第45話
「あっ! おはよう、まーくん」
「……おはよう。……何か今朝はやけにご機嫌だな」
翌朝、未だ眠気が残る意識がはっきりとしない状態のままダイニングにへと向かうと、満面の笑みを浮かべた香花が俺を出迎えた。
今の俺は完全に寝ぼけている状態ではあるが、彼女がこれ以上に無いぐらいに機嫌の良いという事は十分に察せられる。
ここしばらくは不機嫌な状態が続いていたので、こんな出迎えをしてくれるのは久しぶりの事である。
「ねぇ、ねぇ。昨日は良く眠れたかな? どうかな?」
「あ、あぁ、お陰様で何とか調子が戻った……って感じかな」
「ふふっ、なら良かった♪ 昨日は具合が悪そうだったから、本当に心配で……。でも、その調子ならもう安心だね」
「……そうだな。心配させてごめん。今度からはこうならない様に気を付けるよ」
そう言いつつ、俺は自分の席にへと腰を下ろす。すると香花もそれに合わせてか、対面の自分の席にへと座った。そして俺の事をじっと見つめ始めたのだった。
「……?」
朝食の準備が終わったのかと思ったが、どうやらそうではない様だ。それは机の上を見ればそうでは無い事が直ぐに分かった。
食卓の上には一切何も置かれてはいない。汚れが一つも無く、すっきりと綺麗に片付いている。
また、台所の様子も座りながら窺うと、そこには何も用意されていなかった。コンロの上でいつも湯気を立てている鍋も、朝食を盛り付ける為の皿でさえ消えている。
いつもと違う朝の光景に少しもやもやとした気分になるも、俺はその事を彼女に向けて疑問という形で吐き出す様な事はしなかった。
理由は……自分の事ながら、良く分からない。何故かそうしては駄目な気がしたというのもあるし、彼女が何でもない様な表情をしていたので、なら問題は無いのだろうと思えてしまったからというのもある。
そうした不思議な気持ちを抱えつつも、俺と香花はしばらく無言のままお互いの事を見つめ合い続けた。1分、2分、3分と。時間は刻一刻と進んでいく。
そしてしばらく経った後、ようやく香花がゆっくりと口を開いた。
「えーっと……その……」
もじもじとした歯切れの悪い口調……香花にしては珍しい。普段の彼女ならもっとはっきりとした感じで話すというのに。
「あの、ね……うーんと……何て言ったらいいの、かな……」
はて、一体全体どうしたのだろうか。先程に感じた不思議な気持ちと相まってか、余計に変に思えてしまう。
けれども、それらを俺は決して口に出して問い質そうとはしようとしなかった。無言でスルーし、彼女の言葉をじっと待ち侘びている。
おかしい。ますます変だ。俺自身にしてもそうだが、彼女もいつもの感じとは乖離してしまっている。本当にどうしたというのか。
そうした焦れったい気持ちが俺の心の中で蔓延しつつある。この状況を打破したいという思いから、俺は彼女が何を伝えたいのかを自分なりにだが予測してみる事にした。
あーでもない、こーでもないと。人並よりも少し回らない頭で必死になって考える。しかし、そんな俺の努力は無駄な結果に終わる事となる。
何故なら、俺が答えを導き出すよりも先に時間切れとなったから。今までずっと言いにくそうにしていた香花がようやく伝えたい事を口にし出したからだ。
「私、ね。まーくんに伝えなきゃいけない事が……あるんだ」
「伝えたい事……?」
「うん……そうなの」
「それって……どんな、事なんだ……?」
俺は香花に向けてそう聞いてみるが、その回答はすらすらとは返ってはこない。彼女はまた口が重くなってしまい、視線も俺から逸らしてしまって伏せている。
そうした雰囲気から察するに、彼女が伝えたいという事はそれ程に伝えにくい事なのだろうか。でなけば、彼女ならもっと普通に話しているはずだろうから。
「ははは……何だか不思議な感じかな。そんな難しい事じゃないはずなのに、言葉に詰まっちゃう。何でなのかな……?」
「……」
「もうちょっとだけ……待ってて、ね。こればっかりは、ちゃんと話したいから……」
「……大丈夫だよ」
「……えっ?」
「大丈夫だから。香花が言えるまでは、俺もちゃんと待ってる。だから、落ち着いてしっかりと話してくれればいい」
……いや、何というか……我ながら、こんな台詞をすらすらと吐けるものだな。と、感嘆の思いが込み上がってくる。
普段だったら絶対に言えるとは思えないのだが。この場の雰囲気が俺にそうさせているのかもしれない。
「……ごめんね。ありがとう、まーくん」
彼女はそう言った後、座ったままの状態で深呼吸をして自分の気持ちを落ち着かせようとする。もちろん直ぐに治まる訳も無く、長い時間を掛けてゆっくりと気持ちを落ち着かせていく。
そして何度も何度も繰り返し行った事で、ようやく彼女の気持ちは話せれる状態にへと落ち着く。それから準備が出来たというのを伝えるかの様に、俺にへと視線を合わせてきたのだった。
「えっと……じゃあ、言うね」
香花がゆっくりと口を開く。俺は彼女の言葉を聞き逃してしまわない様に、全神経を聴覚にへと注いだ。
「――――――」
「……!?」
だが、その瞬間に不思議な事が起こった。彼女の口は何かを伝えようと今も動いている最中だ。けれども、それが何を言っているのかが俺には聞き取る事が出来ないでいた。
「――――――。―――、――――――。―――――――――」
しかも聞こえてこないのは香花の声だけじゃない。聞こえてくるはずの物音も外から喧騒も、俺の周囲全体から音が消えてしまっているのが今の状況であった。
せめてもの抵抗で、近付けば聞こえやしないかと身体を前のめりに乗り出してみるが、それでも香花の声は聞こえてはこなかった。
距離的には近付いているはずなのに、彼女の存在が遠くに離れていってしまう様な、そんな感覚に襲われる。
そうした状況に焦燥感を抱いていると、更なる変化が俺の視界にへと起こった。しっかりと見えていたはずの目の前の光景が、突然もやが掛かった様に見えたのである。
どれだけ目を凝らそうが、そのもやは晴れる事は無い。徐々にそれは濃くなっていき、彼女の姿を俺から消し去ってしまったのだった。
香花が何を伝えたかったのも分からないまま、世界は完全に白一色にへと染まっていく。そして……
………
……
…
「ん……んん……」
和やかな朝の光を浴びて、俺はゆっくりと目を覚ました。寝起きで意識がはっきりとしていないせいか、身体も頭も思う様に動いてくれなかった。
「えっと……朝、なのか……?」
はて……昨日は一体いつ眠ってしまったのだろうか。香花が寝る頃までは起きていようと決めていたのだが……。
「全然……思い出せない……」
残念な事に、その辺りの記憶が全くといって無い。もしかして……寝落ちしてしまったのか?
「……どう、だったっけ……?」
記憶を遡って思い出そうと頭を巡らせてみても、寝ぼけている状態では思い出せる事は何一つ無かった。しかも昨日のアルコールがまだ残っているせいか、頭痛ががんがんと鳴り響いている。確実に妨げの要因の一つとなっている。
「頭が痛い……何か変な夢も見たしな……何だったんだろうな、あれ……」
寝起きの気分としては最悪なレベルである。出来る事なら、もう一度眠りについてしまいたい気持ちだ。けれども、いくら休みとはいえそんな事をしていては時間がもったいないと思う。
「とりあえず……起きる、か……」
このまま横になったままの状態では事態は進展しないだろう。そう思った俺はベッドから起き上がり―――
「……ん?」
起き上がって―――
「……えっ?」
……起き上がれない。起き上がろうとしたが、それは出来なかった。
「あれ……?」
いや、それどころか事態はもっと深刻なものみたいで……
「う、動け……ない……?」
どういう訳なのか、目が覚めたら身体が動かなくなっていたのである。何故なんだ。
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