第6話 大坪光


 動物園の飼育員のほとんどは、有給休暇を申請して休みに入っていた。

 福士恵比寿ふくしえびすという女性の獣医師と、園長の大坪光おおつぼひかり以外は。

「悪いねぇ。福士先生」

 スローロリスの一匹が病気で元気をなくし、ケージから出して診察しているところだった。

「いえ、私は獣医師ですから。ちょっとのことでは休むことはできませんよ」

「そのお心がけに感謝しております。で? どうなんですか」

「足を骨折しています。これではケージに戻せませんね。手術をしないといけませんが、大坪院長と私の二人だけではムリですね。職員が戻ってくるまで少し待ちましょう」

「それにしても、アイツら、普段はマジメに仕事していたと思っていたのに、地球の終わりが来るかもしれないと知ったら、アレだもんなー」

「アレ、というのは?」

「仕事放棄して、逃げ出したことですよ」

「仕方ないですよ。死ぬかもしれないんですから。仕事どころじゃない、ってことでしょう。気持ちはわかりますよ」

「でも、こうして福士先生には来ていただいています」

「私は、動物たちが家族みたいなものですから。そういう園長は?」

「私は、最後まで動物たちに責任があると思っている」

「でも案外、地球最後の日が来るといっても、やることはあまり変わらないですよね。普通の仕事して、ご飯食べて、お風呂に入って、歯磨きして、スキンケアして眠る。どうせ死んだら、なにも意味ないのに、お肌のシワとかシミとか紫外線とか気にしちゃいます」

「じゃあ、有給取ったアイツらは、なにしているんでしょうな」

「案外、家で普通通りに過ごしていたりして」

「薄情なヤツらだ。入ってきたときには、子供の頃から動物が好きでしたとか、動物の世話をする仕事に憧れていました、などと言ってたのに、自分の命が惜しくなった途端、動物なんて知らんぷりだ。自分の担当の動物くらいちゃんと面倒みろってんだ」

「まぁまぁ、園長。人それぞれですから。残り少ない時間を好きなことをやって過ごしたり、恋人や家族と過ごしたい、というのは、自然なことかもしれませんよ? 私たちの方が少数派で珍しいんです、きっと」

「それにしても、街のインフラに関わるような仕事に就いている人たちは偉いですなぁ」

「確かにそうですね。インフラが止まったら、放射線が降りそそいでくる前に、パニックになるでしょうね」

「やっぱり、それが普通なんですよ。地球さいごの時が来ても、金持ち以外は、仕事してる」

「否定はしません」」

「でも、まだ、こんなときでも働いている人たちはまだいるのですよ」

「どのような?」

「高級レストランですよ」

 一般庶民じゃとてもじゃないがいけないような超がつくほどのレストランだ。一見さんお断り、みたいな。

「ああなるほど」福士先生はこぶしにポンと手をついた。「死んでしまう前に、一度でいいから、高級なお料理を食べてみたい、ってことですか。へぇなるほど。私には思いつかなったですね。皆さん、想像力が豊かなようで…」

 皮肉ではないですよ? と付け加えた。

「私なんか、とくにやり残したことなんてありませんもの。しいて言うなら親孝行くらいですか。でも地球防衛作戦がもし失敗したら、みーんな死んでしまいますもんねぇ。孝行しても、その両親も死ぬ、っていう救われないバッドエンドです。園長はなにかやり残したことはありますか?」

 聞かれた大坪は口ごもる。飼ってるオカメインコのオカメちゃんのことが一番気がかりだった。もちろん動物園の動物たちも気になるが、このことはさすがに園長とはいえ大坪の手に余る。

 まさかノアの箱舟によって救われるわけでもないだろうに。

 相当な未来の話だったら、宇宙船で地球から脱出する、というSFめいた展開もあっただろうが、まず間違いなく動物たちまでは連れて行けないだろう。動物たちのDNAくらいなら持っていくかも知れないが。

「私は、ここの動物たちが気になるかな」

 福士恵比寿は、フフ、と微笑む。「園長も、仕事が頭から離れないんですねぇ」

「習い性ですよもう。なにかを後世に残すとか、うまいモンを食うとか、そんなのどうでもいいですよ別に。一時的に欲望を満たしたところで死んだらおしまいだよ。家で妻の家庭料理を食べているだけでいい。普通の日常でいい」

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