第22話 餌付けなんてされてません side ジョセフ

 放課後、茶会は一刻後に、とエドワードが告げると、ミリアは首をかしげた。


 エドワードはミリアの思考を読み切れず、二刻後の方がいいか、と聞いた。


 逆だ。ミリアが疑問に思ったのは、なぜそんなに時間が必要なのか、ということだった。身支度をするものだということを知らないのだ。常識すぎて誰も教えてくれなかったのだろう。


 エドワード側の準備だけならばすでに終わっている。講義の間に使用人にさせていたからだ。


「女性は着替えるものなんだ。エドはこれでも王太子だから」

「え?」


 ジョセフが言うと、ミリアはひどく嫌そうな顔をした。なら行きたくない、と顔に書いてある。


「でもそのままでいいんじゃないか? 俺たちしかいないし。……いいよな?」

「あ、ああ、もちろんだ」


 主催者に同意を求めると、エドワードは空気を読んで首肯しゅこうした。アルフォンスが逆に嫌そうな顔をする。こんな簡素な服装で参加するなんて常識を疑う、と言いたげだった。


 ミリアに貴族の常識を求めてはいけない。


「では今から始めよう。場所は水の庭園だ……と、一緒に行けばよいのか」


 行くぞ、と言われて、ミリアはエドワードたちの後をついていった。その後ろで、そしてすれ違う廊下で、令嬢や令息たちがひそひそと話しながら白い目を向けていることなど、おかまいなしだった。


 目立ちたがらないのにこういうところは鈍感だ。ジョセフは注目を浴びることに慣れていて、他の二人も同様だが、ミリアはそう経験はないはずだ。


 少しくらい人目を引いても大丈夫かもしれない。


 そう思ったが、親しくなる前から冒険して嫌われたら元も子もない。しばらくはエドワードを隠れみのにさせてもらうことにした。


 水の庭園は、その名の通り、噴水が美しい庭園である。四基ある噴水は正方形を形作るように設置され、それぞれが水路で結ばれている。水路に三方を囲まれた所にテーブルセットが置いてあった。


 季節は冬から春へと変わったばかり。若葉の青々しい香りと、早咲きに調整された花々の甘い香り、そして水の清涼な香りがした。


 エドワードはその庭園を丸ごと貸し切り、中央のテーブルに準備をさせていた。

 

 エドワードのエスコートで座ったミリアは、慣れない席に少しそわそわしていた。物珍しさにきよろきょろしているさまは、やはり小動物のようだった。


 四人が腰を下ろすのを合図に、使用人が無駄のないきびきびとした、かつ優雅でもある動きでティーセットを用意していく。


 ミリアの目の前に音もなく置かれた皿の上には、大きなイチゴの乗ったショートケーキ。


 カフェテリアでベリーのソースが美味しいと言っていたのを思い出し、エドワードに助言したのである。ショートケーキは王道中の王道だから、好みを知らなくても大きくはずすこともない。加えて、甘過ぎず、こってりし過ぎていない、一般受けする店を選んだ。ジョセフの女性経験がいかんなく発揮された一切れだった。


 ミリアは期待に目を輝かせ、エドワードの許しが出ると、カップに口をつけるよりも先にフォークに手を伸ばした。


 最初の一口を、ジョセフとエドワードは固唾かたずを飲んで見守った。アルフォンスの冷ややかな視線は無視だ。


 あーん、と食べたミリアのほころんだ顔を見て、よっしゃ、と思った。初撃は成功だ。


 ジョセフにショートケーキにしろと言われて急遽きゅうきょ準備させることになったエドワードも、これならむくわれるだろう。


 上機嫌になったミリアとの会話は弾んだ。


 学園では一人つまらなさそうにしているミリアだが、じっくりと話をしてみれば、普通の子だった。

 

 好きなもの、家族、普段していること。


 ジョセフの知りたかったことがぽんぽんと出てくる。


 最近弟が跡取りの自覚を持ち始めて寂しい。去年扱い始めた染料の売れ行きがいい。地元で人気のレストランが王都に進出してきた。古典の講師の解釈は間違っているのではないか。


 エドワードに平民について教えて、ジョセフの冗談に笑う。


 アルフォンスはミリアがカップを置く時にカチッと音を立てるたびに顔をしかめていたが、そのアルフォンスでさえ一言二言であるものの会話に混ざるほどである。大半は嫌みや皮肉だったのだが。


 エドワードの予定と天気とミリアの気分が合致した時だけ開かれるお茶会は、回を重ねていった。


 その間にジョセフはミリアの信頼を獲得し、一人で話しかけても会話が成立するようになっていたが、ミリアがジョセフを男として意識している様子は全くなかった。確実に前には進んでいるのだが、まだまだ先は長そうだ。




 二年目の半ば、秋に入る頃。


 ジョセフはいつものように王都に出ていた。


 エドワードの護衛役とされ、いつも行動を共にしているように思われているジョセフだが、それは学園にいる間だけだ。学園の外では近衛騎士本職が護衛する。学園内であっても、そこかしこで護衛が目を光らせているのだから、実質ジョセフはただエドワードについているだけだったりする。


 遊び相手がいなくて欲求不満になっていたジョセフは、久しぶりに女の子でも引っかけようかな、と平民街をぶらぶらしていた。


 高級な店が建ち並ぶ一角、ジェラートの店の前で、ミリアを見かけた。横には同じピンク色の髪の少年がいて、弟だとすぐにわかった。


 向こうが気づいていないのをいいことに、何か情報が得られないか、と壁にもたれて観察する。


 二人はベンチに座って、二段重ねのジェラートを食べていた。ミリアがスプーンですくったアイスを弟の口に入れてやると、弟も同じ事をミリアにする。二人は顔を見合わせて笑った。笑顔がそっくりだ。


 ミリアは平民の服を着ていたが、学園にいるときのドレスよりもはるかにお洒落しゃれだった。


 髪は編み込み一つ入っていないただのポニーテールだが、そのリボンには細かな刺繍ししゅうが入っている。

 赤いワンピースの腰はきゅっと絞られていて、スカートが少し膨らんでいた。元とすそにも刺繍が入っている。

 くるぶし丈のスカートの下からのぞく編み上げのブーツはかかとが高く、精緻せいちな模様が彫り込まれていた。


 座っていても、ミリアによく似合っているのがわかる。立てばもっと可愛いだろう。


 入学前に見たときとは違い、お嬢様という言葉がしっくりくる格好だった。


 二年前と違うのは、ミリアが年頃になったからだろうか。高級店が並ぶ通りに来ているからだろうか。それとも、弟と一緒にいるからか。


 あのときのミリアは一人だった。この服装が、弟の――連れのためだとしたら。


 ミリアはきっと、好きな男の前では、同じように……いや、それ以上にお洒落をするのだろう。


 着飾ることにも興味がないと思っていたのに、またも裏切られた。知れば知るほどミリアは魅力的な子になっていく。


 恋をすれば女性は美しくなると言う。ジョセフも心を奪った相手が目に見えて変わっていくのは何度も見てきた。


 それでも、ここまでのギャップがあっただろうか。


 一番に似合うドレスを着たら、どれだけ美しくなるのだろう。


 ミリアの心を手に入れたら、絶対にドレスを贈ろうと思った。


 自分の手でミリアの美しさを花開かせるのだ。




 気持ちを新たにした翌日、エドワードが興奮したようにジョセフにせまってきた。


 いわく、王都で弟と連れ立つミリアを見た、今まで見たことのないような満面の笑顔をしていた、あの笑顔を自分でもさせたいから協力しろ。


 このとき初めて、エドワードはライバルになりえるのか、と思った。ジョセフのようなゲームではなく、エドワードがミリアを本気で好きになり、ミリアの心を欲する可能性である。


 ミリアがエドワードのことを好きになるかもしれないことは以前考えたが、その可能性はないだろうな、と思っていた。ミリアはエドワードを小さな子供を見るような目で見ている。恋愛感情はいだかないだろう。


 恋愛感情を持っていない、という意味では、ジョセフに対しても同じなのだが、エドワードよりはチャンスがあるはずだ。あると思いたい。


 しかし、エドワードがミリアを好きになる可能性は全く考慮していなかった。


 今のところ、エドワードのミリアへの関心は非常に高いが、異性として意識している様子はない。


 例えそうなったとしても、エドワードは王太子だ。王妃教育を受けている婚約者ローズもいる。アルフォンスの言うとおり、ジョセフとは立場が違うのだ。さすがに行動を起こすことはないだろう、とジョセフは考えた。


 自分も王都でミリアを見かけたことは黙ったまま、ジョセフはエドワードの協力要請に応じた。


 ミリアの幸せな時間に同席するのも、作戦の一つなのである。ジョセフのことを考えた時にそれらが思い起こされれば気持ちが傾きやすくなる。


 今までの傾向から、ミリアが関心を持つのは、一に甘い物、二に家業、ということがわかっていた。


 甘味かんみは言うまでもないが、家業というのは商売のことだ。ミリアに自覚はなかったが、育った環境がそうさせるのだろう、商売に繋がりそうな、流行はやり物と珍しい物に特別の興味を示した。


 どこから仕入れてくるのか、ミリアは王都での流行に詳しい。エドワードはミリアの口から出た物を試し、ジョセフは特に王都の外の情報収集にいそしんだ。


 用意したものはどれもミリアを笑顔にするのだが、エドワードは後からあれは違うと悔しそうにする。


 仕舞いには、ジョセフが引くほどエドワードは熱を入れ始めた。見せ、食べさせるだけだったはずが、自ら劇場に足を運び、政務の間に馬を駆って現地へおもむき、使者に頼んでまで他国の物を求めたのである。


 二年目の終わり、夏の休暇に入るまであとわずかという時、さすがにやりすぎなのでは、とジョセフは思った。


 ミリアの本当の笑顔というのがエドワードのまぼろし、もしくは、こだわるあまりにまだ先があると思い込んでいるのではないか。


 それに、このままいくと良くないと思った。


 ミリアの方はこれだけされても喜ぶ以上の感情は見せなかったが、エドワードの執着が強く、それが恋愛感情に転ぶおそれがあった。


 制止役のアルフォンスは、王太子エドワード相応ふさわしくない、婚約者を大切にしろ、とあれだけ口を酸っぱくして言っていたのに、いつの間にか何も言わなくなっていた。


 休暇を挟めば落ち着くだろうとジョセフは手を緩めることにした。


 だがそのわずかな期間に、エドワードはやりげたのである。


 王都の有名店の新作ケーキ。

 それを一口食べたミリアは、確かに満面の笑みを浮かべた。エドワードに確認するまでもなかった。


 ――負けた。


 この顔をさせたのはまぎれもなくエドワードだ。


 ジョセフが手を抜いていなければ、直接関わっていなくても、自分もその一端をになった、と思えただろう。だが、そうではないのだ。全てはエドワードの手によるものだった。


 弟に見せていたというこの無防備な笑顔は、ミリアが自分たちに気を許すようになったということでもあるのだろう。


 それを喜ぶことなどとてもできず、ジョセフはとにかく悔しくてたまらなかった。


 エドワードに先を行かれてしまったという思いがぬぐえない。自分の方が恋愛経験にんでいて、女性の扱いも上手いはずなのに。プライドがいたく傷ついた。


 変わらずミリアがエドワードにかれていないのが救いだった。これ以上先んじられてはかなわない。



 夏の休暇を挟むと、エドワードの行動は目に見えて落ち着いた。目標を達成して満足したのだろう。と言っても、行き過ぎていたのはジョセフたちの前だけだったため、第三者から見れば変わらずミリアを構い倒しているのだが。

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