第28話 血は争えないんですね side ジョセフ

 謹慎三日目。ジョセフはようやく自責の念と罪悪感に整理がつき、落ち着いて考えることができるようになった。


 これからどうするか。


 ミリアのことが解決してもしなくても、学園には行かなければならない。顔のれも引いてきている。休めるのはこれまでとあわせて精々五日、今日を入れてあと三日が限度だろう。


 何を置いてもまずはミリアへの謝罪だ。受け入れてはもらえないだろうが、しないわけにはいかない。


 問題はその後だ。ジョセフがこれからどうしたいかにかかっている。


 ミリアを諦めるのであればこのまま何もしなければいい。ギルバートの恋人でいるのがミリアの幸せだというのなら静かに見守るだけだ。


 エドワードはアルフォンスと説得しよう。ミリアとギルバートが今後どうなるかに関わらず、ミリアのことは諦めなくてはならないのだ。王太子エドワードは背負っているものが大きすぎる。たとえミリアが応じたとしても、その手を取ることは許されない。


 そして何年も前から定められていた通り、ジョセフはマリアンヌと、エドワードはローズと結婚する。


 ミリアも、いつかはギルバートと、もしくは他の誰かと一緒になる。


 デザートを幸せそうに食べるミリア。マナーを指摘されてむすっとするミリア。つまらなさそうに講義を受けているミリア。声を上げて笑い転げるミリア。刺繍ししゅうの課題が終わらなくて泣きそうだったミリア。子猫を埋めて祈りを捧げていたミリア。首筋を赤く染めてジョセフに身を預けていたミリア。王都で見かけたとびきり可愛いミリア。


 思い返せばその全てがいとおしい。ミリアを独り占めできたらと思わずにはいられない。


 ミリアに乱暴を働いておきながら、浅ましいことに、腕の中のミリアを思い出して体温が上がる。もう一度この胸に抱きたい。もしもミリアが抱き締め返してくれたなら、天にものぼる心地ここちだろう。


 ミリアを幸せにしたい。ミリアが望むならなんだってしよう。自分の全てを捧げてもいい。


 誠心誠意謝罪して、ミリアに想いを告げる。恋人ギルバートがいようと構いはしない。二度と勝手にれないと誓って、精一杯尽くして、それでもミリアが自分を選んでくれないのなら、それでやっと諦められる。


 取り返しのつかないことをしたことはわかっている。そんな男に好かれていると知ればミリアは嫌悪するかもしれない。ミリアが一度でも不快な顔をしたらそこでやめる。以後一切近づかない。


 むくわれなくてもいい。このまま何もせずに諦めるのは嫌だと思った。


 ならば、先にやらなければならないことがある。ミリアに誠意を見せ、本気だとわかってもらうために必要なことだ。




 一日中考えて決意を固めたジョセフは、夜、帰宅した父親に話があると言って時間をもらった。


「マリアンヌとの婚約を解消させて欲しい」

「何を言うかと思えば……冗談も大概にしなさい」


 切り出したジョセフに、ユーフェン伯爵はやれやれと頭を振った。


「冗談なんかじゃない」

「ミリア・スタインだったか? その娘のことが好きだと言うんだろう? 婚約は子供の言葉一つで簡単にくつがえせるような軽い物ではない」

「わかってる」

「わかっていないな。だいたいミリア・スタインはお前を振ったそうじゃないか。マリアンヌとの婚約を解消して何になる」

「……振られてはいない」


 まだ告白をしていないのだ。ギルバートのことはあるが、ミリアの口からは断られていない。


「話にならない。頭を冷やしなさい。今までも好きになった女性はたくさんいたな。これまで同様、すぐに他の女性に興味が移る」

「今までとは違う!」

「ジェフ……お前が何を言っても解消したりしない。婚約は好き嫌いで決まるわけではないんだ。お前も伯爵家に生まれたんだからわかるだろう」


 ユーフェン伯爵は淡々とジョセフをさとした。ジョセフの気持ちを一時の気の迷いとし、本気で取り合っていなかった。よしんばジョセフの想いが本物だったとしても、婚約は簡単に動かせるものではない。


「俺がマリアンヌと結婚しなければならない特別の理由はないよな。うちはコナー男爵家と縁を結んだところで得られるものはない。コナー家も伯爵家との縁は惜しいとしても、他にもらい手がない訳ではない。あそこは財産があるから。うちには必要なくとも、欲しい家はある」

「それは……そうだな」

「スタイン男爵が一代貴族であることは父上は気にしない。それどころか、スタイン商会の伝手つてが手に入るのはうちにとってプラスのはずだ」

「まあ、そうだ」

「ミリア嬢は貴族としては未熟だけど、学問の成績は優秀だ。家業で書類仕事に慣れている。俺がエドの近衛騎士になった後、伯爵家と領地を切り盛りするのは実質俺の妻だ。ミリア嬢なら見事にやるだろう。母上のように。……マリアンヌよりも」


 ユーフェン伯爵は両手を上げた。いつになく真剣なジョセフに、恋に溺れた若者にこれ以上言っても無駄だと思ったのだ。


「わかった、わかった。コナー男爵に話だけはしてみる。マリアンヌに非はないのだから、お前の身勝手が招いたことだとするがいいな?」

「もちろん」

「いいか、話すだけだからな。向こうが反対すればそこまでだ。万が一解消することになったとしても、ミリア・スタインのことは自分でなんとかしろ。彼女がお前の求婚を受けると言って初めてスタイン男爵に話を持って行く。ミリア嬢か男爵に拒否されたら自分で伴侶はんりょを探すんだぞ」

「はい。ありがとうございます」


 マリアンヌがジョセフをしたっていることはユーフェン伯爵も知っていた。ユーフェン家以上の縁談があるとも思えない。ジョセフの言うとおり、どちらの家にとっても特別な利益があるわけではないが、不利益もまたない。コナー家が何年も前にまとまった話をわざわざ白紙に戻すのを許すわけがなかった。



 しかし、二日後の謹慎五日目の夜、ユーフェン伯爵はジョセフに婚約が解消されたことを告げた。


 ミリア・スタインの評判は良くない。息子ジョセフがその一因であることを除いても、ユーフェン伯爵家に迎えていい人物なのだろうか。このままジョセフが結婚まで押し切ってしまうかもしれない。王太子が側に置いているのならろくでもない人間ではないだろうが、ミリア・スタインについてこれから調べねばならなかった。


 軽々しく婚約解消の話など持って行くのではなかったと、伯爵は内心頭を抱えていた。まさか了承するとは。それもこんなに早く返事を寄越すなんて。


「お前はコナー夫人によほど嫌われているようだ」

「当たり前です。私だって大事な娘をこんな軽い男に嫁がせるとなったら嫌ですもの」


 その場に同席したユーフェン夫人はジョセフのことを冷たい目で見た。


「自分の息子だぞ……」

「あ、な、た、に、似たんですよ。いつまでも女性を追いかけて取っ替え引っ替え。私だってお義父とう様にどうしてもと頼まれなければ結婚などしなかったものを。何度も言っていますが、隠し子がいても私は驚きませんから」

「そんなことを言わないでくれ。結婚するときに誓っただろう。君と一緒になってからは他の女性とは何もない」

「どうだか」


 ユーフェン伯爵は最愛の妻に弱い。彼女もまた、夫である伯爵を愛していることをジョセフは知っている。


 二人の邪魔をしないよう、ジョセフはそっと退出した。


 伯爵は夫人に、自分に相談もなしに勝手に婚約解消を持ちかけるなんて、と責められていたが、とにかくマリアンヌとの婚約は両家の同意の元に正式に解消された。


 これでミリアに愛を告げられる。



 

 五日間の謹慎――父親に命じられたものだったが自主謹慎となっていた――の後、ジョセフは学園へと戻った。


 正門に現れたユーフェン伯爵家の馬車に、たまたまその場にいた生徒たちは驚き、たちまちジョセフは囲まれたが、そこはつつしみ深いご令嬢たちと紳士たるご令息たちである。ジョセフの起こした事件について下世話に正面からたずねる者はいなかった。


 校舎に向かう道すがら、視線はミリアを探していた。朝が早いミリアはすでに講義室にいるはずの時間なのだが、自然と目がミリアに似たピンク色を追ってしまう。


 講義室でミリアを見たとき、会えた喜びよりも、いつも通りにいてくれたことにほっとした。ミリアがジョセフに視線を向けたが、顔向けできずに目をそらしてしまった。


 エドワードは視線を合わせただけで何も言わなかった。好きな女ミリアにあんな事をしたのだから当然だ。一発殴られてもおかしくない。講義室ここではミリアに迷惑がかかるから、あとでなら腹くらい殴られてもいいと思った。


 

 昼、エドワードとアルフォンスはカフェテリアに行った。ミリアに宣言した他の生徒との交流を続けているようだ。ジョセフは興味津々な目を嫌って、一人個室で食べた。


 食事後、頃合いを見計って執務棟へと向かうアルフォンスを捕まえた。


「アル、頼みがある」

「断ります」

「ちょ、せめて聞いてから言えよ」

「ジェフかそう言うときはろくな頼み事ではないので」

「そんなことは! ……あったかもしれないけど」


 アルフォンスは、では、と去ろうとした。


「待て待て。頼む! ミリア嬢に謝罪をしたいんだ! 助けてくれ」

「ミリア嬢に?」

「放課後、星の間に来てくれるように伝えてくれるだけでいいんだ。ミリアは侍女を連れていないから。かといって俺が直接誘うわけにもいかないだろ」

「伝えるだけって……」


 アルフォンスの眉根が寄った。


「まさかミリア嬢と二人だけでサロンで茶会をする気なんですか?」

「できれば……」


 アルフォンスはジョセフに詰め寄った。


「あんなことをしておきながら、ミリア嬢と二人きりで会うと? それも密室で? 何を考えているんですか? ミリア嬢が了承するとでも? それを私に言いに行けと、そう言うんですか?」

「え、いや、できればで、ミリア嬢が嫌なら、もちろん、二人きりで会うつもりは、全然っ」


 冷たい視線と非難の混じった声に責められ、ジョセフは頭と手を横に振った。


「なら、ミリア嬢がジェフと二人は嫌だと言ったら、私が同席します。これ以上殿下とジェフに暴走されては困りますから。いいですね?」

「あ、ああ、その時は頼む。助かるよ」


 ジョセフはこくこくと頷いた。


「まあ……ミリア嬢が招待に応じてくれるかは彼女の気分次第でしょうが……行くと言うなら、ジェフと二人でもいいと言いそうですけどね」

「そうなのか?」

「先日のあれ、ミリア嬢は嫌ではなかったと言っていましたから」

「本当か!?」


 思わずがしっとアルフォンスの肩をつかんでしまい、しわができる、とたたき落とされた。


「本当です。……顔、緩んでますよ。気持ち悪い」

「きも……!?」

「嫌ではなかったと言っていただけで、良かったとも嬉しかったとも言っていませんでした。つまり何とも思わなかったということです。勝手な勘違いをして変な気を起こさないように」


 マイナスからの出直しかと思っていたジョセフは、アルフォンスの言葉に救いを見いだした。抱擁ほうようしておいて何とも思われないのは男として情けないが、そんなことはどうでもいい。


「ミリア嬢が一人で来てくれて、俺の謝罪を受け入れてくれたら……告白しようと思う」

「……今なんと?」

「ミリア嬢に告白する、と言った」

「告白? ミリア嬢はジェフの遊び相手には不適切だと思いますが?」


 不適切、という言い方に引っかかったが、大事なのはそこではない。


「遊び相手になってもらう気はない。恋人になってもらう」

「恋人!」


 はっ、とアルフォンスは笑った。


「平民ごっこですか? 求婚せずに恋人になってもらう……それを貴族私たちの言葉で遊び相手と言うんです。ミリア嬢がそういう付き合いを好むとは思えません」

「いずれは求婚する。だけど今言っても即行で断られるだけだ。だから、まずは恋人になってもらう。平民流でもなんでもいい。ミリア嬢に男として意識してもらうためだ」

「いずれは求婚する? 婚約者がいるのに? 殿下よりも重傷のようですね」

「マリアンヌ嬢との婚約は解消した」


 アルフォンスは息を飲んだ。


「そんな……いつ……解消だなんて……」

「昨日。父上にミリア嬢が好きだと言って。コナー家も同意した。元々口約束だから、契約書があるわけじゃないが」

「あり得ない!」


 興奮したアルフォンスが突然つかみかかってきた。


「婚約を解消するなんて! そんなこと!」

「おい、アル、何だよ急に!」


 ジョセフは、胸ぐらをつかむアルフォンスの両手首を、ぐいっと握り込んだ。


「っ! ……すみません。少し、驚いてしまって」

「大丈夫か? どうしたんだよ」

「すみません……」


 アルフォンスは、ひたいと腰に手を当ててうつむき、考え込む仕草しぐさをみせた。


「マリアンヌ嬢との婚約が解消されたのなら、私からとやかく言えることはありません。くれぐれも貴族として節度ある行動をお願いしますね」

「ああ、もちろんだ」


 ジョセフからの招待は放課後に伝える、と言って、アルフォンスは執務棟へと入っていった。

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