第21話 甘い物が欲しかったんです side ジョセフ

 ミリアを落とすと決めたものの、卒業まで時間はたっぷりあるわけだし、とジョセフは動かなかった。


 先に今並行して進めている二件を片づけたい。一人は夫の子爵を亡くした年上の未亡人で、もう一人は平民街の鍛冶かじ屋の看板娘だ。


 未亡人とは元々割り切った関係で、だからこそ自分にれさせたかったのだが、そこにこだわらなければいつでも切れる。いったん後回しだ。


 注力せねばならないのは鍛冶屋の娘の方で、ジョセフに夢中になっているのは明らかなのだが、もう一押しすれば一夜の思い出が欲しいと言わせることができそうだった。


 平民の子は貴族令嬢と違って、手を出しても傷物きずものになったなどと騒がないのがいい。間違っても泥沼にはまらないよう、相手を厳選し、行動に細心の注意を払い、少しずつ心をからめ取っていく。それは緊張感に満ちていて、ぞくぞくするほど楽しかった。


 鍛冶屋の娘が思ったよりも手強てごわく、押しては引き、押しては引き、と駆け引きをして、やっと彼女のすべてを手に入れ、後腐あとくされもなくきれいに関係を終わらせたのは、二年目の後期だった。


 未亡人との関係も清算し、久方ひさかたぶりに女関係のない身ぎれいな状態になったジョセフは、ようやくミリアに照準を合わせた。


 まずはあの無感動なミリアの心を揺り動かし、ジョセフに興味を持たせなければならない。


 手始めに雑談をしながらミリアをさぐろうとした。好きなもの、普段の過ごし方、家族のこと。相手を知ればそれだけ有利になる。


 だが、ミリアは自分のことを話さなかった。相槌あいづちを打ち、こちらの話を引き出すことで、自分に向いた話を押し返してくる。エドワードなどは気持ちよく話せて満足しているのだが、情報収集が目的のジョセフは空振からぶりに終わることがほとんどだった。


 かといって一人でいるときに話しかけてもろくな返事が返ってこない。ミリアが話に付き合ってやるのはエドワードだけで、ジョセフとアルフォンスは付け合わせ程度にしか思われていないようだった。


 構い倒すという正攻法が逆効果なのはわかっていた。ミリアは一人でいたいのだ。頻繁に声をかけたら鬱陶うっとうしがるだろう。


 これまでの女性は初めからジョセフに好意を持っていて、話しかければ喜んだし、聞けばいくらでも自分のことを教えてくれた。だがミリアの場合、好意どころか、ジョセフが伯爵令息であるがゆえに反感を持っているふしさえあった。


 外見の優位さがなければここまで苦戦するのか、とまだ取っ掛かりすらつかめていないことに、ジョセフはますますやりがいを感じた。簡単に攻略できてしまったら面白くない。


 そんなジョセフがミリアのツボを発見したのは偶然だった。


 その日ジョセフは知り合いの子爵令息に急ぎの用があって、昼休みの早い時間にカフェテリアに行った。


 普段エドワードと個室を利用しているジョセフが来たということで、令嬢たちが次々と、ご一緒にいかがですか、と誘ってくる。


 用が済んだら戻らなきゃいけないんだ、と彼女たちをかわしつつ、栗色の髪の令息を探していると、ピンク色の頭が目に止まった。


 ミリアは窓際の隅のテーブルの端っこの席に一人で座っていた。大きなガラスはこのカフェテリアの売りの一つで、そこから差し込む光で、ざっくりとったミリアの髪がきらきらと輝いていた。


 その顔を見て、ジョセフは立ち尽くした。


 あれだけ何にも関心を示さなかったミリアが、なんとも幸せそうに食事をしていたのである。一人きりでも寂しそうな様子を欠片も見せず、美味しくてたまらないという表情をしていた。


 こんなことでいいのか。


 カフェテリアで食事をしたことはないが、個室の味よりは劣るだろう。ジョセフは個室でのランチでさえ悪くはないな、と思う程度で、ミリアの食べている料理が特別美味しい物とは思えなかった。


 スタイン家でも同等の食事くらいは用意できるはずだ。平民生活が長かったせいなのだろうか。 

 

 思い起こせば、昼休み後のミリアは、上機嫌ですっきりとした顔をしていた気がしなくもない。食事で満たされていたからなのか。


 ジョセフは、ふとミリアに話しかけてみようと思った。今なら機嫌が良さそうだ。何か聞き出せるかもしれない。いつものない態度ならさっさと退散すればいい。


「ミリア嬢」


 これ以上令嬢たちに声を掛けられないよう、早足でミリアに近づいたジョセフは、向かいの椅子の後ろに立ってミリアの名を呼んだ。


 ミリアは顔を上げ、つつっと視線をジョセフの顔まで走らせた。


「……」


 ジョセフを認識したミリアは少しだけ目を見開き、続いて頭をわずかに傾けた。

 

 だが言葉は発しない。食べている途中なので答えられないのだ。


 見上げながらもぐもぐもぐもぐと口だけを動かしているミリアは、小動物を彷彿ほうふつとさせた。


 待つこと数秒。ごくんと飲み込んだミリアは、水を一口飲んでから口を開いた。


「ここに来るなんて珍しいですね。どうしたんですか?」


 良い反応だ。やはり機嫌がいいらしい。


「別の用で来たんだけど、ミリア嬢が見えたから。ここ、座っても?」

「どうぞ。私は食べますけど」


 言ったそばからミリアは魚をぱくり。


 目を細めてもぐもぐもぐ。


 さらにもう一口ぱくり。


 ミリアはもぐもぐと口を動かしながら、正面に座ったっきり何も言わないジョセフに不審な目を向けてきた。


「それ、美味しい?」


 ミリアがこくりとうなずく。


「川魚のフリッター? 好きなの?」


 ジョセフの問いかけに、んー、と首をかしげるミリア。


「好物というわけではないです。でも今日はこのベリーのソースがすごく美味しくて。似たような料理でも、シェフが毎回違う味付けにしてくれるんですよ」

「肉は好き?」

「そうですね。魚よりは肉です。ここのシチューは最高ですが、基本的には焼いたものが好きです」


 こんなに饒舌じょうぜつに話すミリアを初めて見た。聞いてもいないのに自分から話している。


「甘い物は好き?」


 ミリアが大きくうなずいた。


 好きなんだ。


「エドのお茶会には美味しいお菓子が出るよ」


 途端にミリアの口の動きが遅くなった。

 ぱちぱちと目をまたたいている。


 その発想はなかった……! と顔に書いてあった。

 

「気が向いたら来たらいい。じゃ、俺はこれで」


 片手を上げて席を立つと、もぐもぐしながらミリアがひらひらと手を振った。とことん機嫌がいいらしい。

  

 いいことを聞いた。


 食べるのが好きで、魚より肉、それも焼いた肉を好む。甘い物が特に好き。そして、食べているときはかなり機嫌がいい。


 ミリアはまだ一度もエドワードの招待を受けていないが、あの顔を見るに、美味しいお菓子というエサには食いつきそうだ。もっとミリアを茶会に誘うよう、エドワードをけしかけなければ。




 ミリアの未来は常に「これから予定が入るかもしれない」という予定で埋まっているのだが、当日の誘いは何かと天秤てんびんにかけているような様子が出てきた。明らかにかれている。


 ジョセフはここぞとばかりに、茶会で出た菓子の感想や次回のリクエストなどを聞こえよがしにエドワードに言い、ミリアをあおった。


 ミリアを茶会に来させようというジョセフの思惑に気がついたアルフォンスが、エドワードのいないところで文句を言ってきた。


「ジェフ、余計なことをしないで下さい」

「余計なこと?」

「ミリア嬢は殿下が交流を持つにあたいしないと言っているでしょう」


 アルフォンスが、ぐっとジョセフの胸を押す。


「だからなんでだよ。ミリア嬢は元平民だからって、今は立派な男爵令嬢だろ」

「立派な……ね」


 アルフォンスは、やれやれと首を振った。


「こちらこそ何度も言っていますが、あれのどこが令嬢ですか? 品位の欠片もない。殿下に悪影響が出る前に排除しなくてはなりません。すでに良くない噂は出ているんですよ」

「気にしすぎだろ。いいじゃないか学園にいる間くらい。俺の噂なんか掃いて捨てるほどある」

「殿下はそういうわけにはいかないんです。それにジェフは遊びすぎです。マリアンヌ嬢が心を痛めていますよ」


 それはそれ、これはこれ。


 マリアンヌは婚約者だ。いずれは結婚する。彼女が嫌なわけではないが、妻を勝手に決められたのだから、結婚するまでは好きにさせて欲しい。


 それに、今はクリーンだ。


「今は誰とも関係を持ってない」


 自慢げに――自慢にはなっていないのだが――ジョセフが言うと、アルフォンスが目を丸くした。そして眉を寄せる。


「体の具合でも悪いんですか? 変な病気を移されたとか? まさか相手を妊娠……」

「させるかっ!」


 そんなヘマはしない。……していない、はずだ。


 ふぅ、とアルフォンスが息を吐いた。


「落ち着いてくれるなら何でもいいですけどね」

「何でもはよくないだろ……」

「せっかくですから、卒業までそのままでいたらどうです?」


 ジョセフは肩をすくめた。


 それは保証できない。


 

 ジョセフの働きかけもあって、いくらもたたないうちにミリアは陥落かんらくした。


 今日は機嫌が悪そうだから駄目だな、と思っていたら、ミリアは長めに考え込んだあとに、仕方ないですね、と言ったのだ。


 これで美味しくなかったらコロす――と視線で刺された気がした。


 美味しいよ、と笑顔でうなずいておく。

 

 準備するのはジョセフではないのだが。

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