第7話 越前屋孝

 越前屋孝えちぜんやたかしは、大学のサークルの部室に仲間たちとともにいる。

 漫画研究会である。

 一昔前までは、漫画研究会というと、聞いただけで色眼鏡で見られたり、あるいは、所属している自分たちですらコンプレックスがあり、なかなか胸を張って、漫研です、と言える雰囲気ではなかった。別に気にしなくてもいい引け目すらあった。

 そういう時代があったらしい、とはたまに来られるOBの先輩方から聞いたことがあったからだ。

 しかし、今の君たちはすごく恵まれている、と言われる。確かに越前屋もそう思う。今や政府や自治体といった公的な組織ですら、日本の漫画やアニメをさも自分たちの功績であるかのように、誇らしげに世界へ向けて宣伝している時代だ。 

 それに、過去には漫画やアニメは、オタクのもの、と思っていたオタク以外の層も、漫画やアニメを好き、と公言する人たちも増えた。

 つまり、当時、肩身の狭い思いを強いられていたオタクたちは、時代の最先端にあったのである。

 越前屋の所属する漫画研究会は、本気で漫画を描いているような人は実際のところは少ない。部長のせきさんと、書記長の宇賀神うがじんさんくらいのものだ。

 宇賀神さんは、某有名少年漫画の新人賞に応募して一次審査を通過するほどの実力者である。生原稿を見せてもらったことがあるが、線といい、べた塗りといい、スクリーントーンの使い方も芸術品である。

 プロの漫画家さんというのは、これよりもっとすごいのかと思うと、越前屋には絶対無理な領域だと早くから漫画家は諦めた。

 関さんは、いわゆるアダルト漫画を描いていて、宇賀神さんと同様、ものすごく絵が上手な上に、イラストのレベルも高い。卒業後は、アダルトゲームメーカーに就職するか、フリーのイラストレーターになりたいらしい。

 そんな猛者たちの集まりの中で、越前屋は少々居づらい雰囲気がまったくないとは言えない。だが、漫画熱はあるので、同じ話題のできる仲間が欲しいと思って、漫研に入った。

「もうすぐ世界滅亡っすねー」と越前屋は言った。

「放射線だってねぇ」同期の松倉がポテチを食べながら応える。この男も漫画を描くが、描き始めたのが漫研に入ってからで、当然のごとくレベルは低く、越前屋とどっこいどっこいだ。

「でも、放射線って、自然界の中でも出ているらしいよ」

 部長の関さんが、キャラクターの髪にべた塗りしながら言う。

「ああ、でも、人体にはほとんど影響がないくらいのレベルだろ」

 宇賀神さんは、原稿に貼ったスクリーントーンをきれいにカッターで切っている。

「でも、世界滅亡シナリオなんて、もう時代遅れっすよねー」

 越前屋は、松倉に、ポテチ散らかすな、と注意する。「あとで、掃除しろよー」

 一時期、セカイ系という漫画やアニメが流行った。やや語弊のある言い方かもしれないが、これは大体のところ主人公の少年なり少女が世界の命運を握る、という内容で彼らに関わる者たち以外の多くの人々はモブキャラになっている。

 世界には、少年少女やそれ以外の仲間たちの他に、大勢の人々が住んでいる。そうたやすくこの者たちの手に世界の命運を委ねられては困るし、モブキャラだからといって簡単に犠牲にされても困る。

 それに、ひょっとしたら、十代の少年少女じゃなくても、世界の各地でその文化が失われつつある少数民族の中にこそもっとふさわしい人がいるのかもしれないし、アメリカの特殊部隊の中にいるのかもしれない。

 素晴らしい作品の中には、少年少女でなくてはいけない理由を上手に設定している欠点の見当たらないものがあるが…いや、もうよそう。

 なんだかんだいって、越前屋はセカイ系にハマったことのあるクチだった。そして、そういう作品に当てはめたら、自分自身はモブキャラ側だと思っている。

「世界の終焉か~」仰向けに寝転がった。「この世で生きづらい人たちは喜んでいるだろうな~」

 俺みたいに、と続けた。

「え。越前屋。オマエ生きづらいの?」と松倉。「悩みあんのか? 言ってみ」

「そりゃあ、生きづらいさー。バイトの面接に行っても、うまくしゃべれなくて、すべて全滅。やっぱ、俺は向いてないんだよ~この世界。つまるところ、この世界しか選べないから生きづらいんだ。もっとさ~、サラダにつけるドレッシングみたいに所属する世界を選べたらいいのになー」

「越前屋くん。君、それ本気で言ってたらヤバイぞ」

 関さんである。べた塗りする手を止めて越前屋を見る。

「いやあ、本気ですよ~かなりマジっす」

「やべ、ここに中二病が生き残ってた」

 宇賀神さんも手を止める。

「そんなもんで生きづらいとか言ってちゃマズイぞ」と松倉。「舘山さんなんか、就職活動で、三十社行って、ぜんぶ全滅だそうだ」

「そいつはスゲェなぁ」

「関心すんな」

「そんなモン甘い」関さんが完全にペンを置く。「俺のアニキの友達の友達なんか非正社で働いてるんだけど、正社目指して就職活動したら、ざっと百社くらい落とされたそうだ。そのうちの八割くらいは書類選考で落とされたらしい」

「いやあ、マジスゲェっすね。豆鉄砲数打っても当たらないもんなんすか」

「でもその人、正社なるのはやめて、組織に所属しなくても生きていく方法を見つけよう、って結論に至ってな。いま、居酒屋で年下の店長にこき使われてバイトしてるそうだ。金貯めて、技術身につけて、いずれは店を開きたいらしい」

「俺はそこまで捨て身にはなれませんね~」

「バカ。捨て身とか言うな。失礼だろ」

「でも、世界が終わったら、その努力もムダになっちゃいますよね。だったら、パーッと遊んじゃった方が…」

「だから、他人のがんばりに水を差すんじゃない。もっと謙虚になれ」

「関先輩。売れっ子漫画家になったら、俺をアシスタントに採用してくれませんか?」

「…サイテーだな、オマエ」と松倉。

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