第17話 人目がないのはいいですね

 翌朝、また薔薇が届いた。今度はピンクだった。


 そして、二日連続の雨だった。


 寮の前には傘をさしたエドワードが待っていて、同じく傘をさした令嬢たちに囲まれていた。


 エドワードはミリアを自分の傘に入れようとしたが、濡れたくないと強く主張してなんを逃れた。濡らしなどしない、と言われたが、ミリアをかばってエドワードが濡れるのはもっと困る。


 移動中にまた食事に誘われた。断ってもどうせ来るんだろうと思い、そんなに言うなら一緒に食べてあげてもいいですよ、と受けた。令嬢たちの不興を買ったが、なにせ子作りしている仲なのだ。多少悪評が増えても大差ない。エドワードは普通に喜んでいた。


 承諾したのは、これで午前中は静かになるという目論見もくろみもあったのだが、エドワードは休憩ごとに何だかんだとミリアの所へやってきた。よっぽど暇なのだろう。そうに違いない。


 カフェテリアへ移動している途中、アルフォンスが個室を提案してきた。


「人目を気にしているのでしたら、個室にしたらいかがですか?」

「そうだな。それがいい。そうしよう」


 人目など全く気にしていないくせに、エドワードがもっともらしく同意する。


 だが、ミリアもそれは良い案だと思った。


 以前はマナーが気になるから嫌だったが、カフェテリアで一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそく注目される不快さに比べれば、マナーの気遣いなど些事さじだ。それに今なら、例えミリアがわざと皿をひっくり返したとしても、エドワードが処罰をすことはないだろう。


 どうだ、とエドワードがミリアの目をのぞき込んでくる。


「殿下と二人だけでないのなら」

「もちろん」

「あと、カフェテリアの日替わりランチセットが食べたいです」

「用意させよう」


 いいか、と聞かれたので、はい、と答えた。




 個室での昼食は意外に快適だった。


 ランチセットならいつも通りに気楽に食べられる。二人が同じセットにしてくれたので給仕も必要なく、引っ込んでもらえた。水ぐらい自分でぐ。


 誰の目もないことのなんと素晴らしい事よ。


 カフェテリアでのぼっち飯も庭園でのぼっち飯も居心地がいいが、個室も悪くはない。


 エドワードもいつになく上機嫌だった。


 これで一人きりだったら……と思わなくもないが、ミリアではランチセットは用意できない。個室で一人うやうやしく給仕されるくらいなら、カフェテリアに行きたい。エドワードから逃げるためだとしても、押し入ってくるのは目に見えているのだから無意味だ。


「今日もジョセフ様は自主謹慎きんしんですか?」


 ぱくりと川魚のフリッターを口に入れる。今日も美味しくて幸せだ。


 エドワードとアルフォンスも同じセットを食べていた。日替わりランチが気に入ったのだろうか。

 

「そうだ」

「私、気にしてないですよ」

「なぜだ」


 フォークに付け合わせの温野菜を刺したまま、エドワードが不機嫌な顔をする。


「なぜって、嫌じゃなかったからです。人前でされたのは本気で迷惑でしたけど、他の令嬢にもするようなら困りますが、ジョセフ様も弾みだったというか、魔が差したみたいな感じでしたし。……どうしたんですか?」


 エドワードの眉間みけんしわがどんどん深くなっていった。アルフォンスはわずかだが目を見張っている様子が見て取れた。


「ジェフに抱擁されたのが嫌ではなかったと言ったのか?」

「はい」

「人前でされたのは嫌だったのだな?」

「はい」

「他の令嬢に同様のことをするのは困る?」

「当たり前じゃないですか」

「つまり――」


 エドワードがごくりとのどを鳴らす。

 アルフォンスが今度はなんだか怖い顔をしていた。


「――ミリア嬢は、ジョセフに自分だけが人気ひとけの無いところで抱擁されるのを望んでいると?」

「いいえ? ……なんでそうなるんです?」


 抱擁を望んでいるなんて誰も言っていない。


 ふぅ、とエドワードが息を吐いた。


「いや、違うならいい」


 エドワードがポケットからハンカチを取り出してひたいの汗をぬぐった。


「私はジョセフ様が反省してくれてるならそれでいいんです。ジョセフ様の謹慎が、私を気にしてのことならそこまでする必要はありません。それより、私はマリアンヌ様の誤解を解いてあげて欲しいです」


 早くマリアンヌが復帰してくれないとミリアがつらい。


「ミリア嬢はもっと怒っていいんですよ」

「その通りだ。あんなことをされたのだ、慰謝料でも請求してやればいい」

「責任とって結婚しろだとか?」

「それは……」

「それはだめだ! 私が許さん!」


 軽い冗談だったのに、アルフォンスは身の程知らずな発言に絶句し、エドワードは本気で止めにきた。


 まずい。エドワードをあおってしまった。


 話題を変えよう。 


 ミリアはエドワードに言っておかなければならないことを思い出した。人目のない今だからこそ言える。


「そうだ、殿下、昨日の放課後と今朝のお花、ありがとうございました」

「気に入ってくれただろうか?」

「はい」


 気に入りはした。部屋がはなやかなのはいいものだ。薔薇の香りも心地よかった。


「……ですが、もうやめてもらえませんか?」

「なぜだ?」

「贈られても困ります。お返しもできません」

「返礼など気にするな。喜んでくれるならそれでいい」


 気にするなと言われても、下心したごころが丸見えだ。


 昨日と今日の様子を見るに、エドワードが本気でミリアを落としにかかっている。ジョセフの行動に触発されたのだ。


 であるならば、ミリアに好きになってもらうためにしているのだから、それは返礼……見返りを求めていることにならないか。本当にミリアが喜ぶだけでいいとは思っていないのだ。


「ローズ様に悪いです」

「ローズのことは気にしなくていい」

「そんなわけにはいきません。殿下の婚約者ですよ?」

「気にしなくていいと言っている!」


 エドワードが声を荒げた。

 びくっとミリアの肩がはねた。


「すまぬ……。本当にローズのことは気にしなくていい。私がミリア嬢に贈りたいのだ。これからも受け取ってはくれないか?」


 エドワードが泣きそうな顔をした。


 泣きたいのはこっちだ。


「そういうわけにはいきません」

「そうか……」


 応じてくれてほっとしたのもつかの間、エドワードはナイフとフォークを置いてミリアのそばまで来ると、床にひざまずいた。


「殿下!?」


 エドワードが懐から小さな箱を取り出す。表面は紺のベルベットだ。いかにもな箱だった。


「代わりにこれを受け取ってくれないか?」


 エドワードがぱかりと開いたその中には、指輪……ではなく、イヤリングが一対いっつい入っていた。


「ミリア嬢に似合うだろう」


 パーティでつけるような大げさなものではなく、非常にシンプルなイヤリングだった。確かにミリアでも普段使いできそうだ。小さなピンク色の石が一つついている。


 とはいえアクセサリーなど受け取れるわけがない。


 何よりミリアは知っていた。


 可愛らしい小さなその石は、ピンクダイヤモンドである。普通のダイヤよりずっと希少で高価だ。


 アルフォンスの顔からも、とんでもない物なのだとわかる。


 断じて受け取れない。


「頂けません」

「気軽に使ってくれたらいい」


 気楽になんて使えるか。

 ぽろりと落としでもしたらどうする。


「無理です」

「ただ受け取ってくれるだけでもいいのだ」


 ただのガラスの欠片だったら受け取れなくもなかったのに。

 こんな高い物もらえない。


「困ります」

「ミリア嬢」


 だめだ。らちがあかない。


 ミリアの気持ちをはっきりと伝えるべきなのだろうか。


 だが、告白もされていないのに、なんと言えばいいのだろう。ゲームにはこんなイベントはなかった。だからどう反応するのが正しいのかわからない。逆効果にもなりえる。


 それに……エドワードの傷つく顔を見たくなかった。このまま卒業まで待てば、それで全てが終わるのだ。ミリアが我慢すればいいだけのように思えた。


「……わかりました。代わりにというなら、お花を受け取ります」

「そうか……」


 自分の通したい提案とそれよりも困難な提案を選択肢として与え、相対的に容易に見える本命の提案を通す。初歩中の初歩の交渉術だ。


 だが、エドワードが意図したものではないのだろう。心底残念な顔をしているのがその証拠だ。花とは別にイヤリングも贈るつもりだったのだ。逆にミリアが譲歩したことでイヤリングは受け取らずに済んだ。


 ついでに追加の希望も言っておく。


「薔薇はやめてください。出窓に置けるくらいのかわいい小さなものが好みです」

「わかった」


 ぱたんと箱を閉じ、エドワードは席へと戻ると、何事もなかったかのように食事を再開した。


 やっぱり、エドワードの術中にはまったのかもしれない。


 満足そうな顔を見て、ミリアはこっそりとため息をついた。

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