第35話 そんな大役いりません

 次の日、寮前で待っていたエドワードに朝の挨拶をすると、ついてきていた令嬢たちからも挨拶をもらった。妨害工作再びである。


 言い訳の既成事実作りに平民の話がしたかったが、あれよあれよと言う間にミリアはエドワードから引き離された。雨が降っているのに、濡れるのも構わず間に割り込んできた。


 そしてまたも矢継ぎ早に質問される。そんなにミリアの情報を聞き出して何がしたいのか。ミリアを隔離したいのなら大人しく集団の中に収まってあげるから、話は勝手にしていて欲しい。


 当たりさわりのない回答をしてのらりくらりとかわすも、無遠慮にどんどん掘り下げてきた。彼女達の辞書にプライバシーや個人情報という言葉は載っていないらしい。


 そしてとうとうその時が来た。エドワードとの関係を聞かれたのだ。お茶会より先んじられてしまった。だが、想定問答は考えてある。


「ミリア様は、エドワード様とお出かけになったりなさるのかしら?」


 キャーッと黄色い悲鳴が上がった。ガールズトークの乗りだ。


「殿下とはそういった関係ではありません」


 ここはきっぱりと否定しておく。たまにお茶を飲むだけだ。言うなれば茶飲み友達である。最近友達の定義が怪しくなってきたから、ひょっとしたらただの知り合いでしかないかもしれない。


「そうですわよね、ミリア様にはジョセフ様がいらっしゃるもの」

「え?」

「昨日もお二人でお茶会をしたとお聞きしましたわ」

「えと、アルフォ――」

「ジョセフ様とはどういった所へ行かれるのかしら」

「ミリア様なら王都のカフェにもお詳しいでしょう?」

「ジョセフ様だってお詳しいわ」

「そうよ、最新の情報を仕入れてエスコートなさっているに違いないわ」

「ちが――」

「ジョセフ様からはどんな贈り物を頂いたの?」

「ジョセフ様なら全て素敵な物なんでしょうね」

「ミリア様はあまりアクセサリーをおつけにならないようですが、宝飾品は贈られていないのかしら」

「まさか。たくさん贈られているに決まっていますわ。パーティにつけて来られるのよね?」

「いえ――」

「遠乗りにも行かれたりするのかしら」

「ミリア様は乗馬はできまして?」

「できますが、あの――」

「ジョセフ様とお二人で遠乗り……素敵ですわね」

「ジョセフ様の馬に一緒に乗せて頂いたりして」


 キャーッとまた黄色い悲鳴が上がった。


 ミリアが否定しようにも口を挟む余地がない。さっきまで根掘り葉掘り聞いていたくせに、ミリアの返事を待つことなく、どんどんジョセフとの仲が捏造ねつぞうされていく。なぜ話がその方向へ進んでいくのか。ジョセフの婚約者のポジションを狙っているなら、逆の方向に進むべきた。


 もう最後にまとめて否定しよう、と半分意識を飛ばしていると、話が婚約間近から婚約済みまで進んだ。それはさすがに看過かんかできなかった。


「ちょっと待って下さい! ジェフとはそんな関係じゃ――」


 ざっと血の気が引いた。

 昨日、お茶会で連呼していたから――。


 キャーッと三度目の悲鳴が上がった。


「もう愛称で呼んでらっしゃるなんて!」

「ジョセフ様が愛称をお許しになっているのは、ご家族とエドワード様とアルフォンス様だけとお聞きしましたわ」

「さすがミリア様」

「もうユーフェン家の一員として扱われていらしゃるのね」

「卒業と同時に結婚なさるのかしら」

「正装のジョセフ様は本当に素敵ですわよ。ミリア様はご覧になったことありまして?」

「あら、あるに決まっていますわ。婚約者ですもの」


 待って。ちょっと待って。婚約者じゃない。まだしてない。っていうかするかもわからない。


「婚約なんてしていません! ジョセフ様とはお友達です!」


 それだけ何とか言い切ったところで、ぱしっと手をつかまれた。いつの間にか、離されていたはずのエドワードが横にいた。


「ミリア嬢、本日茶会を開くのだが」

「行きます!」


 ものすごい笑顔で言われて、ものすごい笑顔で返した。渡りに船だ。


「殿下、気になるお菓子があるのですが、今二人だけで話せますか?」

「もちろん!」

「というわけで、みなさま申し訳ないのですが、殿下とお話がありますので、先に行っていてください」

みな、ミリア嬢と話しているところ、悪いな」


 ミリアはエドワードを引っ張って、校舎とは違う方向へ向かう道にれた。


 王太子エドワードにリクエストするなど非常識だし、それだけのために二人きりになるのは不自然でしかないが、令嬢たちから離れられるならどうでもよかった。さすがについて来られることはなかった。


 じゅうぶん離れたところでミリアは足を止めた。


「ごめんなさい、口実に使ってしまって」

「いいや、構わない」


 ジョセフはにこにこと笑っていた。しかし目が笑っていない。


「それで、ジェフのことを愛称で呼んでいると?」

「……えぇ、まぁ」


 今度はエドワードを何とかしなくてはならない番だった。迂闊うかつに愛称を口走ってしまったがために。人前では気をつけて、と言ったのはミリアの方だ。あとでジョセフにも謝らなければならない。


「ではわたしも、エド、と」


 エドワードがミリアの手を取り、口を寄せた。

 もちろんミリアは動揺しない。誰にも見られていないことだし、と好きにさせておく。


「できません」

「なぜだ?」

「殿下を愛称で呼ぶなんて、とんでもないことです」


 王太子様である。王族である。同じ王族の第一王子ギルバートのことが頭に浮かんだが、いったん脇に置いておく。


「殿下……か。どうして名前で呼んでくれなくなったのだ? 冬の休暇の後からだろう」


 エドワードが切なそうな顔をした。


 記憶を取り戻して以降、ミリアはエドワードの名を呼ばないように気をつけていた。少しでも距離を置くためだ。エドワードには何も言われていなかったが、気づかれていたのか。


「卒業後にうっかりエドワード様と呼んでしまっては大変なので、今から練習しておこうかと」

「ミリア嬢ならば学園を出てからもエドワードで構わない。エドでもだ」

「では、エドワード殿下と呼びます」

「そういうことじゃない」


 エドワードは首を振った。


「私は男爵の娘で、エドワード殿下は王太子です。いくら殿下が私に許しても、周りが許しません。それともそれはエドワード王太子殿下からのご命令ですか? 命令なら従います」

「……命令ではない」


 エドワードが悲しそうに言って、再びミリアの手にキスをした。


「なぜジェフなのだ?」

「何がです?」

「ジェフのことが好きなのだろう?」

「いいえ」

「本当か?」

「本当です」

「では、ジェフがミリアに交際を申し込んだというのは?」

「本当です」

「断ったというのも?」

「はい」

「そうか……」


 エドワードは大きく息を吐いた。

 そのことはエドワードも知っているはずだ。ジョセフと協定を結んだというのはそういうことだろう。ミリアの口から直接聞きたかったのかもしれない。


「殿下、そろそろ……」

「ミリア嬢、頼む」


 エドワードが泣きそうな顔をした。時間が気になっていたのもあって、ミリアは折れた。


「エドワード様。そろそろ行かないと遅刻します」

「ああ、行こう」


 エドワードは最後にもう一度口づけを落としてから手を離した。何度されてもさっぱりときめかない。


 校舎につくまでの間に、お菓子のリクエストはちゃっかりしておいた。ぎりぎりの時間だったからか、他の生徒が寄ってくることはなかった。



 休み時間、ジョセフ本人がいるのとマリアンヌへの遠慮なのだろう、ジョセフとの話は一切聞かれなかった。代わりに家族のことを聞かれたが、爵位を得た経緯や家族構成といった、公知の事実しか漏らさなかった。


 雨の日の昼は四人で個室だ。もちろんカフェテリアから日替わりランチを特別に運んでもらう。


 昨日庭園へ押し掛けてきた令嬢たちに比べれば、今までのエドワードの強引な誘いなど大したことではなかった。しゃべり続けることなくゆっくりと食事ができるというのはなんと幸せなことだろう。毒されている自覚はある。


 食事中の三人との会話を通して、ミリアの置かれている状況の理由がわかった。令嬢がミリアを取り囲むのは妨害工作などではなかった。


 どうやら、ジョセフをめぐるライバルとしてミリアを敵視する陣営と、次期ユーフェン伯爵夫人の候補として取り入ろうとする陣営ができたらしい。経緯を見守る中立派が一番多く、ライバル視しつつも仲良くしておこうというコウモリ派もいた。


 ミリアは貴族社会の派閥について、ざっくりと、爵位を重んじる貴族主義派と、それほど身分にこだわらない実力主義派があるのを知っているくらいだ。現王は実力派、近衛騎士団長のユーフェン侯爵も実力派。貴族派の頂点は宰相のミール侯爵で、宰相補佐のカリアード伯爵もそこに属する。財務大臣のハロルド侯爵は中立派で、だから娘のローズも中立派。マリアンヌのコナー家も中立派だ。


 これが一番大きなもので、それ以外にも細かなものがたくさんある。エドワード、アルフォンス、ジョセフの誰が一番素敵か、という各集団もある意味個人の嗜好しこうによる学園での派閥の一つと言える。


 晴れてミリアはそういった小さな派閥の中心人物と相成あいなった。ミリア派である。元平民ということもあって実力派が多く、対抗派閥のアンチミリア派はジョセフ派と貴族派が多いのは言うまでもない。


 以前の値踏みするような目線はこれを見越してのことだった。そこにローズがお茶会に招待したものだから、ミリアに取り入る方が得だと考えた令嬢が一定数現れた。エドワード達三人と交流があることも利点の一つだ。ミリアがいれば自然と三人が寄ってくる。


 ミリア派は取り入るきっかけをつかむため、アンチミリア派は弱みを握るため、様子見の中立派はどちらにつくのが得か見極めるため、と動機は様々なのだが、ミリア・スタインの情報を欲していた。結果、根ほり葉ほり質問を浴びる羽目になった。


 もちろんそれは令嬢たちだけではなく、令息たちも同じだ。令嬢ミリアに気軽に話しかけられないでいるだけで、やりとりはしっかり聞かれていた。令嬢たちほど具体的な行動には移さなくても、どちら側につくかは決めなければならない。情報収集に余念がなかった。


 昨日のお茶会レクチャーではそんなこと一言も言ってくれなかった。当然知っているものと思っていたらしい。自分がどの立ち位置にいるのかを常に意識するのが貴族の処世術なのだから、呼吸をするように感じ取っているのだろう。商人が敏感に金の匂いを嗅ぎつけ、一瞬で損得を見極めるように。


 ミリアがジョセフの婚約者の有力候補として躍り出たわけだが、一方で、その座から退しりぞいたマリアンヌが孤立するようなことはなかった。ローズとリリエントがいまだ行動を共にしているからなのか。それともマリアンヌ個人の魅力なのか。ジョセフに振られたのではなく、振ってやったというのがよかったかもしれない。


「これからミリア嬢の一挙手一投足が注目されます。家の指示でもあるでしょうから、家同士おもての争いに発展しないとも言い切れません。言動には注意を払って下さい」


 アルフォンスの言葉は大げさだが、まるきり間違いでもなかった。どんな些細ささいなことでもつけ込み優位を保とうとするのが貴族だ。


 ミリアは元平民の男爵令嬢で、仲間も権力も影響力もなく、ちょっと王太子エドワードに気に入られているだけの取るに足らない娘、とされていたはずなのに、この二ヶ月ほどで小さくも一つの派閥の筆頭となった。大出世だった。


「どうしてくれるんですか」

「マリアンヌとの婚約解消は早計だったな」


 ごめん、と眉を下げたジョセフに対し、ふふん、とエドワードがしたり顔をした。元はと言えばエドワードがちょっかいをかけてきたせいなのだが。


「解消の返事を遅らせればよかったのにってことですか?」


 ミリアに胡乱うろんな目を向けられたエドワードが、しまった、という顔をした。


 破談にしたいと言われ、ジョセフに非があるのだから、ずるずると引っ張るなんてとんでもない。婚期というものがある。まだ焦る時期ではないとはいえ、解消するなら早い方がいいに決まっている。いい男はどんどん売れていくのだ。


「いや、違うんだ、その、そういう意味ではなくてだな」


 ミリアが、最低ですね、という顔をすると、エドワードは慌てて弁解を始めた。ジョセフにちらちらと視線を送っている。


「婚約解消を言い出したのは俺なんだ」

「え?」


 だってマリアンヌに振られたって……破談の理由はジョセフの女遊びに嫌気が差したからではなかったか。


「俺のこと真剣に考えて欲しかったんだ。ミリアが気にすると思ったから言わないでおくつもりだったんだけどな」

「本当にジェフから言ったの?」

「うん」

「私のことが好きだから?」

「うん」


 ミリアは頭を抱えた。やっぱりそうだったのか。ジョセフは初めからそう言っていた。ミリアのことが好きだからマリアンヌとは続けていけないと。周りではマリアンヌが振ったのだと言っていたから、先に打診されていたのを承諾したのだと考え直したのに。


 そこまでしてくれるなんて……! と感激するところなのかもしれない。しかしミリアはとてもそんな気分ではなかった。ミリアが気にするだろう、と黙っていたジョセフは正しい。


「私もごめんなさい。今朝、ジョセフ様のこと、ジェフって呼んじゃって……本当にごめんなさい」


 ミリアは膝に手をおいて頭を下げた。ジョセフに応えられていないのに、という謝罪と、気遣ってくれてありがとうの気持ちも入っていた。


「俺は全然いいよ。もっと呼んで。今許しているのは家族とこの二人の他はミリアだけだよ」


 ジョセフは優しく笑って許してくれたが、ミリアは、今、という単語に引っかかった。マリアンヌが婚約者ではなくなったからなのか、これまで多くの女性に許してきたということなのか。


 ミリアはもやもやしたが、急に立ち上がったエドワードによって吹き払われた。


「おい、ジェフ! どうしてミリア嬢のことを呼び捨てにしているんだ! それに自分だけ愛称で呼ばれているなんてずるいだろう! しかも何だその親しげな様子は!」


 王太子殿下、お食事中にお行儀が悪いですよ。


 今度はジョセフがドヤ顔をする番だった。


「エドも呼んでもらえばいいだろ」

「断られたのだ……!」


 悔しそうに言ったエドワードが、すとんと椅子に座った。


「ミリアと呼んでもいいだろうか?」

「駄目です」

「ではせめて口調を改めてもらえないだろうか?」

「嫌です」

「なぜジェフはよくてわたしは駄目なのだ」

「エドワード様が王太子で、婚約者ローズ様がいるからです」


 懇願するようにエドワードが言ったが、ミリアはとりつく島もなかった。そんな捨てられた犬みたいな顔をされてもほだされはしない。例え王太子ではなくローズがいなかったとしても、エドワードを好きになるかというと……ちょっと想像できない。


 エドワードはしょんぼりとうなだれ、ジョセフは勝ち誇った顔をし、アルフォンスはあきれていた。

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