第56話 花も背負っていたかもです

 ミリアはムカムカした気持ちのまま寮の自室に戻った。


「お帰りなさいませ、お嬢様。どうしたんですか、そんなにカッカして」

「ただいま。何でもない」


 マーサの前で暴れるわけにも行かず、ミリアはつつしみ深く……とは言えない勢いでソファに座り、両手で顔を覆った。


 まさかアルフォンスが小児愛者ペドフィリアだったなんて!


 わざわざ子供を指定したのはそういうことなのだろう。しかもそれをミリアに頼むとは。


 令嬢に性癖を暴露するなどとんだ変態ではないか。


 アルフォンスに限って、触ったりめたり×××したりは間違ってもしないだろうが、そんな変態野郎の所に大事な見習い前の子たちを派遣するのは嫌だった。


 だが、カリアード伯爵家の令息から商会への正式な依頼となれば、会長の娘といえども勝手に断ることはできない。判断するのはその部署の者だ。


 アルフォンスはエドワードやジョセフとは違って女性に興味がなさそうで、婚約者で満たされているのか、さもなくばむっつりなのかと思っていた。のに、これである。正直がっかりだ。


 いや、他人ひとの趣味にとやかく言うのはよくない。特殊な性癖ではあるが、心の中に秘めているだけならば自由だ。実行に移さなければセーフである。


 ミリアはリリエントは好きではないが、ほんの少しだけ同情した。未来の夫が小児愛者……ベッドの上で愛してもらえるといいのだけれど。


「マーサ、レターセット用意して。父さんに手紙書く」

「それはいいですね。旦那様はお嬢様からなかなか手紙が来ないとなげいておられるようですよ」

「わざわざ知らせるようなことないもん」


 マーサはレターセットをミリアに渡しながら、意味ありげな目で見た。


 このところの嫌がらせがあるだろう、と言いたいのだろう。


 それで思い出した。父親が貧民街の孤児を売買していると言われたことを。証拠があるとも言っていた。


 馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるものか。


 商会の会計はミリアも確認している。不正の様子はない。


 国の査察も受けた。これでもかと言うほど何度も何度も。特に叙爵の直前は重箱の隅までつつかれた。貴族になるというのだから理解はできるが、貴族の方が絶対たくさん不正をしている、とミリアは思っていた。


 孤児のことは書かず、アルフォンスからの依頼のことだけを書いた。条件と、ミリアが得た了承事項を箇条書きにして。もちろん嫌がらせについても書かない。


 条件に合致する子はいるだろうな、と憂鬱ゆううつになった。読み書きは語彙ごいを学びつつになる。一方、計算は方法さえわかれば身につけるのはたやすい。


 あとは手がいているかだが、教育期間中の子たちは悪く言えば穀潰ごくつぶしだ。彼らが利益を生み出せるなら喜んで派遣するだろう。教育が行き届いていなくてもいいという破格の条件である。


 ミリアはマーサが用意してくれた封蝋ふうろうらし、自分のイニシャルをモチーフにした印璽スタンプを押した。


 ちょうどそのとき、夜番のアニーが部屋に来た。マーサと交代するのだ。


「マーサ、これ屋敷に届けさせて。そしたらもう上がっていい。アニー、お茶を入れてくれる?」


 二人はミリアにお辞儀をして、それぞれの仕事にとりかかった。



 次の日の放課後、ミリアは図書館にいた。アルフォンスと約束はしていないが、他にやることがない。来なければ本を読んでいればいいのだ。


 閲覧スペースにアルフォンスはいなかった。今日も閑散としている。生徒の姿もたまに見かけるが、ミリアの姿を見られても、そのことが他の生徒に漏れている様子はなかった。


 本を取ってテーブルにつく。ギルバートが図書室に来ないので、このところ睡眠不足気味だ。朝はすっきり目覚められるというのに、午後の講義中は猛烈に眠くなる。


 分厚いガラスごしとはいえ、静かな場所で柔らかい春の日差しに照らされると、ついさっきまで必死に耐えていた眠気がふわりと戻ってきた。


 しかしミリアの手には本がある。一度読み始めてしまえば睡魔など何のその。徹夜でだって読み続けられる。


 毎回、いつの間にか目の前に座っているアルフォンスに驚かされるので、今回こそは驚かされないぞ、と密かに決意してから本を開いた。


 そしてミリアは本を読み終えた時にそれをちゃんと思い出し、アルフォンスがいることを想定して顔を上げた。が、結局アルフォンスに驚かされることになる。


「うそ……」


 ミリアの前には確かにアルフォンスがいた。


 腕を組み、目を閉じ、顔をわずかに傾けて――寝ていた。


 ミリアは思わず左右を見回してしまった。


 アルフォンス・カリアードのこんな姿を見られるわけにはいかない、となぜかミリアが心配してしまうほどに、レア中のレアだった。エドワードやジョセフの寝顔も見たことがないので、希少度はミリアの推測でしかないのだが。


 幸いなことに、テーブルを区切る低い衝立ついたてのお陰で、誰の目にも触れていないようだ。


 だが、すぐ側に来れば見られてしまう。


 起こした方がいいと思ったが、すぅすぅと小さな寝息をたてていて、とても気持ちよさそうだった。


 人前でこれほど無防備に眠ってしまうくらいだから、相当疲れているのだろう。


 アルフォンスの前にある書類の山は、今置きましたとばかりに手つかずになっている。


 忙しそうなのだから早く起こすべきなのか、せっかくよく眠っているのだからそっとしておくべきか、ミリアは迷った。


 よし、起こそう。


 ミリアはそーっと立ち上がった。


 起こそうとするのに音を立てないのは矛盾しているのだが、寝ている人がいると無意識に静かにしてしまうものだ。


 つい二日前に、どんな角度から見ても美人だと思ったばかりなのに、目を閉じているとそれこそ本物の彫像のようだった。


 寝顔までも整っているとは。イケメンはどこまでもイケメンらしい。エドワードはふにゃふにゃした顔でよだれでも垂らしていそうだが。ジョセフは……うん、たぶん普通の寝顔だ。


 この顔で小児愛者……なんともったいない。年頃の娘さんから熟女までり取り見取りだろうに。


 寄ってばかりの眉も少し下がっていて、銀色のまつげが頬に影を落としていた。まばたきをすればバサバサと音がするのだろう。


 普段むっとむすばれている口がわずかに開いていて、いつもよりも幼く見える。


 前髪がひたいをさらりと流れている。まっすぐな髪はつやつやと輝き、絹糸のようでも、極細ごくぼその銀糸のようでもあった。


 それを確かめたくて、前髪に触れようとつい手を伸ばした。


 そのとき、ぱちっとアルフォンスの目が開き、同時に、ミリアの手がつかまれた。


「寝込みを襲うとは感心しませんね」

ちがっ」


 手を引っ込めようとしたが、アルフォンスにつかまれていてそれは叶わない。


 寝込みを襲うとは人聞きの悪い。そう反論したかったが、寝ている間に髪に触ろうとしたのは間違いない。


 自分の行動の恥ずかしさに、ミリアの顔はみるみる赤くなっていった。


 何より顔が近い。息がかかりそうな距離だ。


 顔を近づけてまじまじと見ていたのはミリアなのだが、どアップのイケメンの破壊力はちょっととんでもない。


 アルフォンスの深い緑色の瞳でじっと見られると、落ち着かない気分になる。


「はな、放して下さい」

「どうして?」


 どうして!?


 アルフォンスの目は愉快そうに細まり、口角がほんの少しだけ上がっていた。


 わらっ、わら……っ、笑ってる!?


 アルフォンスの笑った顔を初めて見た。寝顔に匹敵するレアな表情だった。


 首を傾け、なぜなのか、とアルフォンスが目で問うてくる。意地悪そうに。


 ミリアの手をつかんでいない方の手が伸びてきて、顔に触れた。ミリアはびくっと体を固くし、目をぎゅっとつぶった。するりと頬をなでられ、指先が耳に触れた。


「ひゃっ」


 驚いて逃げようとしたミリアだったが、逆にぐっと手を引かれ、かがんだ状態のままアルフォンスに倒れ込みそうになった。


「あああああアルフォンス様ぁっ」


 パニックになったミリアが、アルフォンスの肩に手を置いて突っ張り、目を潤ませて抵抗すると、アルフォンスは目を丸くしてぱちぱちとまばたきをして、あっさりと手を離した。


「……失礼。寝ぼけました」


 寝ぼけただと!?


 さっと距離を置いたミリアは瞠目どうもくした。


 言葉ははっきりしていて、目が胡乱うろんな訳でもなく、手には力が入っていて、はっきりと覚醒していたように見えた。


 が、アルフォンスが笑うわけがない、という確信もミリアにはあった。それこそ寝ぼけていなければ。


 誰かと間違えたのだろう。


 考えるまでもない。婚約者リリエントだ。


 リリエントにネックレスを贈ったときに、よく似合うと褒めたと聞いて、恋人に見せる顔はミリアの知らない顔なのだろう、と思ったが、なるほど今のもそれの一つのようだ。


 はっきり言って、ドS顔だった。もしかしたらドMだったりするのもしれないというミリアの想像とは真逆だ。というか、普段のアルフォンスからすれば妥当だった。


 ドSの小児愛者ペドフィリア……うちの子たち本当に派遣して大丈夫だろうか。


 いや、婚約者リリエントと間違えてあんな顔を見せ、しかも慣れている様子だった。年頃の娘とそれだけ仲がいいのであれば、子供に変な悪戯いたずらをしたりはしないだろう。別腹でなければ。


 そんな考えを巡らせているのは、実はミリアの鼓動がとんでもないことになっているからだった。


 ばくばくばくばく、とものすごい勢いで動いている。


 関係のないことを考えてどうにかこうにか落ち着かせたいのだが、全く収まる様子がない。


 対するアルフォンスは、先ほどの表情を引っ込めて、ただの超美人に戻っていた。一体どうしたのだ、と不思議そうな顔をしている。


 お前のせいだ、お前の!!


 イケメン効果だけでも、レア笑顔だけのせいでもない。絶対変なフェロモンが出ていた。ぶわっと大量に。声もやや甘かったように思う。


 今すぐ逃げ出してしまいたかった。平然としているアルフォンスの前で一人動揺しているのは悔しい。しかし、図書館から逃げ出すのはちょっとしたトラウマだ。


「本を戻してきます」

「はい」


 妥協点として、図書館からは出ずに、アルフォンスの前からだけ逃げることにした。

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