第4話 稲田穂積

 稲田穂積イナダホヅミは、三十五歳、女性、である。

 ドラッグストアで化粧品の販売員をしている。そのためか、いつも、お客さんにお肌きれいですね、白いですね、芸能人みたい。どういうスキンケアをしたら、店員さんみたいなお肌になるんですか? などとよく聞かれる。

 もちろんそのときには、自分が販売しているメーカーの化粧品をオススメするが、はっきり言って万人に通じるスキンケアの極意などない。

 このような学習をしたら、お子さんは必ず東大へ合格できますよ、というメソッドを考えてみたらわかる。その通りに学習したところで、すべてのお子さんが、必ず東大に合格できるわけではない。

 子供の性質によって一番適したやり方というのがあり、学習塾が推進するようなメソッドは、はっきり言って万人には通じず、生徒を増やすための方便だ。

 だから、巷にあふれているスキンケアも、万人に通ずるものではなく、あくまで、平均化した人々のデータにすぎない。

 だが、より良い化粧品を求める女性たちは、そんなことは知ったこっちゃない。あれがいい、これがいい、と言われば、すぐに食いつく。女性たちが日本社会の消費の多くを占めているというのがわかるいい例だ。

 そういう稲田穂積も、仕事柄、化粧品にはけっこうな額のお金をつぎ込んでいる。はっきり言ってしまえば、スキンケアだけでは、肌はキレイにはならない。

 美容皮膚科や美顔サロンなどを利用しなければ、芸能人みたいにはなれない。だから、スキンケア用品だけでキレイになろうとするのは、アイテム不足と言わざるをえない。しかし、世の女性たちの多くは、お金がかかるばかりに美容皮膚科や美顔サロンには行かない。

 結果として、ごくありふれた普通の人になる。もちろん、お金をかけなくても、生まれつき、肌の美しい人たちというのもごく少数だが存在する。

 結論として、美しくなるには、お金をかけなればならない、ということになる。

 化粧品の販売員がこんなことを考えているのは、なんというか、不良、詐欺師としか言いようがない。

 稲田はしかし、悩んでいる。

 ここ最近ニュースを騒がせている超新星爆発。

 宇宙のことはまったく知らない。無知そのものと言っても良い。地球は太陽の周りを回っているとか、月は地球の衛星であるとか、それくらいしか知らない。今時小学生……いや、幼稚園児でも知っていることだろう。

 放射線が降りそそぐ……紫外線とどう違うのだろう?

 もしも、強力な紫外線が降りそそいできたら、今使っているUVカットローションでは足りないかもしれない。もしかしたら、日本人全員が、遠い未来には、顔じゅうシミやシワだらけのババアやジジイになってしまっている可能性もあるだろう。

「…店員さん、店員さん」

 お客様に呼びかけられて、稲田はハッと我に返る。たまに性悪な心の声に没頭してしまうのが、悪いクセだ。

 五十代くらいのごく普通の主婦らしき女性がいた。

「この化粧水お高いけれど、私にも合うかしら? 以前、通販で一本一万円の化粧水を買ったのだけれど、なんていうのかしら、アスファルトの上に雨が降ったようなだけで、土に雨水が染み込むようなカンジがしなかったのよね」

 回りくどいたとえである。ようするに。

「角質層まで浸透していなかったということですね?」

「ええ、そうだと思うわ」

「それでしたら、最近ご好評をいただいているこちらレチノール配合の美容液はいかがでしょうか? こちらがそのテスターになりますので、ぜひお試し下さい」

 カウンターの外に出て、お客様のお手に、美容液を数滴落とす。みるみるうち浸透してぷるぷるの肌に変わってゆく。

「いいわね、これ」

 お客様は高揚しているご様子だ。

「でも、お高いんでしょう?」

「いえ。先ほどお客様がおっしゃられた化粧品の半額ほどでご提供させていただいております」

「では、これをひとついただくわ」

「ありがとうございます」

 たまに、美を追求することに虚しくなることがある。

 いくら美を追求したところで、素顔や顔のパーツが適正な位置に配置転換されるわけでもない。つまり、生まれつき、という素質には勝てない。しかも、美人だろうか常人だろうがいくら磨いたところで、永遠の美はない。死ねば、冷たくなり、燃やされ、骨になるだけ。今まで努力してきたものは、全部パーだ。

 なんのために美しくあろうとするのだろう?

 誰かに褒められたいため? 自己満足? 時代の潮流? 世の中がそういう社会だからだろうか。しかし、どの国にいる女性も皆、その国ならではの美を追求している。

 ということはつまり、男性に美しく見られたい、という面白みもなにもない、ありきたりな本能からなのか。

 だが、人はそこまでシンプルではない。

 同性にも美しく見せたい、という欲望もあるし、自己満足もやはりある。キレイな自分でいたら、毎日のモチベーションが上がる、というあれだ。

 確かに、恋人がいたときは、毎日が今よりもずっと充実していた。仕事のためにメイクアップするのとは、違ったモチベーションがあった。恋愛をするとキレイになる、という文句は正しい。

 どのみち、放射線とやらが降りそそげば、シミやそばかすが増え、美醜もなにもなくなってしまうのだろう。

 肌の美しさで売っているあの芸能人も、女優も、モデルも、全員シミババアになるのかもしれない。

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