第36話 死ぬかと思いました

 昼食後にギルバートに会いに行くことは諦めた。ミリアの行動に注目が集まっている今、誰の注意も引かずに図書室に行くことは不可能に思えた。言動には注意しろとアルフォンスに言われたばかりだ。


 かといってその辺をふらふらしていれば格好の餌食えじきとなる。エドワードら三人をいつまでも付き合わせるわけにもいかず、ミリアは一人で個室に残った。


 使用人を追い出して一眠りしようと思ったが、慣れない場所で全く眠れなかった。暗い図書室が恋しい。


 ギルバートの優しい声を聞いたのはもうずっと前のような気がする。ギルバートは十日近く図書室に来なかったことさえあるが、ミリアが二日続けて行かないのは初めてだ。会いたい時に会えないというのは思ったよりも寂しかった。



 放課後、朝のエドワードのお誘いはその場の思いつきで時間の調整がつかなかった、としてお茶会は流れていた。ミリアは昨日ジョセフに教わった講義室から反対側の廊下に抜け、誰にも見られずに外に出た。


 護衛や使用人を使われてはかなわない。あちこちに何人も置くようなことは控えても、探させてはいるだろう。雨を幸いと、ミリアは誰にも見つからない場所――図書館まで駆けた。


 建物の中へと飛び込むと、カウンターにいた年老いた司書に嫌な顔をされ、ミリアは足を止めた。図書館でばたばたと走るものではない。


 息を整えている間に、ここに来るのも最後かもしれないと思った。来る途中に見つかるのは時間の問題だし、利用している生徒が全くいないわけでもない。


 ミリアのいこいの場が失われていく。


 どうして誰も放っておいてくれないのか。ミリアはただ義務をまっとうするためだけに学園にいて、卒業さえできればそれでいいのに。


 波風立てないようにと大きな行動を控えたのがよくなかった。こんなことになるなんて予想できただろうか。


 いや、控えていたのではなく、行動を起こそうとしなかっただけだ。


 あと半年我慢すればなんて思ってなまけていた。真実、王太子エドワードルートの王妃ハッピーエンドを回避したかったのなら、エドワードら三人を徹底的に無視シカトするくらいの気概が必要だったのだ。


 ギルバートからも読書からも離れ、仰々ぎょうぎょうしいからといって個室ランチを避けたりせず、放課後は自室に引きこもってじっとしていればよかった。


 このところエドワードルートの進展はないように思われるが、元々イベントの残りは階段からの落下と卒業パーティだけしかない。


 ミリアがエドワードと結婚したいと言えば、可能かどうかは別として、エドワードは婚約破棄さいごまで猛進しそうな感じがする。


 知らぬ間に入っていた近衛騎士ジョセフルートといえば、客観的に見て順調に進んでしまっているように思えた。こちらもミリアが結婚したいと言えば、ありとあらゆる手を尽くしそうだ。そして本当に結婚まで持っていきかねない。


 ここから友情ノーマルエンドを目指すなら、マリアンヌとの復活か、他の令嬢による略奪しかないが、ミリアにできることはあるのだろうか。


 だが、ハッピーエンドを回避できたとしても、ジョセフの死によるバッドエンドなどは真っ平ごめんだ。エドワードとジョセフの決闘で同士討ちになる最悪の結末も思い浮かんだ。私のために争わないで!


 ……なんて後味の悪い結末はないはずだ。ヒロインも攻略対象も死なないと聞いた。


 どこまでがシナリオ通りで、どこからがそうでないのか全くわからないというのが不安だ。全てがシナリオ通りかもしれないし、もう何一つ沿っていないのかもしれなかった。


 何にせよ、今更何も知らなかった頃には戻れない。そして、ここまで来てしまったからには、ミリアを助けてくれるエドワード、ジョセフ、アルフォンス、それにギルバートの四人からは、逆に離れられないのだった。


 ミリアの手元にある札はこれしかないのだ。彼らに見放されたら、目障りなミリアは誰かにぷちっと潰されてしまうだろう。畑の隅っこで生きていたミミズが、馬車の行き交う大通りに放り出されたようなものだ。


 国を出るのも一つの手だった。ローレンツ王国は先王の時代に貴族主義から実力主義に変わり、平民の所得が増えて生活水準があがった。現王もその方針を継続している。近隣諸国と比べてもいい国だ。


 だからといって、他の国が悪いという訳でもない。教養はあるのだから、言葉さえわかればなんとでもなると思えた。


 ただ、実行に移せるのは卒業後だ。他国にいてもローレンツ王国の男爵令嬢であることには変わりない。父親フィンが爵位を返上しない限り、学園に通う義務は残る。


 いっそジョセフを受け入れるか、ともう何度も考えているが、伯爵夫人になりたくない気持ちの他に、その後ジョセフが手の平を返す可能性に思い至り、結論は変わらない。


 ジョセフなら有り得ると思ってしまう。浮気だけならともかく、婚約解消の前歴もあるのだ。ミリアが同じ目に合わないとは限らない。というか、ジョセフがミリアを好きでい続ける未来が想像できなかった。


 今すぐ誰かと婚約したい。


 貴族じゃなければ誰でもいい。

 あとお酒と賭事と浮気をしない人。

 そこそこ稼いでくれて、ミリアが働きに出るのを許してくれて、家事ができなくても嫌な顔をせず、できたら使用人を雇えるくらいのお金持ち。

 でも裕福でなくとも真面目に働いてくれるならそれでいい。

 若くないとできないような体力勝負の仕事ではなく、年をとっても長く続けられるような、手に職をつけた人ならなおいい。

 暴力を振るうような人は嫌だ。優しい人がいい。

 背が低くて太っていてハゲていてもいいから一緒にいて安心できるような人。

 守ってくれなくていいから二人で助け合える人。


 令嬢が思い浮かべるべき理想の男性像とはかけ離れているが、ミリアにとっての結婚相手の理想はこうだった。何十年も一緒に暮らすなら、外見よりも誠実さ、強さよりも優しさを取る。


 商会に思い当たる人物が数人いるし、ここまで理想通りでなくてもいい。本気で父親フィンに相談してみようか。王太子エドワードが好きなら何とかすると言ってきたくらいなのだから、いい人を見つけて欲しいと言えば探してくれるはずだ。


 かつて独身だったという事実はあるが、今のスタイン家の娘という肩書きがあれば釣れるのではないだろうか。しかも王太子様エドワード見初みそめられたという肩書きまでついている。掘り出し物間違いなしだ。


 そんな冗談と本気がない交ぜになったことを考えながら、娯楽小説が並ぶ一角へと向かった。取り寄せて借りれば続きは読めるが、もしこれが図書館に来られる最後になるのなら、本に囲まれる時間を満喫したい。悩むのは自室でもできることだ。


 ミリアが先日読み始めた冒険小説は壁を背にした書架の一番高い段に並んでいて、踏み台を使わなくては届かない。男性でも必要なくらい高いのだ。近くに低い三段のものしか見つからなかったため、それを使うことにした。


 届かなければ高い踏み台を探しに行こうと思ったが、なかなかどうして届いてしまう。しかし背表紙に触れはするのだが、引き抜くにはやや背が足りなかった。


 こうなると足掻あがいてしまうものである。片手で棚板をつかみ、うーん、と目一杯背伸びして、なんとか本を引き抜こうとした。


 指先に力を入れ、ぐっと引っ張る。もうちょい、もうちょい、と頑張っていると、ずずっと本が動いた。


 取れた。


 そう思い、かかとを降ろした瞬間、ばきりと嫌な音がして、ミリアは足を踏み外した。


「ぅわっ!」


 支えをなくしてった拍子に掴んでいた棚板を引っ張ってしまい、本棚そのものが手前に傾いた。落ちてきた本から顔をかばおうとして、腕が顔の前に出た。


 踏み台から落ちるのを防ぐことも、倒れてくる本棚を避けることもできず、目を閉じて身を固くしたミリアは、ウエストに巻き付いた何かによって、ぐっと横に引っ張られた。


 ばさばさと本が落ちる音と、がつんと物同士がぶつかる音がした。


 予期した衝撃が来ずに恐る恐る目を開けると、目の前に本棚が斜めに倒れていた。ミリアが乗っていた踏み台を支えにして、完全に倒れてしまうのをまぬがれている。踏み台は本棚がぶつかった衝撃で踏み板が割れていた。

 落ちた本が本棚と床の間に散らばっていた。でたらめに積み重なって山を作り、ページがぐちゃぐちゃになっている。

 ほこりがもうもうと立ちこめていた。


 はぁぁぁ、と肩口から長いため息が聞こえて斜め後ろを見ると、銀髪の美人がうつむいていた。床に座り、ミリアのおなかに片腕を回している。ミリアはその長い脚の間に収まっていた。


 倒れる本棚の下から落下するミリアを引き寄せたのはアルフォンスだっだ。助かったのだと知って体の力が抜けた。


「怪我は?」


 視線に気がついたアルフォンスがミリアに目を向けた。ミリアは息を飲んだ。前髪がつきそうなくらい近い。超至近距離で見ても、美形は美形だった。


「どこか痛みますか?」


 何も言わず黙っているミリアを、アルフォンスが見下ろしている。緑色の瞳にミリアが映っていた。


「ミリア嬢?」


 アルフォンスはウエストにあった腕を肩に回してミリアを支えると、反対の手をミリアの顔に添え、横からのぞき込んだ。手はアルフォンスのまとう雰囲気とは裏腹に温かかった。


 ミリアの口がぴくりと動いた。それに反応してか、アルフォンスの親指がわずかに頬をさすった。


「……てください」

「え?」

「放して下さいっ!」


 どんっ、とミリアはアルフォンスを突き飛ばすと、その場から走って逃げた。

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