第23話 訓練頑張って下さい side ジョセフ

 ある日ミリアが子猫を拾った。


 茶会の最中に鳴き声を聞き取ったミリアが突然席を立って走り出し、追いかけたジョセフは、ミリアが地面の鳥に特攻をかましている所を目撃した。


「何やって――」


 ミリアはスカートがめくれ上がることも構わず、大きく振り上げた右足で鳥を蹴っ飛ばそうとした。が、当然かわされ、反撃にあった。


「わっ!」


 キャーと悲鳴を上げれば可愛げがあるのだが、そこはミリアである。慌てた声を出し、襲ってきた鳥を払おうと腕を振り回す。


 ジョセフがそこに割り込み、ミリアをかばって鳥を追い払った。


 礼を言う間もなく、ミリアは雨でぬかるんだ地面から泥だらけの何を拾い上げ、胸に抱いた。ドレスにべったりと泥がつく。


「怪我しなかった?」


 色々聞きたいことはあるが、まずはミリアの身を案じた。


「大丈夫です。助けてくれてありがとうこざいました」


 ミリアが拾ったのは小さな小さな子猫だった。


 そのままエドワードたちのところに戻れば、エドワードは大慌てで、アルフォンスはミリアが抱いているのが動物だと知るや一歩引いた。


 ミリアは珍しく王太子エドワードに甘え、その権力を利用して子猫を保護することになった。


 伯爵子息ジョセフ王太子エドワードが並んでいれば、王太子に頼むのは自然なことだ。


 それでも、ジョセフはミリアが頼ったのが自分ではなかったことに、また悔しさを覚えた。

 



 エドワードが寮内に子猫を持ち込む許可を取り付け、世話人も手配したのだが、その甲斐かいなく、十日後に子猫は冷たくなった。一度持ち直したのだが、ミルクが上手く飲めなくなったのだった。


 その日の放課後、ミリアがジョセフに声をかけてきた。


「ジョセフ様、お願いがあるのですが」

「いいよ、何?」

子猫ミミが、死んでしまったんです。それで、埋めてあげたくて……手伝ってもらえませんか?」

「……わかった」


 ミリアは覚悟していたのだろう。悲しい様子はなく、淡々としていた。


 不謹慎ふきんしんなことに、ミリアに頼られたことを嬉しく思った。アルフォンスは動物嫌いでエドワードは多忙だから、自分は消去法で選ばれたのだとわかっていても。


 頼られるということは、ミリアとの距離がまた一歩近づいたということなのだ。



 ミリアは子猫を連れてくるからと、一度寮に戻った。子猫を拾った庭園で待ち合わせることにした。


 やって来たミリアは、大事そうにタオルでくるんだ子猫をかかえていた。どこから手に入れたのか、小さなスコップを持っている。


 ジョセフが無言で手を差し出すと、ミリアがスコップを渡してきた。


 鳥と一戦をまじえ、子猫を拾った場所へと行く。


 ミリアに何を言われるわけでもなく、ジョセフはそこにあった木の根本に穴を掘った。


「もうその辺で」

「深くしないと動物に荒らされるぞ?」

「それならそれで仕方ないです。私は自分の勝手な気持ちで鳥のご飯を取り上げてしまったから。ここなら手入れする人しか来ないでしょうから、生徒に見られることもないと思います」


 ミリアは拾ったときも同じ事を言っていた。


 鳥に食べられそうになった猫を可哀想かわいそうとは思っても、食べ損ねた鳥にも同情するなんて。変わった考え方だが、食事が好きなミリアらしいと言えばそうなのかもしれなかった。


 ミリアがそっと子猫を穴の中に横たえると、ジョセフは土をかぶせていった。


 埋め終えると、ミリアはその前にしゃがみこみ、両手を組み合わせて祈りをささげた。


 ジョセフが思うよりずっとずっと長い祈りだった。


 やがてミリアは立ち上がると、ジョセフに向かって、ありがとうございました、と深く頭を下げた。


「役に立てたならよかった」

「もちろんです。一人ではつらくて。つき合ってくれて助かりました」


 そう言って薄く笑ったミリアには、やはり悲しみは見えなかったが、いつもの元気はなかった。祈りの長さといい、外には出さないつらさがあるのだろう。


「少し話さないか?」


 ジョセフはミリアの横を歩きながら聞いた。恋愛ゲームのためではなく、今のミリアには落ち着く時間が必要だと思ったからだ。


「……そうですね。ジョセフ様の時間があるのなら、お願いします」


 誘ったのは初めてだったが、ミリアは二人だけの茶会を受けてくれた。


「美味しいお菓子は用意できないけど」

「それは残念です」


 おどけて言うと、ミリアもおうじた。さっきよりもいい笑顔だ。


 使用人に用意させたのは、敷地の端にある、人気ひとけのない小さな庭園だ。少し距離があるが、ミリアは大人しくついてきた。


 二人が到着したときには準備は整っていた。貸し切ってはいないが、あんじょう、他には誰もいない。


 美味しいお菓子は用意できない、とミリアには言ったが、備えてあったミリアの好きなピアミルキのクッキーを出した。プレーンとココアの二種類だ。バターの香りが強いプレーンは甘めで、ココアはやや苦い。


 ミリアはそれを喜んでくれて、話をしている間に元気を取り戻していった。


 二杯目の紅茶がそそがれ、会話がいったん止まったとき、それをこくりと一口飲んだミリアがカップを両手で持ち、ふーっと息を吐いて背もたれに身を預けた。


 ミスをするたびにアルフォンスに皮肉たっぷりに指摘され続けたおかげか、それとも完璧な三人と茶会を重ねたからなのか、茶会でのミリアは――澄まし顔をして口さえ開かなければ――貴族令嬢に見えるようになっていた。


 最近では珍しいマナー違反だ。


「助けてあげられなかったなぁ……」


 ミリアがカップに目を落としたまま、ぽつりとつぶやいた。


 ミリア嬢のせいじゃない、と言うのは簡単だったが、ジョセフは言えなかった。代わりに投げたのは一つの問いだ。たぶん、ジョセフも子猫のことで感傷的になっていたのだろう。


「ミリア嬢は……人を殺すことをどう思う?」


 ミリアは背を起こしたが、何も言わなかった。


 じっとジョセフを見つめて、先をうながしてくる。


「俺さあ、人を殺したこと、あるんだよね」


 軽く言ったつもりなのだが、ジョセフの口元は引きつってしまっていた。


 ミリアがカップをソーサーに置いた。音はしなかった。


「そうですか」


 ジョセフを見上げたミリアは「それで?」と続きそうな調子の声で言った。


「驚かないの?」

「状況がわからないので」

「……聞くとみんなびっくりするもんだけどね」


 ジョセフはテーブルにひじをつき、両手の上に額を乗せてうつむいた。


「エドが地方に行ったときにさ……ついて行ったんだけど……見物人から男達が飛び出してきて……護衛が対応したんだけど……後ろから女の人がエドに向かってきて、とっさに、ね」

「……」

「俺が手を出さなくても護衛は対応できたんだ。それに、今ならもっと上手く対処できたと思うんだけど、あのときはまだ手加減とかできなくて。訓練通りに急所狙っちゃったんだよね」

「……」

「あの時の感触が忘れられない。どばっと出た血があったかかったことも。……また同じ事が起こったときに、躊躇ちゅうちょしちゃうんじゃないかって不安になる」


 騎士は人を殺す職業だし、王太子サマの近衛になるって男がそんなこと言ったらだめだよね、とジョセフは苦しそうに笑った。


 戦争になれば出征するし、暴動が起これば鎮圧する。もちろん護衛対象が狙われればはばむ。それが騎士だ。人を殺すのが怖いだなんて許されない。


 こんな不安を抱えたまま王太子の側にいていいのだろうか。一番近くにいるということは、一番最後のとりでだということだ。何があっても自分のところで止めなければならない。


 ジョセフは視線を落としたまま、テーブルの上で手を組んだ。不安を誤魔化すように、親指の側面をすり合わせている。


 ミリアはまたマナーを無視し、腕を組むと、うーん、と目を上に向けた。


「私には、いざというときにジョセフ様が剣を振るのを躊躇ちゅうちょするかしないかはわかりません。だけど、エドワード様を守ろうとはしますよ。例えジョセフ様が剣を抜けなかったとしても、自分を盾にするくらいのことはするんじゃないですか?」

「そうかな……?」

「エドワード様はジョセフ様にとって、王太子だからとか、偉い人だからとか、護衛対象だからとかじゃなくて、大切な人だから守りたいんですよね?」

「大切な人って言うのはなんか照れるね」


 ミリアが首をかしげた。


「だって乳母兄弟きょうだいでしょう? 私だって弟に向かって誰かが刃物を振り下ろそうとしたら、勝手に体が出ちゃうと思います」


 私の反射神経で間に合うか、は別なんですけど、とミリアは口をへの字にした。


「それに……」


 ミリアは姿勢を正し、目線を落として紅茶を一口飲んだ。


「さっきの言い方だと……ジョセフ様が不安なのは、エドワード様を守るときに躊躇ためらうかもしれないってことじゃなくて……自分の未熟さ? のようなものなんじゃないですか?」

「そりゃあ、強い相手が来たら勝てないからね」


 それはそうだ。


 そこにいるのがジョセフだけで、手練てだれがたばになってかかって来たらひとたまりもない。


 第一王子ギルバートせりがちになり王位継承権を放棄したことで、元よりほとんどなかった後継者争いが沈静化したとはいえ、王族とは常に狙われるものだ。他国の刺客しかく、不満をもつ国民、個人的なうらみ、ねたみ、逆恨さかうらみ。


 だが、それを言い出したらキリがない。上には上がいるし、そこにいるのがジョセフでなくても同じだ。だから、未熟さは不安なのではなく、克服こくふくすべきものだ。


「そうではなくて……なんて言ったらいいのか……手加減ができなかったっていうのは、黒幕? とか、計画とか、そういうのを吐かせないといけなかったのに、とか、ちゃんと裁かれるべきだったのに、ってことですよね?」

「ああ、うん。まあ……そうかな」

「自分がやらなくても護衛が対応できたって言うのは、ジョセフ様が逆に邪魔することになっちゃったってことですよね?」

「うん」

「そういうのは、できたらいいな、ってくらいのことだと思うんですよ」


 ミリアがジョセフの目をまっすぐに見た。


「それは訓練すればできるようになりますよね。強い人に対抗できるようになるし、余裕があれば周りと協力できるし、手加減して犯人を殺さないこともできます」

「うん」

「だけど、とっさに体が動くっていうのは……えと、訓練もあると思いますけど……考えてするものじゃないです。ジョセフ様がエドワード様をうっかり守ってしまったときのように」


 うっかり守ってしまった、という言い方が、当時の状況そのままだった。手を出してはいけなかったのに、出してしまったのだ。


「ジョセフ様が、護衛として、乳母兄弟きょうだいとしてやるべきなのは、エドワード様を守ることとです。エドワード様さえ無事ならいいんですよ。もっと言えば、例えエドワード様が怪我をしたとしても、死にさえしなければ、それだけでジョセフ様は役目をたしたと言えます。それ以外のことなんて些細ささいなことです」

「そう……なのかな」

「それが正しいのかはわかりませんが、私はそう思います。それに、エドワード様だって自衛はできますよね? そのために剣術やってるんですよね? 王族のたしなみとかじゃなくて。エドワード様だって自分を守る義務があるんですから、ジョセフ様が一人で背負うことないです」


 ミリアは、王太子様は税金で贅沢ぜいたくしてるんだからそのくらいしてくれないと、と商人の娘らしいことを言った。


 ミリアの言葉は、本人も言うように正しくはない。力及ばず守れなかったなんてことは絶対に許されないし、エドワードの力を当てにするなんてことも有り得ない。


「それで、えーっと、何が言いたかったかというと……」


 ミリアは、斜め上を見て、あれ、という顔をした。わからなくなってしまったらしい。


「えっと……とにかく訓練がんばって下さい」


 まとめるのを諦めたように出てきた、身もふたもない言いように、ジョセフは苦笑した。


「たくさん訓練して、エドワード様をちゃんと守って下さい。相手を殺したくないなら手加減できるくらい強くなって下さい」

「そうか……強くなればいいのか」

「そうです。強くなればいいんです。今よりずっと」


 うんうん、とミリアは自分で言った言葉にうなずいた。


「今も一応そこそこ強いんだけどね」

「知ってます。学園一位なんですよね。でもしょせん学園内のことです。本物の騎士様はもっと強いはずです。だってジョセフ様一人で王宮を制圧できちゃえるくらい騎士様たちが弱いんだったら、国民としてショックです」

「それはさすがに無理だな」

「でしょう?」


 ジョセフが笑うと、ミリアは得意げに言って笑った。


「私が心配なのは、ジョセフ様よりエドワード様です」

「エド?」


 どうして心配なのか。エドワードだって、ジョセフほどではなくとも十分強い。


「エドワード様にとっても、ジョセフ様は大切な人なんですよ。何かあった時に、ジョセフ様をかばわないとも限らないわけです。エドワード様ならやりかねないじゃないですか」


 ミリアはほほに手を当て、はぁ、とため息をついた。


 そんな風に考えたことはなかった。


 エドワードのことを大切な人だと意識したこともなかったのに、エドワードもそう思ってくれているだなんて。


 きょを突かれたジョセフは一瞬言葉が出なかった。


「……それは困るな」

「ですよね。守られるがわにいるはずの人にかばわれるなんて、超かっこ悪いです」

「それは困るな」


 今度は笑いが漏れた。


「それが嫌なら、うっかりエドワード様に守られちゃうことがないように、強くなるしかないです」

「そうだね」

「アルフォンス様にも、ですからね」

「……アルに守られることもないように気をつけるよ」


 アルフォンスもだと言われるとくすぐったかった。言われてみれば、アルフォンスもジョセフの大事な人に変わりなかった。あのアルフォンスがジョセフをかばうことはないと思うが。


「マリアンヌ様も、守ってあげて下さいね」


 最後にミリアがにこりと笑って言った言葉が、胸に突き刺さった。

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