第27話 いいえ私の台詞です side ジョセフ

 このまま何もせずに黙ってミリアを見つめ続けよう、と落ち着いていたジョセフの心は、一気に燃え上がった。


 休暇前と同じように、いやそれ以上に、ミリアに触れたくてたまらなくなった。


 また肩を組んではいけないだろうか。ダンスの練習をする気はないか。軽口に怒って腕を叩いてくれれば。階段でエスコートをしたらおかしいだろうか。気分の悪い様子をわずかでも見せれば抱き上げるのに。


 少しでいい。

 あのふわふわとした髪の一房ひとふさでも、指の先でも、背中に手を添えるだけであっても。


 なまじ女性と遊んできただけに、見ているだけなのがつらかった。かといって、他の女性で発散する気にはとてもなれなかった。ミリアが欲しいのだ。ミリアでなくては意味がない。


 取り巻いてくる令嬢たちは、ミリアのように気軽に触れてくるようなはしたない真似はしないが、偶然に――故意かもしれないが――腕などが触れ合うこともある。そのたびにミリアだったらと考えてしまった。


 エドワードが避けられていることで自然とジョセフもミリアと接することはなくなっていたが、話をすると我慢できなくなりそうで、ジョセフは自分でもミリアに話しかけられないでいた。


 しかしやがて、せめて話だけでもしたいと思うようになる。廊下ですれ違う時にエドワードが側にいないのを確認し、思い切ってミリアに声をかけた。


「ミリアじょ――」

「急いでいますので」


 ミリアはジョセフに視線すら向けなかった。


 ジョセフ自身が避けられたという事実に打ちのめされた。避けられていたのはエドワードだけだと思っていたのだ。エドワードが逃げられているときにたまたまジョセフが一緒にいただけで、まさか一人でいるときにまで避けられるとは思っていなかった。


 ジョセフもまた厄介者やっかいものの一人と認定されていた。


 エドワードに近しいからなのか、騒ぎの時に同席していたからなのか、その前に肩を組む悪戯いたずらをしたからなのか。ジョセフが伯爵令息で、婚約者がいることさえもわずわしいと考え直したのかもしれない。


 一年半以上もエドワードを通して交流が続き、最近は二人もそこそこ仲が深まっていたはずだ。それこそジョセフが恋に落ちるほどに。にも関わらず、あっさりとその関係を切られてしまった。ミリアにとってはそのくらいもろい関係だったのだ。


 ジョセフも卒業後は地理的にも家格的にも交流はなくなると思っていたのだから、ミリアのことを責めることはできない。それが半年ほど早まっただけのことだ。だがミリアを好きになってしまった今、その事実が耐えがたい。


 長く進展のなかった知り合いポジションは、恋人へと発展しないことをなげくどころか、何としてでも死守しなければならない場所だったのだ。


 エドワードのことを自業自得だと見ていた余裕はなくなり、ジョセフも同じ所にはまり込んだ。


 入学当初に戻ってしまった。どうすればまた会話ができる仲になれるのか。きっとミリアはこのまま卒業を迎える気だ。でも時間がたてば落ち着くかもしれない。ならば下手なことはしない方がいい。これ以上嫌われてしまったら。


 女性ターゲットにつれない態度をとられても、負けじとアタックし続けていたはずの遊び人ジョセフは、本気の恋にはてんで使い物にならなかった。




 そのときのジョセフは焦りと混乱で正常な判断ができなくなっていた。


 昼休みの終わり、講義室へ向かう途中で下級生の令嬢につかまって話をしていると、廊下の端の階段からミリアが現れた。


 方角から図書室へ行っていたのだとわかり、ギルバートがミリアと会えていることに嫉妬しっとし、ミリアがギルバートのことを好きになってしまったのではないかと不安になった。


 とにかくミリアの意識を自分に向けさせたい。意思の疎通ができなければ何も進まない。


 そう考えたジョセフは、会話をしていた令嬢の肩に腕を回した。以前ミリアにしたように肩を組んだのである。


「じょ……!?」

「えぇっ!?」


 突然ジョセフに触れられたその男爵令嬢は、顔を真っ赤にしてかちんと固まった。一緒にいた友人は驚きで固まっている。


 何とも令嬢らしい反応である。平然と抗議してきたミリアとは大違いだ。


 いつもなら彼女たちの初々ういういしさに、可愛いなぁ、と微笑ましく思うのだが、ジョセフはなんの気持ちも起こらなかった。ただただミリアの反応が気になった。


 ミリアはジョセフを視界に入れると目を大きく開けた。ミリアの関心を引くことには成功したようだ。


「やあ、ミリア嬢」

 

 喜びを顔に出さないように注意して、近づいてくるミリアに手を振った。


「ジョセフ様、何をしているのですか」

「何って、平民流の挨拶」

「そういうことを聞いているわけではありません」


 会話が成立した。


 ミリアはつかつかと絨毯じゅうたんの上を足早に近づいてきて、令嬢の首に回っているジョセフの手をつかんだ。それをぶんっとほうられ、首から腕が外れる。捕まっていた令嬢がジョセフからたっと離れていった。


「以前ローズ様もおっしゃっていたではないですか。むやみに女性に触らないでください。どうしたんですか、ジョセフ様らしくないですよ」

「そう? いつも通りだけど」


 何食わぬ顔をしていたが、ミリアに触れてもらえたことが嬉しくて仕方がなかった。一瞬だけつかまれた手が熱を持っていた。


 ミリアが目の前にいて、ジョセフを見てくれていることに満足していた。その目がつり上がっていることなど構いはしない。


 ああ、もっと触りたい。


「こんなことはやめて下さい」

嫉妬しっと? 可愛いなぁ」

「違います」


 適当な事を言ってミリアのほほに手を伸ばした。いや、ミリアが可愛いのは本当だ。


 その手はミリアによって振り払われた。


 ぱんっと出た音と遅れてやってきた痛みで、ジョセフは我に返った。たしなめるような優しい払い方ではなく、ミリアが本気で嫌がったのがわかった。


 ジョセフはパニックになった。


 ミリアを怒らせてしまった。いや、怒っているのはわかっていた。しかしここまで怒らせたとは思っていなかった。本気で怒っている。何を? 頬に触れようとしたことを? 違う、令嬢に手を出したことをだ。嫉妬じゃない。ミリアの目にあるのは軽蔑けいべつだ。ミリアに嫌われる。嫌だ。それだけは嫌だ。


 ジョセフは無我夢中で両腕を伸ばし、ミリアを引き寄せた。


「ごめん、怒らせるつもりはなかった」

「放して下さい!」


 腕の中でミリアが暴れるが放す気はなかった。ここで力を緩めてしまったら、ミリアを永遠に失ってしまう。


「もうしないから。ごめん」


 どうにかして許して欲しかった。もう二度と軽々しい真似はしないから。軽蔑されるようなことは絶対にしないから。


 ミリアの抵抗が少し弱まった。それでも不安でぎゅうぎゅうと強く抱きしめる。ただただミリアが離れていくのが怖かった。


 頼むから――


「嫌いにならないで」


 泣きそうになりながら懇願すると、ミリアの体から力が抜けた。ぐっと腕に体重がかかる。


 ここにきて、ジョセフはミリアの様子がおかしいことにやっと気がついた。


 無抵抗でジョセフの胸に抱かれ、力を抜いて体をジョセフに任せきっている。見下ろした白いはずのうなじは真っ赤に染まっていた。


 ぐわっと体中の血がいた。


 急にミリアの体温や柔らかさを意識した。ジョセフの胸に手を置き、頭をつけて無防備に首筋をさらしている。心臓の音がうるさい。ミリアの髪からいい匂いがした。


 耳たぶの後ろから少し下がったところにある黒子ほくろがひどくなまめかしい。ジョセフはごくりと生唾なまつばを飲み込むと、そこへと口を近づけた。


 口づけを落とす直前、知っている香りがした。ミリアの物ではない。


 これは――そう、ギルバートの……!


 ジョセフはぴたりと動きを止めた。ミリアの首元からギルバートの使っている香りがする理由。そんなもの、一つしかない。


 愕然がくぜんとして危うくミリアを取り落としそうになったとき、急にミリアの体に力が戻った。


「いい加減に――」

「ジェフ!」


 またたきをする間に、ミリアはジョセフの腕からいなくなり、突然現れたエドワードの腕の中に収まっていた。


「お前、自分がやっていることがわかっているのか!? 嫌がる令嬢を無理矢理抱きしめるなど、紳士の風上にも置けぬ!」


 怒鳴ったエドワードの声で、ジョセフははっと我に返った。


 鬼の形相ぎょうそうにらんでくるエドワードと、その胸に大切そうに抱かれているミリアを見る。ミリアは赤面などしておらず、自分の足でしっかりと立って大人しくエドワードにかばわれていた。


 先ほどの光景は妄想だったのか、と思った瞬間、自分のしでかしたことを認識した。エドワードの言うとおり、嫌がって抵抗するミリアを力で押さえ込んで無理矢理抱きしめていたのだ。


 男として最低の行いだった。


「……ごめん、ミリア嬢。どうかしてた。ごめん。頭冷やしてくる」


 一刻も早くこの場から去りたかった。

 一刻も早くクズ野郎じぶんをミリアの視界から消したかった。




 どこをどうしてきたのかは全く記憶にないが、ジョセフは王都の屋敷に帰ってきていた。


 馬車も使わずに突然帰ってきた長男を見て、屋敷の使用人達は驚いた。ジョセフの顔色は非常に悪く、医者を呼ばれそうになるほどだった。


 ジョセフはそれを何でもないという一言で封じ、誰も入るなと言い捨てて、自室のドアを乱暴に閉めた。


「くそっ!」


 その足でサイドテーブルに向かって飾ってあったつぼを力任せに床へと叩きつけると、がっくりとソファに座り込んだ。


 両手で顔をおおってうなだれる。


 なんてことをしたんだ。

 嫌われるどころの話ではない。


 ミリアの信頼を完全に失ってしまった。



 その日の夜、父親に呼び出されたジョセフは、昼間の出来事について居間で詰問きつもんを受けたが、手を強く握りうつむいて何も言わなかった。何も、言えなかった。


 母親からは平手をもらい、父親からは殴られて吹っ飛ばされた。近衛騎士団団長として現役で剣を振るう父親の一撃は、しかし罰を求めていたジョセフにはまだ足りなかった。自分が逆の立場であの場にいたとしたら、相手の顔が変形するほど殴り倒しかねないと思っていたからだ。


 両親は、令嬢へ無体むたいを働いたこと、衆人の前で彼女たちをはずかしめたことについては責めたが、伯爵家の体面が傷つくことには何も言わなかった。その程度で傷がつくような家ではないということなのか、ジョセフの女遊びが激しいことが周知の事実でいまさらだからなのか。


 父親から顔の傷が治るまで自室での謹慎きんしんを言い渡された。もとよりそのつもりだった。どのつら下げてミリアに会えばいいというのだ。


 このまま引きこもってしまいたかったが、学園の成り立ちの通り、学園へ通うことは貴族の義務の一つだった。重篤じゅうとくな病など格別の理由がない限り、行かなければならない。長く休めば王命にそむくことにもなりかねなかった。


 朝一番で男爵令嬢へジョセフの名で詫びの品を贈るように指示を出した。ミリアには何もできなかった。何をしても逆効果だと思った。ジョセフがミリアと接点を持たないことが一番の誠意だと考えた。


 後悔で眠れぬ夜を過ごし、食欲のないまま部屋で悶々もんもんとしていると、夕方、アルフォンスが訪ねてきた。


 ミリアはジョセフを振ってエドワードを選んだ、ということになっている。身の程知らずにも王太子と伯爵令息をたぶらかし、エドワードには体を使って迫り、王太子妃の座を確実にするために子作りにいそしんでいるとまで言われている。


 王太子に取り入るために娘を使った、これを機に政治にまで手を出そうとしている、とスタイン男爵家への風当たりも強いが、スタイン家の動きは今のところない。


 ローズは噂について否定も肯定もせず悠然と構えている。むしろ周囲のミリアへの反感が大きい。マリアンヌはショックを受けて寝込んでいる。肩を組まれた令嬢への非難はなく、本人は突然の幸運に喜んでいるようだ。


 昼にミリアと食事を共にしたが、自身の噂にも周囲の反応にも頓着とんちゃくしていない。ジョセフのことを気にしているようだった。マリアンヌのことも。


 といったことをつらつらと述べた。


 ジョセフは自分のせいでミリアが今まで以上に悪く言われることになったのがつらかった。ミリアはたぶらかそうなどとつゆほども思っていなかっただろう。どこまでもただエドワードたちに付き合っているだけだった。ジョセフの知る限り、権力を利用したのは小さな猫のための一度きりだ。


 エドワードと肉体関係を持っているとまで言われて、ミリアはどれほど傷ついているだろうと思った。令嬢としての体面も大きく傷ついたし、心も……いや、ジョセフに力ずくで押さえ込まれた事の方が傷ついているかもしれない。きっと表には出していないだけだ。


「ジェフがあんな行動に出るとは思いませんでした」

「俺も」

「この前ちゃんと聞いておけばよかったです」

「この前?」

「まさかジェフまでミリア嬢に引っかかるとは。情けない」

「その言い方はないだろう」


 ジョセフは暴言に声を荒げたが、アルフォンスは反論するのを諦めたように首を振った。


「ジェフのせいで、エドワードはますますミリア嬢にべったりです。今朝女子寮まで迎えに行き、その前と夕方に花を贈っています。それも薔薇ばらですよ、これからも続けるそうです」

「薔薇ぁ!?」

「ええ、ミリア嬢が朝は紅色あかいろだったと言っていたそうですよ」

「何を考えているんだあの馬鹿は」


 ジョセフは頭をかかえた。


「それは私の台詞せりふです。何を考えているんですか、あなた方は」


 軽蔑するように言って、アルフォンスは帰って行った。

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