第55話 ロリですかショタですか

 翌日、学園では午後の講義が終わったころの時間。


 帝国の皇子おうじとの茶会を終え、アルフォンスら三人は王宮のエドワードの執務室に戻ってきた。


「つっかれたー……」


 どかっと三人掛けのソファーに座ったジョセフは、背もたれに両腕を回して天井を仰いだ。エドワードは執務机に両手を投げ出して無言で突っ伏している。


 扉の前で立ったままのアルフォンスも、二人の行儀の悪さを指摘する気力はない。


 皇子と激しい議論を交わし、疲労困憊ひろうこんぱいしていた。


 国土を広げることこそ国の発展につながるとする帝国の皇子と、国内の文化や技術発展を優先させる王国の三人。双方の意見を汲んで上手く収めてくれるギルバートがいなかったため、議論はいつまでも平行線のままだった。


 永遠に続くかと思われたが、幸いにも皇子には次の予定があったため、時間切れとなって終了した。それがなければ晩餐会ばんさんかいまでもつれ込んだかもしれない。

 

 アルフォンスは懐中時計で時間を確認した。ミリアはもう図書館に来ているだろう。


「私は仕事があるので、これで」

「おー、がんばれよー」


 ジョセフが天井を見上げたまま気の抜けた声を出し、エドワードは突っ伏したままひらひらと片手を振った。


 アルフォンスは二人を見てあきれた声を出した。


「殿下は政務、ジェフは鍛練たんれんでしょう?」

「言うな」

「言うなよ」


 見事にハモっていた。




 アルフォンスが図書館に着いたときには、予想通りミリアはすでに閲覧席にいた。


 読書の邪魔をしないよう静かに正面に座り、両手で抱えてきた書類の山を仕分けていく。


 ミリアは相変わらず百面相をしていて、つい見てしまう。やはり昨日書類をさばいていた人物とは思えない。


 読み終えて、目を閉じふぅと息をついたミリアは、アルフォンスに気がついてびくりと体を震わせた。


「……びっくりしたぁ。いるなら声かけて下さいよ」


 ミリアは、むぅ、と口をとがらせた。アルフォンスが来るのはわかっているのだから、心構えくらいしておけばいいのに。


「邪魔をしてはいけないと思いまして」

「私はお手伝いをしに来たんですよ」


 言いながらミリアは本を横に置き、はい、と片手を出した。


「本当にいいんですか?」

「約束守ってくれるんですよね?」

「当然です」


 昨日片づけた分よりも多く渡したのに、ミリアは文句一つ言わなかった。白紙とペンも渡す。


「今日は精算しなくていいです。確実に誤っているものをハネて下さい。印だけつけてもらえれば訂正はいりません。不自然な項目のチェックもお願いします」

「わかりました」


 精算は他の者にやらせることにした。ミリアにやってもらうのは勿体もったいない。ミリアにしかできないことを頼みたかった。


 ミリアは自分の前に書類を一枚置き、その横にハンカチを置くと、ペンを握った手の親指と人差し指で引っかき始めた。


 昨日、途中からやっていた仕草だ。


 ミリアは癖と言っていた。目は書類を追っていて、その間手は止まらない。変わった癖だが、その方が集中できるというのなら止める理由はない。茶会でしようものなら即とがめるが。


 アルフォンスも昨日とは違うことをしていた。ミリアと同じことをする意味がないことがわかったのだから、そっちはミリアに任せ、自分にしかできないことをやった方がいい。


 次から次へとミリアの書類のたばは薄くなっていき、三つの山に振り分けられていった。


 こんなことをしなくても、エドワードにせがめばケーキの十個や二十個喜んで用意してもらえるだろう。


 それ以前に、ミリアが自分で用意することだってできるのだ。屋敷の使用人に買いに行かせればいい。今は侍女がいるというのだから、もっと容易だ。


 なぜ手伝ってくれるのだろう。


「なぜ、手伝ってくれるのですか?」


 口に出ていた。


「え? ケーキ、用意してくれるんですよね?」

「はい。お好みの物を好きなだけ。なんなら店ごとお贈りしますよ」

「それはちょっと……」


 店を丸ごと買って、ミリアの好きなときに好きな味を好きなだけ作らせるくらいのことをしてもよかった。


 だが、困り顔で断られ、ミリアがその気になればスタイン商会の財力を持って系列店に加え、会長の娘権限で同じことができるな、と考えて思い直した。


「伯爵家ってみんなこうなの……?」


 ミリアが斜め下を向いて何かを呟いたが、アルフォンスに聞き取ることはできなかった。


「ケーキでは割に合わないと思うのですが……。やはり商会を通して報酬を――」

「いいですいいです」


 ミリアは体の前で両手を振った。


「私も楽しんでいますから。謎解きみたいで面白いですよね」

「面白い……?」


 アルフォンスにとっては父親から出された課題であり、仕事のような物だ。実際卒業すればしばらく同じことをするのだろう。人を使えるようになるのはその後だ。


「それに、アルフォンス様も大変なんですよね? 帝国の皇子が来てるなんてびっくりですよ」

「ミリア嬢、どこでそれを……?」

「エドワード様の手紙に書いてありましたけど……あれ、もしかしてこれ言っちゃ駄目でした?」


 アルフォンスは片手で顔を覆ってうつむいた。出した本人が箝口令かんこうれいを破ってどうするのだ。


「誰かに話しましたか?」

「いいえ」

「侍女にも?」

「はい。……って、私侍女連れてきたって言いましたっけ?」


 監視しているとは言えない。


「箝口令が敷かれているので漏らさないで下さい」

「エドワード様……」


 ミリアは迷惑そうな顔をした。知らなくて良いことは知りたくないのだろう。情報は力になるが、知らないことが身を守ることに繋がることもあるからだ。


 あの馬鹿王子が、と口が動いたのがわかったが、不敬だととがめはしなかった。アルフォンスも同じことを思っていたからだ。


「着替える暇もないくらい忙しいんですか?」


 ミリアの目線がアルフォンスの上半身をさまよった。


「ええ、まあ……」


 値踏みされているような視線だ。いや、実際値踏みされているのだろう。恐らくミリアはレースからボタンまで全ての値段をはじき出している。


 伯爵家嫡男として恥ずかしい服装をしているつもりはないが、居心地はよくない。


 代わりにミリアの服装を見れば、相変わらず地味なグレーのシンプルすぎるドレスだ。しかし、少し上品な印象を受けた。


「ミリア嬢もいつもと様子が違いますね」

「あ、わかります? さすがアルフォンス様。これ新作の生地きじを使ってるんです。光の加減で青がが入るでしょう? 来年あたりに流行る予定です」


 ミリアが上半身を左右にわずかに回した。


「宣伝ですか?」


 来年用にしては早すぎる。


「まさか。見せ物になるのはごめんです。サンプル用の生地が余って無料タダだったので作りました」

「サンプル用の生地……」


 アルフォンスはがくりと肩を落とした。


 スタイン商会の娘がそんなせせこましいことをしなくてもいいだろうに、と思った。華美かびを好まず、物欲もないのは、元平民という育ちだからなのか。それとも商人の娘だからなのか。


 婚約者からの贈り物も、宝飾品やドレスより、甘味かんみか花の方が喜ぶのだろう。


 婚姻によって生活水準が下がることを女性は嫌うものだが、ミリアであればどの家でも散財を心配することなく迎え入れられるに違いない。


 一瞬婚約者のことが浮かんで嫌な気持ちになり、眉間にしわが寄った。


 いつの間にか、ミリアは書類に向き直っている。雑談は終わりだ。アルフォンスも書類に目を落とした。

 

 

「アルフォンス様、これいつの書類ですか? ……二年前ですか。なら、この地域の麦の価格が高かったので不思議ではないですね。……理由? 長雨ですよ」


「アルフォンス様、関税高すぎるんですけど、わざと遠回りしてません? ……落石の影響? それでも近い迂回路うかいろありますよね」


「この値段で輸出していたら利益が出ません」


「工期の割に人件費が少なすぎると思います。ちゃんと支払われたんでしょうか」


 精算するのをやめたことでミリアが処理する書類の数が格段に増え、不審だと判断される書類も増えた。


 怪しいというだけでクロではない。これから書類をつき合わせて精査すれば大方シロと判断されるだろう。だが、片っ端から調べるより遥かに効率がいい。


 そろそろ切り上げなければ、という時間になって、アルフォンスはミリアの手が止まるのを待った。


「ミリア嬢、今日はこの辺で」

「私はまだ大丈夫ですけど」


 ミリアが目を窓に向けた。外はまだ明るい。


「私が王宮に戻らなくてはならないので」

「この後もお仕事ですか? 大変ですね」

「夕食をとるだけです」

「それ、おう……じゃない、使者の方と一緒ですよね? 緊張でご飯の味がわからなくなりそう」


 絶対嫌だ、というように、ミリアは顔をしかめた。


 我が国の王太子とは日常的に昼食や茶会をしているというに、帝国の皇子おうじには緊張するのだな、とアルフォンスは意外に思った。それとも、ミリアは昼食時も給仕をされながらコース料理を食べるのを嫌がるので、型式ばった場になるからということなのだろうか。


「これ、数字が誤っている書類です。こっちが恐らく正しいもの。でも中には誤りもあるかもしれません」

「ええ、構いません」

 

 どさりと渡された書類を見て、さて誰にやらせようか、と思いを巡らせた。使用人にさせるのもいいが……。


「ミリア嬢、相談があるのですが」

「なんでしょう?」

「スタイン商会に人材派遣を一人依頼することはできますか?」

「できますよ。求める能力によりますが」

「計算が速く正確にできること、平民であること、そして――」


 アルフォンスはミリアの前で、指を一本ずつ立てていく。ミリアは一つ一つうなずいていた。


「――幼い子供であること」

「子供ですか?」

「はい。できますか?」


 できるはずだ。スタイン商会は孤児を引き取り、教育をほどこしているのだから。


「幼い、とはどのくらいですか?」

「できるだけ。そうですね……弟君おとうとぎみよりも若いのが理想です」

「エルリックよりも!? そうすると見習いになってしまいます。それだと商会うちとしても成果の保証ができないので難しいですね」


 何となくミリアの目が怖い。


「ではこれではどうでしょう。十歳未満の子供を三人希望します。ご想像通り、やってもらいたいのはこの書類の精算です。三人に同じ書類を計算してもらい、彼らの計算間違いを減らします。また、例え彼らが間違えても責任を問いません」


 ミリアの目がさらに鋭くなる。


「そんなに小さな子は見習いにもなっていません。無理です。まだ礼儀作法も言葉遣いも覚えてません。お客様に派遣するなんて失礼なことはできません」

「構いません。計算が速く正確で、平民であれば」


 いるだろう。例えばあのときに馬車に乗っていたような子供が。


「派遣先はどこですか? いつからですか? 一日の労働時間は? 期間はどのくらいです? 内容はこういった書類上の数値の計算、具体的にはかけ算と足し算でいいですか? 文字の読み書きはできなくてもいいですね?」


 アルフォンスはミリアの問いに一つ一つ答えていった。


「……わかりました。商会本部に問い合わせてみます。条件に合う子がいれば、プロフィールをリストにしてお渡しします」

「助かります」

「ただし!」


 ミリアが人差し指をぴっと立てた。


「きれいな字は書けません。私と同じ速さは期待しないでください。該当する子がいなければ十歳以上の子を提案します。遠くから呼び寄せる場合は時間がかかります。開始時間、終了時間、休憩時間、労働環境、休日は別途相談です。子供では一日に長時間働くことはできません。そして最後に――」


 ミリアの挑戦的な目がアルフォンスに向けられる。


「――特別な条件なので高いですよ。どうして子供が必要なのかは存じ上げませんが、大人の方が安いかもしれません」

「構いません」

「……そうですか。では期待しないで待っていてください」


 ミリアはアルフォンスをきつくにらんだ。


 機嫌を損ねてしまったらしい。何が悪かったのかアルフォンスにはわからない。


 何も言えないうちに、ミリアはつんっと顔を背け、本を手に去って行った。


 条件に合う子供はいるだろうか。幼ければ幼いほどいい。何の書類か理解できないくらい。字が読めないのが理想だ。ミリアのように察しがよすぎると面倒だ。


 これでミリアを無償で――正確にはケーキ代で――借りている分の対価を、少しでも商会に支払えるといいのだが。高額になるのはむしろ都合がよかった。


 書類を整えて立ち上がり、両手で抱え持つ。


 門前に待たせている馬車に乗り込むとき、大事なことを忘れていたのに気がついた。


 ミリアと明日の約束をしていない。

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