第4話 人身売買は違法です

 馬車の向かいの席に座った父親をじっと見る。


 太り気味のフィンは、しかしフットワークは軽い。

 行商だったころの感覚が抜けないのか、商会の会長になったというのに、思い立てば国境付近まででも自分で行ってしまうくらいだ。

 

 口ひげを生やした丸い顔でにこにこと笑っていると良い人にしか見えない。出っ張った腹の中では儲けることを考えていて、高額をふっかけることもよくあるのだが、客は善人顔に騙される。

 

 それが釈然としていなかったミリアであるが、社会人の経験を思い出した今では、商売人として正しいのだとわかる。悪事を働いているのではないのだ。儲けることの何が悪い。雇い主には儲けて従業員を養う義務がある。

 

 思っていることがすぐに顔に出て腹芸のできないミリアには、安定の笑顔ポーカーフェイスはうらやましいくらいだ。その遺伝子、少し分けて欲しかった。


 フィンの着ている服は、上質な絹とレースを惜しげもなく使い、金の刺繍ししゅうがこれでもかと入っていてギラギラとしている。

 太い指にはごつい金の指輪をしており、指輪はその一つだけだが、大きなルビーがついていて、それだけでボリューム満点だった。


 普段はこんな趣味の悪い格好はしないのに。

 

 それはミリアも同じで、昼間なのに夜会用のドレスに着替えさせられ、耳にも首にも大きな宝石がぶら下がっていて重かった。


「これ、絶対逆効果だと思う……」

「何か言ったかい?」


 ミリアがぽつりと呟くが、いくら言ってもわかってもらえないので言い直しはしなかった。


「何でもない。で、今日はどこの孤児院?」

「ヨートルだよ」

「近いね」


 夜中に帰ることにならなくてほっとする。


 ヨートルは王都とフォーレンの間にある都市の一つで、フォーレンから馬車で二刻ほど。


 宰相であるルシファード・ミール侯爵の治めるミール領に属している。


 その侯爵の娘、リリエントは悪役令嬢の取り巻きその一で、宰相補佐の息子、アルフォンス・カリアードの婚約者でもある。

 

 何度も行った場所ではあるが、乙女ゲームの登場人物と関係している土地だと思うと、なんとなく嫌な感じがしてしまう。もともと行きたくないのだからなおさらに。


 ミール領はさほど大きくはなく特産品もないが、フォーレンと王都を行き交う商人が多いため、ヨートルの関税でがっぽり儲けていた。


 ……の割に、孤児院への支援はほとんどない。


 父フィンは、ヨートルに限らず、そういった財政の思わしくない各地の孤児院へ、少なくはない寄付をしていた。


 もちろん無償である。

 完全なる善意だ。


 言うなれば、ノブレス・オブリージュだ。

 高貴であるのかは疑問だが、一代限りとはいえ男爵。最下級ではあっても貴族の端くれ。今なら言い切っても誰からも文句は出ないだろう。


 そこに打算や下心なんてものはない。

 ないと信じている。

 

 対価なんて求めていない。期待もしていない。

 

 していない、はずなのだが――




 目の前の光景を見て、ミリアは心の中でため息をついた。


 孤児院の部屋で横に並ぶ男女合わせて三人の子供。年の頃は十から十二歳。みなぴしっと背を伸ばし、気をつけの姿勢でいる。

 その後ろの床には、十二人の子供が肩を寄せ合って座っている。ぐすっと泣き出している子もいた。


 子供たちの養母は、胸の前で手を組み、はらはらと心配そうにしていた。


「さあ、ミリィ、選んで」


 そんな気軽に言わないでよ、とにこにこしているフィンをうらめしい目で見る。


 仕方なく、そうね、と一歩近づくと、びくりと三人の肩が跳ねた。


 左から順番に顔をのぞき込んでいく。


 右端の赤い髪の男の子の前に立つと、前方から「やめて!」と女の子の声がした。


「お兄ちゃんをつれていかないで!」


 目に涙をため、悲鳴のように声を上げたのは、同じ赤い髪をおさげにした五歳くらいの女の子。


 その様子をじっと見つめたミリアは、一歩下がり、赤髪の男の子を指さした。


「この子にする」

「やめて!」


 女の子が走り寄り、兄へとすがりついた。


 選ばれなかった二人はほっとしたような残念なような複雑な表情で、残りの子供たちは緊張がとけたように脱力していた。


 フィンはにこにこと笑っている。


「いやだ! お兄ちゃん、いかないで!」

「ごめんな。兄ちゃん、行くよ」


 兄が妹の頭をなでる。


「ごはんが少なくなってもがまんするから!」

「ごめんな」

「もう会えないなんて、そんなのやだ!」

「ごめん」


 キッ、と妹が濡れた目でミリアをにらみつけた。


「ひとでなし!」

「まあ、スタインのお嬢様になんてことを!」

「いいんです。別れが悲しいのはわかりますから」


 ミリアは目をつり上げた養母をなだめた。


「時間がなくて悪いが、すぐに出発する。帰りが遅くなると危ないからね」


 無情にもにこにこ顔のままフィンが空気を読まずに宣言すると、養母が泣き叫ぶ妹を優しく兄から引きはがした。


 赤髪の男の子は他の子供たちと簡単な別れの挨拶あいさつを交わし、最後に妹の頭にキスをすると、わずかな私物を持ってミリアたちと馬車に乗り込んだ。




 馬車の空気が重い。


 父親が一人にこにこと笑っているのが腹立たしい。


 ミリアの横に座った男の子が、ついに肩を震わせ始めた。


 その肩に手を置き、ミリアはできるだけ優しく問いかける。


「自分で行きたいって言ったんだよね?」

「……はい」

「やっぱりやめる?」

「いいえ」

「来たくないならいいんだよ」

「行きたいです」

「代わりに他の子を無理やり連れて行ったりしないよ」

「はい」

「孤児院の援助をやめたりもしないんだよ」

「はい」


 涙を流しながらも、意志が固いことは見て取れた。もう一度だけ「本当にいいの?」と聞いて、それ以上決意を揺さぶるのはやめた。


 このまま孤児院に身を寄せていても、十四になれば出て行かなければならない。孤児上がりの子供が就ける職業はほぼない。伸ばされた手をつかむしかないのだ。


 志願する孤児を引き取り、最低限の教育を受けさせ、見習いとして働かせ、一人前になれば正式に雇い入れる。

 そのまま最初の三年働けばあとは好きにしていい。商会で働き続けてもいいし、転職したければ紹介状がもらえる。読み書き計算のできる平民は少ないから、どこに行っても重宝される。


 教育期間は衣食住つき。見習いはそこにわずかなお小遣いが加わる。従業員になれば寮を追い出されるが、ちゃんとした給料が支払われる。仕事はきついかもしれないが、仕事とはそういうものだ。一般の従業員でも変わらない。


 これは、ミリアが無意識に入れ知恵をした、なんていう現代チートめいたものではない。


 孤児だったフィンが、自分も商人に拾ってもらったのだからと、十年前から少しずつ始めたものだ。


 そのころのミリアは、父と弟と三人で小さな町の小さな家に住み、亡くなった母の代わりに家事とエルリックの面倒を見ながら質素な生活を送っていた。父は自ら荷を運んで各地を飛び回り、店も持っていなかった。決して余裕はなかったはずなのに、そんなことをしていただなんて全く知らなかった。


 これは孤児院への寄付とは違い、善意の塊なわけではない。最終的に見て赤字にならないようになっているのだ。さすが成り上がっただけはある。


 恩を感じてなのか、引き取られた子はよく学びよく働く。それも帳尻合わせに入っているのだろう。


 孤児を奴隷どれいにしていると非難するやからもいれば、寄付と対価に買った孤児を裏で売って儲けているのだと言う輩もいる。


 そんなことは決してないし、寄付を始めるよりもずっと前からやっていたことだ。それに噂の通りなら、人身売買が禁止されているこの国で、商売を続けることはできず、爵位を授かることもなかっただろう。


 が、気持ちはわからなくもない。


 当のミリアでさえ奴隷商人になったような気分なのだ。


 先程の孤児院の光景を思いだし、憂鬱ゆううつになった。


 覚悟を決めた兄。

 泣いて嫌がる妹。

 そして引き離される兄妹。

 

 赤髪の子を連れていくと決めたのはミリアだ。


 子供たちには悪女に見えたことだろう。

 希望して引き取られていくのだとわかっていても。


 フィンの笑顔と、二人のごてごてとした成金趣味の格好がそれに拍車をかけていた。

 

 裕福なところに引き取られて行くのだから安心していい、と子供たちに示したいそうなのだが、金に物を言わせて幼気いたいけな子供を連れ去ろうとしているわがままなお嬢様と、娘を甘やかしている親バカな父親にしか見えない。


 この父親は人の心の動きにさといはずなのに、なぜ子供の気持ちはわからないのだろう。


 あれだけ悲しんでくれる妹がいるなら人柄もいいだろうと、あえて選んだミリアも大概だが。


 男の子はぎゅっと唇をかみしめ、まだ涙を流していた。


「ひどいことしたりしないから、怖がらなくていいんだよ」

「はい」

「二度と戻れないなんてこともないからね。妹にも、他の子にも、またちゃんと会えるよ」

「はい」


 里心さとごころがつかないよう、一年は帰れないが、その後はまとまった休みで帰省することができる。


 その辺は、すでに働いている同じ孤児院出身の子たちが時折帰っているのだからよくわかっているはずだ。


 わかってはいても、小学生相当の子供だ。妹や義兄弟たちと引き離され、住み慣れた場所を離れるというのは、簡単に割り切れるものではないだろう。


 悪役令嬢なのは自分なのかもしれない。


 どんよりとした雰囲気の中、早く家につかないかな、とミリアは窓から外を眺めていた。

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