しの中に入れていた。


 騎士が隊長に見せたのはその中の数通。


 封筒に見覚えがある。騎士の言う通り、ギルバートとエドワードからの手紙だ。


「これだけ封が切られていません」

「確認しろ」


 それは、ギルバートからもらった最後の手紙だった。大嫌いだと言ってしまったあとに受け取って、読むのが怖くて仕舞い込んでいた手紙。


「やめてっ! 勝手に開けないで!」


 ミリアが制止の声を上げたが、それは逆効果だった。ペーパーナイフも使わずに封筒を手で乱暴に破られ、中の紙が引っ張りだされる。


 はらりと床に落ちたのは、ギルバートに返信するための封筒だ。複数枚ある。四枚か。


「どうしてこんなに……」

「ギルバート殿下からの正式な手紙のようです。謝罪が書いてあります。また、いつでも連絡するように、と」


 呟いたミリアは、勝手に読んだ騎士の言葉に納得した。ギルバートはミリアを責めてはいなかった。それどころか、ミリアから連絡できるようにと、あんなに封筒を……。


「ギルバート殿下が関わっているとは思えないが、証拠として持って行け」


 持って行く? ギルバートの手紙を? どうして? 証拠? 何それ。


 騎士はそれ以外の手紙もまとめて木箱に入れた。床に落ちていた分も全て。私信をなぜ持って行かれなければならないのだ。証拠とはどういうことだ。


 外に出せない手紙は全て燃やしている。だからといって、大切な手紙を取り上げられるいわれはない。


「放してっ! どうしてこんなこと……!」


 隊長、と呼ばれていた騎士が、ミリアをにらんだ。


「スタイン商会に、奴隷売買の容疑がかかっている」


 は?


 ミリアはぽかんと口を開けた。恐らくマーサも同じ顔をしている。


 奴隷売買の、容疑?


「そんなのっ、今までだってずっと……!」


 疑われ続けて、調べられて、毎回何も出てこなかったではないか。出ないに決まっているのだ。そのような事実はないのだから。


「売買の裏帳簿が見つかった」

「……え?」


 何を言っているの?


 そんなものがあるわけないじゃない。だってやってないんだもの。孤児院から引き取った子供たちは、みな教育を受けてやがて従業員になっていく。途中でいなくなった子なんていない。


 孤児院の記録も、従業員の記録もある。


 そのとき、ふと、庭園で令嬢たちに囲まれたときに言われた言葉を思い出した。父親フィンが何をしているか。


 ――貧民街の孤児を売買していますのよ。


「貧民街、の、孤児……」

「やはり知っていたか。来い。取り調べだ。――お前ら、念入りに調べろよ」


 ミリアは先程からミリアを拘束し続けている騎士と隊長に腕をつかまれ、引きずられるようにして自室を出た。


 他の部屋のドアは薄く開けられ、そこから令嬢たちの目がのぞいていた。だが、ミリアは彼女たちの視線を感じなかった。


 貧民街の孤児を売買していただって? 子供をさらって売ったと言っているのか?


 馬鹿げている。父さんがするわけない。


 そんな記録、見たことがない。

 資金の流れに怪しいところはない。


 国に調べられるたびに自分でも確認した。不審な点を尋ねられたら答えなくてはならないからだ。


 だが――。


 学園に在籍していたこの三年間、ミリアの目が行き届いていたかといえば、断言はできない。


 だとしても、エルリックがいる。エルリックだって確認しているはずだ。ミリアが学園に入る前からやっていたように。


 それとも――父子ふたりでやっていたの?


 ああ、嫌だ。考えたくない。そんなことあるわけない。

 あの二人に限って、そんなこと。


 ミリアとマーサ、そして交代の準備をしていたアニーは、騎士団の別々の馬車に乗せられ、王宮へと連行された。




「何も知りません。私はやっていません」


 王宮の一室でミリアは取り調べを受けていた。


 一見豪華な部屋で、座ったソファもふかふかだったが、ミリアの後ろには三人の騎士が目を光らせている。目の前のテーブルにティーセットはない。


 貴族の令嬢として、一応は丁寧な扱いをされているのだろう。マーサとアニーがひどい待遇じゃないか心配だった。


 二人も別々の部屋で取り調べを受けているという。一番最初に口を割ると刑を軽くしてくれるらしい。まんま囚人のジレンマである。誰も話さないのが全員にとって最良だが、抜け駆けされたくないあまりに先に話してしまうというあれだ。


 だがミリアには確信があった。二人が話すわけがない。何も知らないのだから。


「これは部屋から出てきた書類の写しだ」


 大きな事件だからと、団長直々じきじきの取り調べだという。徒労に終わるというのにご苦労なことだ。


 ミリアの目の前に置かれたのは三枚の紙。一枚は指示を出す手紙、一枚は売買記録、一枚は収入と支出の書かれた出納すいとう帳。


 信じられないことに、三枚とも奴隷売買についての記録だった。手紙はミリアが出したものを記録としてミリア自身が複製したもの、二枚は商会からの報告書だそうだ。


 意味が分からない。そんな手紙を出した覚えはないし、そんな報告書を受け取ったこともない。


 大体、危ない手紙の複製をわざわざ作るわけがないではないか。手紙だなんて危ない手段も使わない。


 二枚の報告書だってそうだ。ミリアなら確認後に確実に燃やす。記録に残る物はなければない方がいい。


 馬鹿にしているのか、と思った。これは何の茶番劇だ。


 さっさと吐いて楽になれ、なんて刑事ものドラマで使い古されたセリフが飛んでくるが、知らないものは知らない。適当に罪を認めたところで、供述と事実の間に矛盾が生まれ、虚偽だとすぐに露呈するだろう。


「手紙は私が書いたものではありませんし、報告を受けたこともありません」

「ならこれを見ろ。見つかった書類の原本だ。自分の筆跡だろう?」


 似ている、と思った。丸っこい字だ。


 だが、全く同じか、と言われればそうではない。例えば、斜めの直線の角度や筆圧が抜けて流れるところ。誰かが似せて書いたものだと一目でわかった。


「私の筆跡ではありません」


 だがそれは、自分だからこそわかったことなのだろう。騎士は納得しなかった。ミリアが書いたものだと確信しているようだった。


「このインクも封蝋ふうろう印璽スタンプもスタイン嬢が使用しているものと同じだ」


 団長は、手紙が入っていたという封筒の封印と、比較用にミリアのレターセットを使って封をした別の封筒を並べて置いた。


 インクと封蝋はわからない。同じ色に見えるが、成分の比較をしてみなければ確証は持てない。そして、恐らく王国ここの技術では確認できない。それに、市販のものだ。全く同じ商品を手に入れることも容易だろう。


 しかし、印璽スタンプは、ミリアが見る限り、同じに見えた。金属の手彫りなのだ。印鑑と同様で一つ一つ異なる。重ねてみなければ断言できないが、本物に見える。


「私の部屋には、少なくとも三度、侵入者がありました。その時に写し取ったか、本物を使ったのでしょう」

「寮の部屋にか? それはあり得ない。苦しい言い逃れだな」


 団長は鼻で笑った。ミリアだって、学園の寮に侵入者が現れるなんて思ってもみなかった。


「証拠もあります。切り刻まれたハンカチと、切られたドレスと、血をかけられたドレスです。あれだけひっくり返したのだから見つけていますよね」


 血、という単語に団長が反応したが、ミリアの言葉を遮ることはなかった。


「そのような報告は受けていない」

「それは連絡体制に不備があるようですね。油紙に包んでありますから、きちんと確認してください。それに、寮の責任者には実物を見せていますし、学園長にも苦情を言いました」


 団長は信じていない様子だったが、騎士の一人に調べるよう命じた。


 それと入れ替わりに一人の騎士が入ってきて、団長に耳打ちをした。


「そうか」


 団長はミリアに鋭い目を向けた。


「侍女が自供した。スタイン嬢に命じられ、手紙や言伝ことづてを運んだそうだ」

「はぁ!?」


 ミリアは思わず頓狂とんきょうな声を上げた。


 やってもいないことを自供するなんてどうかしている。理解できない。もちろんミリアは命じてなどいない。


「自供したのはアニーという赤毛の方だ」

「アニー……?」


 そんなわけ……。


 信じられなかったが、アニーならできる、とも思った。ミリアが寝ている夜中、ずっと部屋にいるのだ。ミリアの筆跡がわかるものはそこら中にある。レターセットを使うのだって簡単だ。偽造した書類を部屋の中に置くことも。


 どうしてアニーが?


 最初のハンカチとドレス。あの事件があって、ミリアはマーサとアニーを寮に連れてきた。武術の心得があるアニーに夜勤を任せた。その後事件はぴたりと収まり、ドレスを血で汚された事件があって、弁償として汚れたソファを新調した。


 最初の二件はアニーをミリアの部屋に置くため?

 それ以上続かなかったのはアニーを呼んだから?

 ドレスを汚したのは、ソファを取り換えさせたかったから?


 アニーが犯人だと仮定すると今までの出来事と符合する。

 


 つまり、ミリアはアニーにめられたのだ。

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