第18話 謝罪はいりません

 エドワードから贈られる花が、ミリアの希望通り小さなブーケに変わった。朝はミリアが寮を出る前に侍女が飾りに来て、夕方はミリアが寮から帰ってくる前に飾ってあった。


 朝は迎えに来るが、あの後三日、天気がよかったからなのか、ランチのお誘いはなかった。ミリアは庭園で過ごした。


 六日目、最初の講義が始まる直前に、ジョセフが講義室に入ってきた。自主謹慎きんしんを終えたようだ。


 取り巻いていた生徒のうち、下級生は扉の前で去り、残りは後に続いて入って来る。講義室にいた令嬢もジョセフに寄っていった。


 中には令息もいた。ジョセフは男子生徒にも人気がある。憧れ的な意味で。たぶん。


 ジョセフはちらりとミリアを見るも、すぐに視線をそらした。アルフォンスとエドワードを挟むように席に座るが、二人とは朝の挨拶あいさつもなかった。


 休憩時間、エドワードがミリアに構っている後ろで、アルフォンスと言葉を交わしているところは見たが、エドワードとは口をきいていない。


 移動するときは、並ぶエドワードとアルフォンスの一歩後ろに下がっていた。


 そりゃそうだよね、とミリアは自己嫌悪におちいった。ミリアの存在が仲のいい二人の関係にひびを入れてしまったのだ。


 ジョセフはゲーム補正に踊らされただけでも、エドワードからしてみれば好きな女ミリアに乱暴を働いた不届き者である。ミリアの気持ちがどうであれ、エドワードにとっては不快だったのだ。王太子としても、紳士の振る舞いをいっした行動をとがめる気持ちもあるのだろう。




「どうしたらいいんだろう……」


 ミリアは図書室の奥でギルバートに愚痴ぐちをこぼしていた。


「ミリアは悪くない。あの二人がケンカするのは珍しいことじゃないし、そのうち仲直りするよ」

「だといいんだけど……」


 ミリアは頬杖ほおづえをついた。


「ケンカのことよりも、エドワードの行動の方が気になる。ちょっとやり過ぎだよね。宝飾品を作らせたって話は聞いてたけど、てっきりローズ嬢に贈るんだと思ってたんだ」

「だよね……」

「そろそろ僕からも言った方がいいかな。エドは王太子としての影響力をもっと考えるべきだ」

「うーん……」


 エドワードは反発しそうな気がする。エスカレートしないとも言えない。でも、王族の立ち居振る舞いとしての苦言なら、ミリアにどうこう言えるものではなかった。


「ミリアもこんなに困ってるでしょ? よくない評判も流れてる。ミリアは気にしてないのかもしれないけど、単なる噂にしては度が過ぎてるよ」

「そうだよね……」


 ギルバートは子作り疑惑について言っているのだろう。把握していて当然なのだが、エルリックに言われた時のようなたたまれなさがある。


「一度言ってもらった方がいいかも」

「わかった。近いうちに、必ず」

「お願いします。……ごめんね、毎日愚痴ばっかりで」

「いいんだよ。僕はいつも一人で退屈だからね」


 ギルバートは寂しげに笑った。


「そろそろ寝たらいい。時間なくなるよ」

「うん。いつもありがとう」


 卒業まであと五ヶ月ない。それはエドワードから逃げ切る期限であり、ギルバートと過ごせる期限でもあるのだ。


 学園を出れば、第一王子ギルバートとは謁見えっけんさえもままならなくなるだろう。


 それは寂しい。


「ギルがいてくれて、よかった……」


 テーブルに突っ伏したミリアは眠りに落ちた。




 放課後、エドワードが寄ってこないのがわかっているので、ミリアはのんびりと講義室を出た。講義が終わる合図を待ってそわそわしなくていいのは楽だ。


 意気揚々と図書館へと足を進めていると、校舎を出て少し行った辺りで、ミリアを呼び止める声があった。


「ミリア嬢」

「アルフォンス様? 何でしょうか」


 アルフォンスから声をかけられるのは珍しい。エドワードもジョセフも同行しておらず、一人だった。


「これから少し時間をもらえませんか。ジェフが、あなたに先日の無礼をびたいと言っています」


 アルフォンスは周囲に目を配りながら話した。なんと気遣いのできる男だろうか。エドワードにも見習って欲しい。


「ジョセフ様にはあのときに謝ってもらいました。改めての謝罪はいりません」


 自主謹慎までして反省してくれたのだ。それに、ジョセフはある意味被害者でもある。


「それを私に言われても困るのです。ジェフに直接言って下さい」

「それもそうですね」


 伝言ゲームになりかねないし、ジョセフが納得しなかった場合、またアルフォンスが伝えに来ることになるだろう。伝令役にして何度も往復させるわけにもいかない。


「できれば二人だけで、というのがジェフの希望ですが、どうでしょうか?」

「アルフォンス様も同席されないのですか?」

「……ミリア嬢が嫌でなければ」


 エドワードは来ないだろうと思っていたが、まさか二人でとは。


 使用人はいるだろうから、完全な二人きりにはならない。それでも、あんなことをされた相手と二人でお茶を飲むのはどうなんだろうか。


 かといって、謝罪の場に第三者のアルフォンスが同席するのもおかしな話だ。


「わかりました」

「ではサロンの星の間までご足労を。ジェフがお茶を用意しています」

「サロン?」

「パーティホールと同じ建物の中にあります」


 そんな場所があったのか。


 庭園でしかお茶会をしたことがなく、全てエドワードが手配していたので全然知らなかった。二年半以上在籍していたというのに。屋外でしかお茶会ができないなんてことはあり得ないのだから、あってしかるべきなのだ。


「では私はここで。本来なら案内すべきなのですが……」

「いいえ、アルフォンス様にそこまでさせるわけにはいきません。場所はわかりますので、一人で行けます」

「お願いします」


 これはお互いのためだ。


 アルフォンスとサロンに向かったら、また変な噂が立ちかねない。それはミリアとアルフォンス、双方の望むところではなかった。ミリアへの気遣いは、そのままアルフォンス自身を守るためでもある。


 エドワードとジョセフに振り回されているのが気の毒だ。顔色は変えないが、内心はうんざりしていることだろう。


「色々とすみません……」

「ミリア嬢のせいではありません」


 ギルバートと同じことを言われ、さらに申し訳なく思った。


「じゃあ、行ってきますね。伝言ありがとうございました。失礼します」

「お気をつけて」


 別れの決まり文句に、何に気をつけるのだろう、とミリアは思った。馬車は入ってこないからひかれる心配はないし、警備も万全だ。思慮深く寡黙かもくなアルフォンスも、そんな何気ない言葉を発するのか。


 なんだかおかしくなって、ふふっと笑ってしまった。



 

 サロンのある建物に入ったところでジョセフの使用人が待っていた。


 案内された星の間は、内装が群青色とクリーム色で統一されていて、開けてもらったドアから入った途端、ミリアの口から、わあ、と感激の声が漏れた。


 壁一面が群青色に塗ってあり、柱はクリーム色。床は青い大理石でできている。五つある六人掛けの丸いテーブルセットのうち、テーブルの天板と椅子のクッションが群青色で、脚と背もたれがクリーム色だ。

 

 星の間の名の通り、夜空をイメージしているのだ。


 シャンデリアの下、中央のテーブルに座っていたジョセフは、ノックの音とともに立ち上がっていた。


「ミリア嬢……」

「ジョセフ様、お招きありがとうございます」


 にこりと笑うと、顔を固くしていたジョセフが、ほっとしたように力を抜いた。


 ミリアが前へ進み出ると、後ろで静かにドアが閉まった。


 ジョセフがあらかじめ言っていたのに違いない。まだミリアのお茶を入れてもいないのに、案内してくれた使用人は入ってこなかった。部屋には他の使用人もいない。


 ジョセフと本当に二人きりになってしまったのだ。


 ミリアの顔がこわばり、足が止まった。


 身の危険を感じたわけではない。ただ想定外のことで、戸惑とまどったのだ。


「ミリア嬢……来てくれるとは、思わなかった」


 言いながらジョセフが一歩近づくと、ミリアがびくりと体を固くした。その反応に、ジョセフの方も固まる。


「ごめん。何もしないから、怖がらないで」

「怖がってなんていません。驚いただけです」 


 ミリアは何でもないという顔をして、ジョセフへ向かって足を進めた。事実、何ということはない。


 ジョセフの目の前に立って着席の許可を待つ。


 だが、ジョセフはミリアを座らせる前に、その長身を折った。


「申し訳なかった! 先日、ミリア嬢に働いた無礼をどうか許してほしい。もう二度とミリア嬢の許しなしに触れたりしないと誓う」

「私、一度だけって言いましたよね」 

「……申し訳ない!」


 肩を組まれた後、ジョセフがお詫びにとデザートをくれたときのことだ。


 はあ、とミリアがため息をついた。ジョセフが足の側面に沿わせた手がぎゅっと握りしめられた。 


 この辺にしておいてやるか。


「ジョセフ様、頭を上げて下さい。許すも何も、私怒ってはいないです」

「そんなわけには……!」

「じゃあ、代わりに何か美味しいものを食べさせて下さい。そうですね……ピアミルキのクッキーを全種類。それで許してあげます」

「本当に!?」


 ジョセフはがばっと体を起こした。


「はい。三十種類はありますよ」

「店ごと贈るよ」

「いや、それはちょっと……。一枚ずつでいいですから」

「わかった」


 伯爵家怖い。


「それよりその後からエドワード様が大変で。色々噂になっちゃってるんです」

「ああ……うん、知ってる」

「ジョセフ様もですよ! 私、怒ってはいないですが、困ってはいるんですからね。私が……その、ジョセフ様をたぶらかした……なんて言われてて!」


 自分で言うのはなんだか気恥ずかしい。


「うん」

「ちゃんとマリアンヌ様と仲良くしててくれないと。マリアンヌ様、ショックで寝込んでるって言うじゃないですか。マリアンヌ様には許してもらったんですよね? 婚約者なんだから大事にしてあげて下さい」


 ミリアは腰に手を当てて、もう、と鼻息を荒くした。マリアンヌに関しては怒っていると言えるかもしれない。


「ミリア嬢……もう一つ、聞いてもらいたいことがあるんだ」

「何です? 私、マリアンヌ様の好きな物なんて聞かれても答えられないですよ。聞くならローズ様かリリエント様でしょう。お菓子を贈るつもりなら、多少は相談に乗れるかもしれませんが……それでも最新情報なら侍女さんたちの方が詳しいと思います」


 協力してあげたいのは山々だが、相手の情報がなさすぎる。ローズやリリエントに聞くのが一番だろう。

 

 すると、違う、と首を振ったジョセフが、ぐっと一歩距離をめてきた。


「わっ」

「手に触れても?」


 驚いて、とっさにこくこくとうなずいてしまう。


 許しを得たジョセフは、ぱっとミリアの手を取ると、その場に片膝かたひざをついた。


「ちょ、ちょっと、何なんですか、急に!」


 慌てるミリアとは対照的に、ジョセフはひどく真剣な顔をしていた。



「ミリア嬢、好きだ。交際を申し込みたい」




 …………は?

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