第3話 弟はかわいい生き物です

 からんとドアについた鐘が鳴り、やっと客がやってきたかと頬杖ほおづえをやめて笑顔を作った。


 が、入ってきたのは弟のエルリックだった。後ろに小さな子どもを連れている。十歳くらいだろうか。


「姉さん、店番ありがとう。帰ってきたばかりでごめんね」

「いいよ暇だし。新しい子?」

「うん。そう。今日から」


 エルリックはその男の子の両肩に手をおいて、ぐいっとミリアの方に押しやった。


「僕の姉さんのミリアだよ。会長の娘。あいさつして」

「えっと、きょ、今日からお店に、出ます。よろしくっ、お願いします。ミリア、様」


 つっかえながらもきちんと挨拶あいさつできている。これなら店に出しても大丈夫だろう。


「そんなに固くならなくても、ここは見ての通り閑古鳥かんこどりが鳴いてるから」


 後ろからこそっとエルリックが閑古鳥の意味を教えていた。言葉が難しすぎたらしい。


「ここでは陳列の方法や帳簿の付け方を覚えてもらうよ。読み書きはできるようになった? 計算は?」

「か、書くのが、まだ……」


 ミリアの問いに男の子は泣きそうになり、エルリックの背中に隠れてしまった。


 また捨てられるのかもしれないと不安なのだろうか。

 

 ここで捨てるものか。教育には費用がかかる。回収するために、これからがんがん稼いでもらわなければ。


「計算はできるもんね? 読み書きはこれからも勉強するから、今はそれで大丈夫。まずは、店の中にどんな商品が並んでいるか、どこに何があるか、だいたいの場所を覚えようか。見てきて」


 エルリックが安心させるようにぽんぽんと背中を叩くと、男の子ははっと真剣な顔をして、きょろきょろとあたりを見回しながら離れていった。


 その動きに満足そうに一つうなずくと、エルリックはミリアに顔を向けた。


「姉さん、あとは僕がやるから」


 新人の初日を任されるなんて、我が弟ながら十三歳とは思えない頼もしさだ。通常は教育係が担当するのだが、ガチガチに緊張していたから、せめて初日くらいは年齢の近い弟に面倒みさせよう、という大人たちの気遣いもあるのだろう。


「じゃあ、あとは頼むね」

  

 どうせ新人教育用の店になんて、客は滅多にこない。


 値段が同じなのだから、少し引っ込んだところにあるこの店ではなく、表通りに構えている専門店に行く。何でもかんでもここでそろう、とひいきにしてくれている客もいるにはいるが。


 実際ミリアは朝からずっと暇だった。


 しかし店を開けるなら誰かがいなくてはいけない。


 使える物は猫の手も使え、とばかりに朝一で割り当てられた。疲れているだろうからと一番暇な仕事にしてもらえただけありがたいと思うしかない。


 でもエルリックがいるなら、もうミリアがいる必要はない。


 こっそり帰ってのんびりしよう。ベッドでゴロゴロしたい。


 これからのことも考えなければ。


 うーん、と客がいないのをいいことに行儀悪く伸びをする。


「姉さん……父さんが、探してた」


 ためらいがちにエルリックに言われ、組んだ両手を頭上に上げたまま、ミリアはぴたりと動きを止めた。


「父さんが?」


 嫌な予感がする。

 そしてそれはだいたい当たるのだ。


「姉さん」


 エルリックが近づいてきて、ミリアの両手を取った。エルリックも父親が呼んだ理由を察していた。


「学園での生活はどうだった? 困っていることはない? 一年早く生まれていたら僕も一緒に通えたのに……。昨日帰ってきたばっかりで疲れてるのに、父さんはひどいよね。無理はしないでね。僕、心配だよ」

「まだ父さんに会えてないから、積もる話があるんじゃないかなー」


 世間話なら今夜すればいいのだとわかっていて、ミリアは乾いた笑いを漏らした。


「僕が代わってあげられたらいいのに」


 ぎゅっと眉根を寄せ、上目遣いに見上げてくる。


 なんていい子なのだろうか。こんなにまっすぐ育ってくれてお姉ちゃんは嬉しい。


 感激したミリアはエルリックを抱きしめた。


 これからでかくなってごつくなって反抗期にクソババアと言われたって、ちゃんと可愛がってあげよう。

 

「大丈夫。お姉ちゃん、頑張るよ」

「無理……しないで」


 そっと背中にエルリックの手が回り、きゅっと力がこもった。

 

 髪の色は同じピンクブロンドだが、ふわふわとしたくせ毛のミリアと違い、エルリックはさらさらストレートだ。


 その感触をすりすりと頬で堪能してからエルリックから離れた。


「行ってくるよ」

「気をつけてね」


 店を出るときに「がんばってね」と新人君に声をかけたら、消え入りそうな声で「はい」と答えた。その目には不安の他におびえの感情が混ざっていて、悲しくなった。


「帰ってきたばかりなのに、人使い荒くない?」

 

 店から離れるなりいいお姉ちゃんの仮面を脱ぎ捨て、ぶつくさ文句を言いながら、ミリアは父親のいる商会本部に向かった。



 

 行商だったフィン・スタインが一代でおこしたスタイン商会の本部は、王国の第二の都市、フォーレンにある。


 中心の広場に面してででんと建っているその建物は、いかにも成金――といったごてごてとした華美な要素は何もなく、いっそ簡素なくらいだったが、商会の本部なだけの迫力はあった。

 

 臙脂えんじ色のワンピースを着て、髪を同じ色のリボンで後ろにくくっただけのミリアは、その辺の町娘にしか見えない。

 

 その建物に入るには不釣り合いな見た目だが、そこは勝手知ったる実家の店である。裏口に回るのが面倒で、堂々と正面の開け放された入り口から入っていった。


 ミリアが姿を現すと、「お嬢!」「ミリア!」「ミリア様!」と受付の従業員から声がかかった。


「今まで何してたんですか。帰ってきたらすぐ顔出して下さいって言ったじゃないですか」

「学園はどうだ? ちゃんと卒業できそうか?」

「あのお転婆がお貴族様の中にいるなんて、いまだに信じられません」


 客そっちのけで口々に好きなことを言ってくる。なんだか失礼な発言が混ざっていないか。


「父さんに呼ばれたんだけど」

「会長なら執務室にいると思いますよ」

「そう、ありがとう。……お客様をお待たせしていないで、ちゃんと仕事して」

「はーい」

 

 気のない返事だが、受付を任され、そのまま中で商談に入るくらいだ。彼らが優秀なのをミリアは知っていた。


 途中、廊下で会う従業員とも挨拶を交わす。帰省を喜んでくれるのは嬉しいものだ。

 

 執務室にはすぐ着いた。


「ただいま、父さん。リックから呼んでるって聞いたんだけど」


 ミリアは別に父親と仲が悪いわけでも嫌っているわけではない。


 男手一つで姉弟を育ててくれていることには感謝しているし、贅沢ぜいたくな暮らしもさせてもらっている。一行商から店をここまで大きくしたことは尊敬しており、ファザコンとまではいかないが、家族として好きである。


 だが――。


「お帰り、ミリィ。さっそくで悪いが、出かけるよ」

 

 ああやっぱり。


 ――父親と一緒に出かけるのは嫌だった。

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