第5話 好きで着ているんじゃありません

 ごとごとと揺れる馬車の中、沈黙は続く。


 窓を見続けていて、ミリアは首が痛くなってきた。男の子に視線を向けると、うつむいているが涙は止まったようだ。


 沈黙に耐えられなくなり、ミリアは口を開いた。


「そういえば、名前をまだ聞いてなかったね。私はミリア。あなたは?」

「ヴァン」

「ヴァン。いい名前だね」

「……」

「フォーレンに着いたら、まず部屋に案内される。部屋は他の子と一緒だから、みんなと仲良くして。リーダーの言うことをちゃんと聞くこと」

「はい」

「今日は食事をしたらあとは寝るだけ。食べられないものはある?」

「ないです」

「今夜はゆっくり休んで。明日からさっそく勉強が始まるから」

「はい」

「……」


 会話が続かない。


 この場で孤児院を思い出すようなことは聞けないし、フィンに話しかけ、ヴァンそっちのけで親子で盛り上がるのも悪い気がした。


 何か言ってよ、と父親を見るが、全てミリアに任せる、と視線で返された。


 エルリックならうまくやるんだろうな、と悲しくなる。


 なぜ父親はミリアを連れて行くのか。

 いや、エルリックに選ぶ役をさせるのはかわいそうだ。


 父さんが一人で行けばいいのに。

 

 気まずさをどうにかするのを諦め、ミリアはまた窓の外に意識を向けた。

 

 

 

 息苦しさを感じて外で深呼吸がしたいと思い始めたとき、願いが通じたのか、馬車が止まった。


 前後を守っていた護衛がすかさず窓に寄って来る。


「旦那様、カリアード伯爵の馬車です」

「そうか。離れなさい」

「かしこまりました」

 

 街道で貴族の馬車とすれ違う時は、目下の者が脇に止めて待つのが礼儀だ。

 その際、護衛を馬車から遠ざける。近くにいては、相手を警戒していることになり、失礼にあたるからだ。


 よりによって、攻略対象の一人、アルフォンス・カリアードの家の馬車である。どうせ上級の使用人がお使いでもしているのだろうが。


 さっさとすれ違ってくれ、とミリアは願った。


 しかし、乗った馬車はなかなか動こうとしない。


 代わりに、馬車のドアがノックされた。


 フィンが躊躇ためらいもなく自らドアを開けると、向こうの護衛と思われる男が立っていた。


「お急ぎのところ失礼いたします。旦那様が、スタインきょうとお話したいとおっしゃっています」

「え」

「宰相補佐が? 何用だろうか」


 驚くミリアを置いて、フィンはさっさと馬車を下りてしまった。

 

 まさか伯爵本人が乗っているとは。

 しかも、こんなところで父親を呼ぶなんて、よほどの用事なのだろうか。


 隣のヴァンは、何が起こっているのかと、びくびくと閉まったドアを見ている。

 ミリアも表情こそ取りつくろっていたが、椅子に置いたヴァンの手に知らず手を重ねていた。


 二人そろって緊張している所へ、再度ノックの音がする。


 ミリアが返事をする前に、ドアは外から開けられた。


「失礼します」


 現れた姿を見て、ミリアは悲鳴を上げそうになった。


 銀色の髪と緑色の目を持つ整った顔立ち。


「アルフォンス、さま……?」


 なぜこんなところにいるのか。


 そしてなぜ馬車に乗り込んできてフィンの席に座ったのか。


 父親と一緒に馬車に乗っていたことはわかるが、昨日冬休みに入ったばかりなのに、もう王都を離れているとは。フォーレンに向かうミリアたちと逆方向なのだから、これから王都に帰るのだろうか。


「父に追い出されました」

 

 だからこの馬車で話が終わるのを待つということらしい。


 いくら伯爵子息でもさすがに勝手に人の馬車に上がり込みはしないだろうから、フィンが申し出たのだろう。


 まさか休暇中に学園の外で攻略対象と会うなんて、思いもしなかった。

 あまりに驚きすぎて心臓がどきどきしている。ヴァンの手を握る手に力がこもった。


 アルフォンスは紺のベストとジャケットに濃紺のマントをまとっている。その肩にはくくった髪がさらりと落ちていて、紺色に銀色がえていた。


 家業で目が肥えているミリアにはわかる。生地きじも、刺繍ししゅうも、仕立ても一級品。学園で身につけているものとは雲泥うんでいの差だ。


 これ、染色してから織ってるんだよね? なのにムラが全然ない。目もしっかり詰まっていて均等。ムリエの……いや、チュシュルのものかな。ああ、触ればわかるかもしれないのに!


 仕立てはカリアード伯爵家ご用達ようたしのユラ・メディだろうけど、刺繍入りすぎじゃない? お針子さんたち大変だっただろうなあ。でも生地と同じ色だから全然うるさくない。デフォルメされた家紋がされてさり気なく意匠に取り込まれているのも素敵。


 どこかに商会うちのものがないかと探すが、シャツの袖口そでぐちのレースはもしかしたらそうかもしれない、とまでしかわからなかった。


 これら一式、商会として仕入れることならできるが、一家庭としてのスタイン家では全く手が出ないし、着ていく場所もない。伯爵家の財力恐るべし。


 ふと視線を上げると、不機嫌な目線が返ってきた。


 じろじろと見過ぎた。

 令嬢に相応ふさわしくない行為だった。というか、人としても失礼だ。


 姿勢を正し、口を開く。


「どうして、ここに?」

「婚約者を見送りに行ってきました」


 婚約者――リリエント嬢か。


 ミール領に帰るのに同行したわけだ。

 婚約者のためにそこまでするような男だとは知らなかったが、ミリアが知らないだけで、ちゃんと大事にしているようだ。


 宰相補佐が一緒に行ったのなら、道中二人の結婚の相談でもしたのかもしれない。


 フィンとの話がそれ関連だとすれば素晴らしいことだ。伯爵家の嫡男と侯爵家の娘の結婚式。大金が動くだろう。


 父親のほくほく顔を想像し、ミリアの緊張が少しゆるんだ。


「お帰りが早いですね」

「引き留められたのですが、父の仕事がありますから」


 ちらりと探るような目で見られた。


 ミール侯爵の邸宅と王都の距離を知っているのか、とでも言わんばかりだ。


 馬鹿にしているのか。

 実家フォーレンの近くの都市を知らないわけがない。


 それ以前に、ミリアは商人の娘だ。各領と主要な都市の位置と距離、その特産品くらい頭に入っている。

 一般教養としても家庭教師チューターに習ったし、学園の筆記試験で上位に入っていることはアルフォンスだって知っているはずなのに。


 このまま街道を北へ直進すればフォーレンだが、右に曲がって東に向かえばミール侯爵邸のあるミリエンに着く。

 フォーレンからはヨートルと同じ二刻ほどだが、王都からだと四刻はかかる。


「一泊ですか?」

「日帰りです」

「それは大変でしたね。アルフォンス様だけでも滞在なさったらよろしかったのでは?」

「……私も、色々やることがありますから」


 そんなことも知らないのかと言いたそうだが、アルフォンスの予定などミリアが知っているわけもない。


 それに、ミリアだって遊んでいるわけではなく、仕事をしてきたのだ。どうせ暇なんだろうという態度に、なんだか腹が立った。


「ミリア嬢、そちらは?」


 むすっとして黙ると、アルフォンスの顔がヴァンに向いた。


 ヴァンがぎゅっと手を握り返してきた。

 繋いだ手にアルフォンスの視線がちらりと走る。


 しまった、と思った。


 やましいことは何もないのだが、アルフォンスも当然あの噂を知っているだろう。


 さっきまで孤児院にいたヴァンは、洗い古し、擦り切れてたけの短い服を着ている。スタイン商会の会長とその娘に同行しているにしてはみすぼらしすぎるし、なにより幼すぎる。


「うちの従業員です」


 繋いだ手を放してヴァンの肩を抱き、ミリアは言い切った。

 まだ見習いですらないが、わざわざ言うことではない。


「そうですか」


 あっさりと納得され、ミリアはほっと内心胸をなでおろす。


「ところで――」


 アルフォンスの目がミリアの頭の先からつま先まで走った。


「――ミリア嬢は外ではいつもそういう服装なのですか?」


 冷ややかな声を浴び、ミリアは息を飲んだ。


 そうだった。

 今はひどく趣味の悪い格好をしている。

 

 耳と首の宝石の重さがずしりと増した気がした。


 外で、というのは、学園の外で、という意味だろう。


「い、いえ、いつもという訳ではありません。今日は、特別です」


 しどろもどろに答えるが、言葉通りに受け取ってもらえたとは思えない。


「そうですか」


 先ほどと同じ言葉が返ってきたというのに、軽蔑されているのは明らかだった。


「あの、私たち、出ますね。ごゆっくりなさってください」

「どうぞここにいて下さい」


 それ以上冷たい視線にさらされたくなくて、ヴァンの肩をぐいっと引き寄せ馬車を下りようとしたが、アルフォンスに止められた。


 早く帰りたい……。


 父とヴァンの三人でいたときの方がずっとましだった。


 肩を抱いた腕を離してヴァンの手を握り直し、ミリアはただ時が過ぎるのを待った。


 一番気の毒だったのは、訳が分からないままここに同席することになったヴァンだった。


 

 

 いい商談がまとまった、と上機嫌で戻ってきたフィンとともにフォーレンに帰ってきたミリアは、ベッドの中で今後のことを考えていた。


 休みに入った途端にアルフォンスに出会ったのは誤算だったが、こんな偶然がそうそう起こるわけはない。

 

 成金趣味の格好を見られてしまったことはショックだったが、それは過ぎたこととして諦め、エドワード王太子の好感度をいかに下げるかを考える。

 

 百年の恋も冷める、といったら一番に思いつくのがアレだが、いかんせん下品が過ぎる。不敬罪になりかねない。ならなくても社会的に死ぬ。


 その他にも色々と思いつきはするが、不敬罪にならず、自分の名誉を傷つけず、実家にも迷惑をかけない方法となると、案外難しかった。

 

 アルフォンスが今日の服装を王太子に話してくれたら少しは下がらないかな、と楽観的に考えたところで、ミリアは眠りに落ちた。

 

 

 

 その後、特に大きな事件もなく、家業をほどほどに手伝い、家族との親交を温め、時々子どもたちの先生をやったりしながら、冬の休暇を終えた。

 

 結局良案は浮かばず、とりあえず王太子には近づかないことに決めた。後は出たとこ勝負だ。距離を置きたがっている態度を取れば、きっとわかってくれるだろう。

 





 ――ミリアはとても大事なことを失念していた。


 攻略対象は王太子一人だけではなく、残り二人のルートについては何の知識も持っていないことを。

 そして、ミリアの知らない隠しキャラが存在することを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る