第44話

 



 もしかすると、彼女が用意した罠である可能性もある。その瓶は一見して未開封に見えるけれども、何を仕込まれているか分かったものでは無い。



考え過ぎかもしれないが、睡眠薬を盛った事のある前科がある以上、これを黙認するのは難しいというものだ。



「それも、大丈夫……かな。今まで薬なんて飲まなくても何とかなってるし……」



 変な事を口走らない様にと直接的にはノーとは言えず、誤魔化す様にそう言って俺は香花に向けてそう返した。



 そして彼女の動向をじっと見守る。彼女の性格上、無理矢理にでも飲ませてくるかもしれないという懸念もあるからだ。一度突き返しただけでは油断はできない。



「そう……そっか。なら、いいけど……」



 だが、意外な事にも彼女はそう言ってドリンクの瓶を下げ、何もしてこなかったのだ。



「えっ……?」



 予想していた事と違ったせいか、気づけば俺は思わずもそうポロっと口にしまっていた。



「……ん? まーくん、どうしたの? えっ……って、何? 何か言いたい事でもあるのかな?」



 そしてそんな俺の失言を地獄耳の香花が聞き逃す訳も無かった。彼女は即行でそれを追及してくるのである。



「やっぱりこれ、飲みたいの? 私の前だからって変なやせ我慢とかしていて、本当は飲みたかったとか?」



「えっと、その……」



「そんなの、身体に毒だよ。まーくんにもプライドとかあるかもしれないけれど、気にしなくてもいいんだからね。ほら、我慢なんかしてないで飲んじゃおうよ。ねっ?」



 そう言いつつ、彼女は下げようとしていた瓶を再び俺の下にへと突き付けてくる。俺と香花との間に食卓があるからそうはならないけれども、それが無ければ間違いなく、彼女は俺にへと無理矢理にでも瓶を押し付けているだろう。



 失言のせいで更に断り辛い状況になってしまったが、だからといってそれを受け取る訳にはいかない。彼女には悪いが、ここはもう一度断るしかない。どんな手を使ってでも。



「な、何でもないよ……別に、平気だしさ……」



 と、言ってはみても、俺に出来る事といえばこんな誤魔化ししか実行できないのである。もっと口達者であれば、楽に誤魔化せるというのに……。



「……ふーん、そう。じゃあ、本当に片付けるけれども、大丈夫なんだよね?」



「も、勿論、大丈夫だって。それはまた今度、本当に厳しい時に飲む様にするからさ。今日はいいよ……」



「それなら、そうするね。……でも、本当に辛いみたいなら勝手に開けて飲んでよね」



「う、うん、そうするよ……ありがとう」



 そして香花は立ち上がると今度こそ瓶を冷蔵庫の中にへと片付けた。そして彼女は俺に背を向けたまま、俺にへと話し掛けてきた。



「それじゃあ私、お風呂に入ってから寝る事にするね」



「……! そうか、分かったよ」



 それを聞き、俺の中に少しばかりの余裕が生まれる。こんな綱渡りをしている様な状況の中で、彼女と居続けるのは酷な話であり、ずっと緊張を強いられるのも辛いものだ。



 だからこそ、彼女の提案は願っても無い事だった。こちらからでは無く、彼女の方から俺の下より離れてくれるのだから。



「あっ、そうだ。まーくんもお風呂入りたかったりする? それなら先に入る? それとも、私と一緒に……」



「い、いや、俺はいいよ。疲れたし……先に寝てるよ」



「そっか……残念。じゃあ、お休みまーくん。また明日ね」



「うん、お休み」



 そうして会話を交わした後、香花は浴室にへと向かっていった。これでしばらくは浴室から出ては来ないだろう。



 寝ると言った以上、これで今日は香花と顔を合わせる事も無い。残るは彼女が寝るまでのあ間、警戒を怠らないだけである。



「ふぅ……それだけでも随分と楽になった気がする。失言に気を付けないとって思うと気が気でないからな……」



 一時的ではあるが安心した事で、少し喉が渇いてしまった。さっきまでいた居酒屋でもアルコールしか飲んでいなかったので、純粋に身体が水分を欲しているというものなのだろう。



 彼女がいると何をされるか分からない現状、今の安全な内に水分補給しておいた方が得策だ。そう考えて俺は立ち上がると冷蔵庫を開け、その中にある麦茶をコップにへと注ぎ、一気に飲み干した。



 一杯だけでは喉の渇きは収まらず、二杯、三杯と立て続けに飲み干すとようやく喉は十分に潤った。



「とりあえず……後は部屋の中で待ってる事にしよう。幸いにも明日は休みだから、寝るのが遅くなっても支障はきたさないしな」



 香花が寝てしまうまでどれだけ掛かるが分からないが、それまでは動画を見るなり、ゲームでもして時間を潰せばいいだけだ。



 それに本当に何も無ければ、彼女も直ぐに寝てしまうだろう。時間を無駄にしたと考えるかもしれないが、その時は俺の勘違いだったと思えばいい。



「しかし、疲れた……早く横になりたいけど、そうしたらきっと、寝るだろうし……もう少しの辛抱か。我慢だ我慢」



 俺は飲み干して空になったコップを洗い、それから自室にへと戻っていった。



 そしてベッドに腰掛けてから携帯を取り出し、これからどう過ごそうかと考える事にする。



 ……あぁ、そうだ。寝ると言っておきながら電気を点けたままにしておくのは怪しまれるな。ここは仕方ないが消しておこう。



 さて、この後は何をして時間を潰していくか。時間的にはたっぷりある訳だし……まずは、そう……動画でも見て、それ、から……



 ……………



 ………z…



 ……z…z




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る