第52話
香花の持っているそれがどういった用途のものかは知っているが、俺は使った事が無い。いや、そもそも使う必要の無いものでもある。
というよりも、使った経験のある人間の方が少ないんじゃないのか。俺の同年代、友人達でも使ったという話は聞いた事が無いぞ。
……いや、まぁ、例え使った経験が仮にもあったとしても、そんな話は心情的に語りたいとは思わないか。誰にも話さずに秘密にして終わるだろう。もし、もしもだ。そんな話を多感期でもある学生時代とかにでもしてしまったら、周りから大変不名誉な渾名でもつけられるに違いない。
まぁ、飽く迄俺の勝手なイメージだけれども、年配の入院患者が使うといったものがある。だって健康な人間は普通にトイレに行って用を足せばいいのだから。
さて、そんな俺にとっても無用の長物ともいえるそれが今、香花の手によって目の前にへと差し出されている。
差し出されたところで現状の手足を縛られている状況では使えるはずも無いが……いや、使えたところで好き好んで使う訳でも無いのだが!
そう考えてしまうと、次の香花が起こそうとする行動と言えば自ずと分かってしまうのだった。
「じゃあね、まーくん。私が今から脱がしてあげるから、これにしーしーっと出しちゃおうね♪」
予想通りと言うべきか、それ以外に無かったとも言うべきか、彼女はにこやかな表情を崩さないまま、俺に向かって地獄の様な宣言を告げたのである。
「ま、待ってくれ! というか、何だって香花はそんなものを持っているんだよ!?」
「えっとね、少し前にネットで注文して買っておいたの。何かあっても良い様に、備えておくのは当たり前なんだよ。備えあれば患いなし、って。……それと、私が見たいっていうのもあるけど……」
「見たい!? 何を!?」
「ほら、そんな事言っていないで、我慢し過ぎると体に毒だよ。まーくんは何もしてなくて大丈夫だから、おとなしくしててねー」
そして当然の流れにはなるが、俺に排泄させようと香花が片手で尿瓶を持ちながら、ズボンとパンツを脱がせる目的で下半身にへと手を伸ばしてきた。
「ば、ばっ、やめっ、やめろぉっ!!」
しかし、今にも漏らしてしまいそうな限界ギリギリの状況ではあったが、俺はそう言って伸ばしてきた香花の手に対して腰を左右に振ったり身体を捩らせる等して抵抗を試みた。
幸いな事に腰部付近に対しては身体を固定する為の器具や用具はそれほど無かった為(香花も排泄の必要があると考えてこの部分には少なくしたのか)に動かす事は出来たが、それでもこんな抵抗なんて微々たるものでしかない。
縄か紐やらで縛られていて自由に動けない俺と、何にも縛られていない香花とでは力の差があり過ぎてどうにもならない。抵抗するだけ無駄なのかもしれないとも考えてしまう。
確かにここで香花の行動を受け入れて排泄してしまえば楽にはなれるだろう。もしも我慢し続けてそれで漏らしたとしたならば、尿瓶にする行為と変わらない……いや、漏らした方が精神的ダメージはでかいかもしれない。……だが、だけれども。それを分かっていたとしてもだ、それ以上に尿瓶に対する俺の拒否感が勝ってしまうのだ。
「あっ、もう、駄目だよまーくん。暴れられたら、脱がせられないよ」
「脱がされたくないから、暴れてるんだよっ!」
「えぇ、何でそんな事を言うのかな? 私はまーくんがしたいっていうから、こうして準備して持ってきたのに。それなのに嫌だなんて……まーくんの言っている事、滅茶苦茶だよ」
「いや、香花のしている行動の方がよっぽど滅茶苦茶だからな!?」
漏れてしまいそうなのと状況が状況なので、俺も体裁を取り繕う余裕が無く香花に無遠慮で言葉をぶつけてしまう。変化球ガン無視のストレート一本勝負である。
普段なら面と向かって言わない事も言っている気がするので、後の事を考えると怖いのだが……今はそう言っている場合でもない。
「ほら、早くしないと漏らしちゃうよ。我慢なんてしないで、早くこれにしーしーして楽になろ? ねっ?」
「だから……もう。とにかく、したいんだけれども、そうじゃなくて……それは間違っているんだって! 察してくれって!!」
「間違っている……? えっと、何が……あぁ、そうか。分かったよ、まーくん」
俺の言っている事が本気で分からず悩んでいた様子の香花だったが、ようやく合点のいった様にしてそう言った。
それから理解を示すかの様に手に持っていた尿瓶を床にへと置く。その動作を見てそうか、分かってくれたのか……と、俺は心の中でそう思って一息ついた。
「ごめんね、気が付かなくて。まーくんがしたいのはこっちじゃなくて、これの方だったんだね」
だが、俺の安堵は早合点ともいうべきものだった。香花はそう言うと自分の衣服のポケットから別の物を引っ張り出してきた。
「えっ」
俺はそれを見て目を見開く。彼女が取り出したものは正直に言って、尿瓶と比較してもそう大差のないものであった。
「こんな事もあろうかと、こっちの準備もしてたんだ。えへへ、えらいでしょ♪」
両手を使って広げて見せたそれは青色をしたぺらぺらと薄い何か……もとい、ペット用の排泄シートだ。実家で見た事があるから分かってしまう。よくうちで飼っていた愛犬がそれでしていたのを記憶している。
そして香花が思い当たったのはおそらく、俺がしたいのは小では無く大だという事なのではないだろうか。そうじゃなければ、彼女がそれを広げてきた意図が全く分からない。いや、彼女が今起こしている全ての行動に対しても意味は分からないが。
「という訳で、これをまーくんの腰の後ろに通して広げて……っと。これで良し! それじゃあ、今度こそ、脱がしてあげるね♪」
答えは聞いていないという感じで準備を整えてしまった香花はそう言うと、今度こそとばかりに俺のズボンに向けて手を伸ばしてくる。一切の躊躇いや恥じらいも無い、淀み無いの手つきに対して俺も先程よりも強く抵抗をするしかなかった。
「えぇ? どうして? 今度こそまーくんの要望通りにしてるのに、何でまた暴れるのかな?」
「だから、そうじゃないんだってっ!? どうして分かってくれないんだよっ!?」
「ううん、違うよ。私、分かってるよ。分かっているからこうして準備しているのに、何が不満なの?」
「その気遣いがそもそも間違っている事に気づいてくれっ!?」
精一杯声を荒げて抵抗する俺ではあるが、香花も俺と同じく引き下がろうとはしてくれなかった。そしてそうこうしている内に俺の膀胱はそろそろ限界を迎えようとしていた。少しでも気を抜けば勝手に外へ出てしまうぐらいの境界線まで来てしまっている。
これ以上声を荒げたり激しく動こうものなら、俺は惨めに失禁してもおかしくはないだろう。もう、この辺りで妥協するしかないのか……と、半ば気持ち的にも折れそうにはなっているが、そんな限界的な状況に立たされていてもなお、俺は尿瓶やペットシーツになんかにするのは気が進まなかった。
「……分かった」
すると、色々と考えて悩んでいる俺に向けて香花が不意にそう告げた。それが何に対しての言葉なのか聞き返そうとしたかったのだが、今の俺にはそんな余裕すら残っていなかった。
「つまり、まーくんはこれとこれが嫌なんだね。そういう事でいいのかな」
そして香花は俺に尿瓶とペットシーツを掲げて見せながらそう言ってきた。それを聞いた途端、俺の心に安堵の気持ちが広がっていくのを感じた。
正に俺の伝えたかった事が正しく伝わった瞬間である。俺はその問い掛けに対して首を縦に何度も振って応えてみせた。
「もう、トイレに行かなくても済ませられる様に準備したのに、我が儘なんだから」
いや、どっちがだよ。頬を膨らませてそう言ってくる彼女に対してそう告げてしまいたかったが、今はそれを言うべきではない。良い流れが来ているのだから、ここは大人しくしておくのが吉だと思う。
「じゃあ、仕方ないなぁ……」
香花は両手に持った尿瓶とペットシーツを置くと、立ち上がって俺にへと迫ってきた。その行動を見て、俺は確信する。彼女が折れたが故に拘束を解いてくれて、俺はトイレに行かせて貰えるのだと考えた。
ようやく解放されるのだと思うと安堵から力が緩みそうにもなるが、それをどうにか耐えてみせる。もう直ぐに俺は解放されるのだから、それぐらいは耐えてみせよう。
そして俺はその時が来るのを待った。目をつむって早くしてくれと逸る気持ちを抑えつつじっと待った。
……しかし、いくら待っても拘束が緩む事は無かった。どうしたのかと思い、俺は閉じていた目を開けて香花の様子を伺った。
すると、彼女は俺の拘束を解こうという動きは見られなかった。何故か俺の股の間の位置にしゃがみ込んでいて、こちらをじっと見ていた。
「あ、あの……香花さん? その、外すなら早くして欲しいんだけれども……」
「外す? 何の事を言っているのかな?」
「いや、だから拘束を外して……」
「外さないよ」
香花は首を横に振って端的にそう告げてくる。
「えっ?」
「だって、まーくんは尿瓶もペットシーツも嫌なんだよね。それが嫌だからって事と、まーくんを縛っている拘束を外す事は関係ないんだよ」
「じゃ、じゃあ……一体、何を?」
「――――――してあげる」
聞き返した俺に対して、香花は何かを言ってきた。それを俺は聞き取れず……いや、聞き漏らしてしまった。何故ならそれは、香花が今まで言ってきた言葉以上に思い掛けない言葉を口にしてきた為に、聞く事を受け入れられなかったからだった。
だが、その思い掛けない言葉を彼女はもう一度口にしてくる。流石に二度目となるとそれを聞き漏らす事なんて出来ず、俺はその言葉を耳ではっきりと捉えてしまうのだった。
「尿瓶やペットシーツの代わりに、私がここで受け止めてあげるね♪」
「……は?」
香花は自分の口元に指を差しながら、満面の笑みを浮かべてそう言ってきたのだった。
そしてそれを聞いた俺は心の中で自分のした判断を訂正する事にする。先程、分かったと言っていた彼女だったが、本当は何も分かっていなかったのだという事をだ。
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