第54話 たいしたことないと思いますけど side アルフォンス

 茶会の当日、ミリアは復調した。あと一日回復が遅ければ茶会は欠席できたが、どうせ日を改めて再び招待されるに決まっているのだから、風邪が早く治ったのは喜ばしいことだ。

 

 元気そうな顔を見てほっとしたが、アルフォンスはミリアを避けていた。承諾を得ずに勝手に事故を収めてしまったことが後ろめたかったのだ。


 放課後、講義室を出て行くミリアを見て、気が気じゃなかった。上手くやれるだろうか。変なことをやらかさないだろうか。我が子を旅に出す親はこんな心境なのかもしれない、と思った。


 結局、ミリア自身は上手くやったようだった。


 問題を起こしたのはリリエントだ。そしてそのきっかけを作ったのが、なんとアルフォンスだった。

 


 ミリアがハロルド邸の茶会に出席している間、アルフォンスたちは王宮のエドワードの執務室にいた。


 茶会が終わればその様子はすぐに広まるだろう。学園の生徒に限らず、みなミリアに注目している。


 エドワードは使用人に調査を命じており、アルフォンスはそれを待ってそわそわしていて、それは他の二人も同様だった。


 そしてもたらされたのが、ミリアがエドワードの正妃になることを望んでいて、それを聞いたローズが泣きながら席を立ったという話だった。

 

 エドワードは突然の吉報にわけがわからないという顔をしながらも喜んでいて、ジョセフは何やら叫んでいて、アルフォンスは固まっていた。

 

 ミリアが正妃を望んでいる? そんな馬鹿な。

 

 事実が歪曲わいきょくされているのは明らかだった。つい先日、ミリアはエドワードのことをきっぱりと拒絶していたのだから。


 ジョセフがよろよろと執務室を出て行ったので、アルフォンスもそれに続いた。


 急いで屋敷に帰り、詳細を調べさせてみれば、後半の、ローズが涙を流しながら席を立ったというのは事実だった。


 問題は前半で、ミリアが正妃を望んだのではなく、リリエントが望んではどうかと言ったそうだ。今まで一度も逆らったことのないリリエントが、ローズに牙をむいた。


 リリエントはアルフォンスが贈ったネックレスを見せびらかし、ローズの婚約者エドワードがミリアに夢中になっていることをほのめかして、ローズを見下したのだった。


 リリエントの顕示欲を甘く見すぎていたアルフォンスの失態だった。男社会では愛されることがステータスにはならないというのもあり、予測できなかった。


 これにより、ただでさえ変化の激しかったミリアの周囲の環境は、さらなる変化に見舞われた。


 ちやほやされ、またねたまれていたかと思えば、王宮がエドワードの婚約者は変わらずローズであると異例の発表をしたことで手のひらを返され、それでも変わらずミリアのがわにいる生徒もいる。


 それは各家のスタイン家に対する姿勢の現れでもあった。


 ネックレスのことでますます合わせる顔がなくなったアルフォンスは、ミリアから徹底的に逃げた。何か言いたそうな目で見られているのがわかっていても、どうにも向き合えない。


 それをジョセフに指摘され、ネックレスのことを話せば、ジョセフはすぐに真相を見抜いた。さすが女性の心理にさとい。


 自分にもこれくらいの敏感さがあればよかった、と思った。


 アルフォンスはミリアに王妃が務まるわけがないと主張した。茶会だけでもいっぱいいっぱいなのだ。王妃ともなれば他国の賓客ひんきゃくとの晩餐会ばんさんかいなども頻繁にある。粗相の一つもせずにこなせるとは思えない。


 何より本人があれだけ嫌がっている。覚悟があっても難しいのに、嫌々なら無理だろう。


 だが、ジョセフは、ユーフェン家は状況によっては推すかもしれないと言った。


 元平民のミリアが王妃になれば、今よりもさらに平民を優遇する政策がとられるだろう。実力派で近衛騎士団を率いるユーフェン伯爵としては、ローズよりもミリアを正妃に、正妃でなくとも側妃に、と考えても不思議ではない。


 そうすると、貴族派筆頭のミール家がミリアを正妃にと言い出した理由がわからない。


 その疑問をジョセフにぶつければ、リリエントは家の事情は考慮していない、と言われた。


 ジョセフの言う通りだ。リリエントは自分の欲望に従ったまでで、家の都合など考えていないだろう。カリアード家に入っても同じような振る舞いをされるのかと思うとうんざりする。

 

 ミリアを中心に、貴族派と実力派の均衡が崩れ始めた。互いの勢いを決定づけるものとして、ミリアは自身の意思とは無関係に双方に振り回されることになる。


 カリアード家は貴族派だ。だから家としてもミリアを王妃にすることには反対で、それはミリアの希望と一致している。そして、王妃になるくらいなら他の貴族――ジョセフと結婚してくれというアルフォンスの願いは、ジョセフの希望と一致している。


 ミリアがジョセフの求婚を受けてさえくれれば、全ては丸く収まるのだった。


 問題はどうすればミリアの気持ちが変わるのかということだ、とアルフォンスが内心頭を抱えた。


 だいたい、エドワードもエドワードだ。ミリアにかまけていないで婚約者ローズと仲良くやっていればいいものを。


「王太子としての自覚を持って欲しいのですが」

「去年まではそんなことなかったよな……。ミリアは傾国の美女だったりして」

「美女……?」


 アルフォンスがぼそりとこぼしすと、ジョセフが不可解な言葉を口にした。


 美女? ミリアが? 美女……?


 傾国の、まではわかる。スタイン商会の出方によっては本当になりかねない。だが、美女かと言われれば、首をひねるしかない。


「美女は違うかもしれないけど、かわいいだろ」

「可愛い……?」


 ジョセフは憮然ぶぜんとしていたが、それでもアルフォンスには理解できなかった。


 ミリアは不美人ではないが、美人でもない。美醜にこだわりのないアルフォンスがそう思うのだから、不美人だと言う人もいるだろう。


 恋愛フィルターというものがあるらしいのは知っているが、あいにくアルフォンスは持っていない。ゆえにミリアに可愛らしさを見いだすことはできなかった。


 そういえば、ギルバートもミリアは女性としても魅力的だと言っていた。


 他の部分は同意できても、こればかりは全く同意できなかった。

 


 ミリアは次第に他の生徒と交流を持つようになっていった。廊下や講義室で会話をしているのを見かけるし、庭園でランチを共にすることもあるという。彼女ら全員がミリアのがわにいるとは思えないが、貴族と仲が深まることはいいことだ。

 

 エドワードがミリアと話している令息にいちいち嫉妬しっとしているのがうるさかった。器が小さすぎる。彼らもまさか王太子に妬まれているとは思っていないだろう。


 水面下では各家が動いていたのかもしれないが、表面上は何事もなく、ミリアの学園生活は久しぶりに安定しているように見えた。



 そんなある日、ルーリッヒ帝国から親書をたずさえた使者が突然王宮にやってきた。


 大陸で最も力を持つ国の使者ともなれば、下手な対応はできないと急遽きゅうきょ迎え入れたのだが、その使者というのが第一皇子おうじだった。


 王宮は上へ下への大騒ぎ――にはならず、皇子本人から自分が来たことは伏せて欲しいと言われ、箝口令かんこうれいが敷かれた。


 大々的に歓待するわけにもいかなくなり、国の重鎮が対応するのではなく、使者がたまたま年齢が近かったからということにして、王太子エドワードが対応することになった。皇子の希望でもあるらしい。


 当然ジョセフとアルフォンスも駆り出され、ギルバートもエドワードの補佐をすることになった。


 連日茶会や晩餐会ばんさんかいが開かれ、王都や近郊の案内もあり、四人とも学園に行けなくなった。


 直接ミリアの様子を確認できないのは心配だったが、監視はさせている。風邪の時に呼んだ侍女と、もう一人別の若い侍女を突然呼んだという報告はあったが、それ以外は特に何もなく過ごしているようだった。


 反対に、日がたつにつれアルフォンスの方の余裕がなくなっていった。


 図書館改修工事の横領を暴いた功績が父親に認められ、他の事業についても調べろと大量の書類を渡されて、学園に通いながらなんとかこなしていたのだが、皇子が来たことにより時間がとれなくなったのだ。


 王宮で必要な情報を集めていては時間足りず、図書館でデータ集を見ながらやった方が効率がいいと考えた。


 多少古い情報を参照することにはなるが、誤りを見逃す恐れよりも、数をこなして一つでも不正をあぶり出す方が優先される。どうせアルフォンスがやらなければ見逃されていたものだ。


 学園に行くには少々派手な服装ではあったが、晩餐会までしか時間がないため、着替えるのも惜しく、そのまま向かった。


 図書館は外部の利用者にも使いやすいよう、正門とは別の門のすぐ近くにあり、馬車でそこまでいけば、他の生徒とも会わないだろうと思った。


 真っ先に閲覧席を眺め、ミリアの姿がないことを確認した。ほぼ毎日通っていると報告を受けていたのだが、今日は来ていないようだ。


 急いで必要な書籍を集め、さっそく閲覧スペースで仕事に取りかかった。


 何枚か片づけたあと、ふと視線を感じた。目を上げると、そこにいたのはなんとミリアだった。本を持っていることから、今来たところなのだと思われた。


「何の用でしょうか?」


 気まずさから、思った以上に冷たい声が出た。


「先日のこと、お礼とおびを――」

「気にしなくていいと伝えましたが?」

「私が気にするんです」


 図書館ここでの事件のことは、本当に気にしなくていいと思っていた。アルフォンスが勝手にやったことだし、家の為にもなった。元々不正を見つけたのもミリアのおかげなのだ。


 その時のことを思い出し、これは救いなのかもしれないと考え直した。ミリアの良心につけ込む形になってしまうのは申し訳ないが、今は猫の手も借りたい。


「そんなに言うのでしたら、手伝ってもらえませんか?」


 書類を一枚ミリアに差し出した。


「数字を確かめればいいんですか……?」

「ええ」


 今回はできれば精算して欲しい。


 しかし、厚かましすぎると思い、希望は伝えずに紙とペンをミリアの前に置くだけに留めた。ペンがなければ精算できないと言っていたのだから、渡せばやってくれるかもしれない。


 ちらりとミリアの顔をうかがえば、アルフォンスのことを見ていた。ミリアが気まずそうに視線をそらす。


 ミリアはしばらく書類を眺めたあと、ペンに手を伸ばした。概算を終えて、精算に入ってくれるらしい。


 だが、ミリアは作業に入ろうとはせず、視線はまたアルフォンスに向かっていた。


 それがしばらく続き、アルフォンスはミリアの無言の圧力に負けた。ミリアは読書をしに来ているのだ。さすがに図々しすぎたと反省する。


「やりたくないならしなくていいです」

「やります!」


 やらないミリアが悪いと責めるような口調になってしまったのだが、ミリアは慌てたように宣言し、ペンを動かし始めた。




「アルフォンス様」


 名前を呼ばれて顔を上げると、ミリアが渡した書類を差し出していた。もう終わったのか。早い。


「数字合ってました」

「次はこれを」

「はい」


 ミリアが手を出したまま待っていたので、悪いと思いながらも次の書類を渡した。


 次へ次へとミリアは当然のように要求し、やがていちいち声をかけるのが面倒になったのか、まとめて寄越せと言われた。


 アルフォンスはときおり本をめくりながら、ミリアが書類を片づけていく様子をちらちらと見ていた。


 さらさらと淀みなくペンを動かしていたミリアが、突然顔を上げ、アルフォンスと目が合った。


「これ、こことここが間違っていて、合計も合ってません。正しいのはこの数値です」


 アルフォンスがよそ見をしていたことなど意に介さず、ミリアは確認していた書類と計算結果を指し示しながら、誤りを指摘した。


 返された書類にミリアが計算し直した数値を書き込む。改めてアルフォンスが確認する必要はないだろう。どうせあとで精査もする。


「次から、このように正しい数値を書き込んで下さい」

「わかりました」


 ミリアは素直にうなずいた。上司から指示された部下のような従順さだ。申し訳ないが非常に助かる。


 ミリアの顔色をうかがいながら、さらに厚かましい頼みを口にしてみた。


「あと……以前確認してもらったときのように、数値に不審な点があったら言ってもらえますか」


 真実ミリアに助けて欲しかったのはこれだった。計算は誰にでもできるが、この前の石材の単価のような、品物の値段の不自然さはアルフォンスには見つけられない。妥当なのかを調べることに一番時間を費やしているのだ。


 するとミリアはさっそく書類を引っ張り出してきた。


「それでしたら……えっと、確か……これです」


 ミリアが言うには、シルクの糸の価格の割に布の価格が安すぎるらしい。加工している分付加価値はついているが、その差額が不自然だった。


 アルフォンスが手元の別資料を参照して糸の生産国を告げれば、詳しくはないと言いながらも、ならば価格は妥当だが、品質が悪くわざわざ輸入するほどではない、と言った。


 それは確かに不審だ。生産国を偽っている可能性が高い。


 アルフォンスは返された書類にその旨を書き込み、数値誤りの書類とは山を分けた。


「他にも高価なシルク糸の書類がありませんでしたか?」


 初めの方に渡した書類の中にもシルクの購入記録があったはずだ。


「ありましたよ。……っと、これですね」


 そこにはさらに高い金額が書き込まれていたが、ミリアが言うには妥当らしい。なんでも元から金色をしている希少品だそうだ。その書類が王族の衣装用のものだと見抜き、それならばおかしくない、ということだった。


 その生産国はシルクの輸出で有名なのは知っていたが、金色のシルクなんて、と書籍で調べてみれば、その国の名産品として記載されていた。


 令嬢ゆえに服飾品関連に強いのかと思いきや、その後もミリアはいくつか不自然な書類を発見した。指摘した項目は多岐にわたり、ミリアがまんべんなく知識を有していることがわかった。


 これがミリアの築いてきた物か。


 否定することが逆鱗に触れることになるとギルバートは言っていたが、こんなの否定しようがないではないか。


 ギルバートが右腕にしたいと言った理由がようやくわかった。


 今は物の金額の話しかしていないが、これまでのミリアとの会話を思い出せば、国中の品物、物によっては国外のも、生産状況、相場、流通具合等を把握していることになる。


 天候不順や情勢の変化により市場にどのような影響が出るのか推測することも、市場の変化がどんな要因で起きたのかを考察することもできる。


 ミリアには、市場を通して国内外の様々な動きを把握する能力があるのだ。


 学園にいながら直近の動向まで知っている。商会から離れている間、どうやって情報を入手しているのか。実家からレポートでも送られてくるのだろうか。


 情報は金になる。


 これだけの知識を有する人物の派遣をスタイン商会に依頼すれば、相当高額になるだろうと思った。こんなところで気軽に頼んでいいようなレベルではない。


 ミリアは書類仕事に慣れている。それに、推察や考察ができるのであれば、適切な情報さえ与えてやれば他のこともできるだろう。


 アルフォンスはギルバートの意見に賛同した。

 自分だって右腕に欲しい。




 ミリアが大きく伸びをしたのを見て、アルフォンスは切り上げることにした。アルフォンスもそろそろ王宮に戻らなくてはならない。


「助かりました」

「お礼とお詫びになったでしょうか」

「何度も言いますが、気にしなくてよかったんです。私も利用した所はありますし……」

「そんなわけにはいきません」

「気は済みましたか?」

「アルフォンス様の助けになれたなら」

「さっきも言ったように、助かりました。ありがとうございました」


 本当に助かった。正直、自分がいる意味がないくらいの効率だった。


「良かったです」


 そう言って、ミリアがにこりと笑った。

 少し安堵の混じった、嬉しそうな笑顔だった。


 アルフォンスの息が止まった。


 へにゃりと緩んだ顔は、さっきまで怒濤どとうの勢いで書類を片づけていた人物のものとは思えなかった。


 それではこれで、とその場で別れたミリアの背中に、アルフォンスは思わず声をかけていた。


「大変申し上げにくいのですが、明日も手伝って頂けないでしょうか」


 アルフォンスは、自分の口から滑り出た言葉に驚いていた。

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