第43話
「ほら、まーくん。お家に着いたよ。……ちゃんと一人で歩ける?」
「あ、あぁ、それぐらいなら、何とか……」
香花に促されて、俺は彼女よりも先にタクシーから降りる。ただ、その動作はとしてはフラフラとしたおぼつかないものであった。
少しはマシにはなったとはいえ、まだアルコールは完全に抜けていないので、酔いのせいでそうなってしまう。自分ではどうしようもない。自業自得といえるものである。
しかし、ここから家に入るまでの距離なら問題なく歩ける程度の具合なので、俺は香花に向けてそう返したのだった。
「そっか。じゃあ、先に入っててくれるかな? お会計は私がしておくからさ」
「えーっと、それなら……これで払っといて……」
そう言いつつ、俺はまだ車内にいる香花に財布を渡そうとした。しかし、それを彼女は右手を広げて手の平を俺にへと向け、受け取りを拒否するのだった。
「そんな事しなくても、大丈夫だよ。さっきのお会計分だって私がお金をあの人に渡したじゃない。だからまーくんは気にせず、早く行って休んでてよ」
「……本当にごめん、ありがとう。それじゃあ……悪いけど、頼んだ」
「うん。玄関までは短いけれども、気を付けてね」
そう言いながら、香花は俺にへと向けて小さく手を振ってきた。まるで俺と別れるのを名残惜しむかの様に、切実な雰囲気をしてである。
けれども、別に彼女とここで完全に離れ離れになる訳でも無く、その別れは少しの間だけ。それなのに、何故かそんな感じを俺にへと向けてくるのである。
「わ、分かってるよ。大丈夫だから……」
そんな香花に俺は応えようと、自分も手を振ってみせた。恥ずかしいので、彼女と比べると控えめな感じではあるが。
そして彼女に背を向けて、俺は自宅の玄関にへと向けて歩き出し、一足先に家の中にへと入っていった。
「はぁ……」
玄関で長らく履いていた靴を脱ぎ捨てて、俺は重い溜め息を吐きながら自室にへと向かっていく。
「しかし……何だったんだ、結局……」
その道中、俺の頭の中で占めていたのは、香花が俺を迎えに来た理由についてである。
帰りのタクシーの中でも考えてはいたものの、これぞというものは浮かんではこなかった。
かといって、その理由を彼女本人に聞く訳にもいかない。口下手な俺の事だから、また何かしらの失言をするかもしれない。この間の記念日の様に、下手に突いて藪蛇に噛まれたくはないからな。
「今までこんな事も無かったし……一体、どうしたんだろうか……」
今まで飲み会はあったものの、彼女が今回の様に迎えに来たというのはこれが初めてである。どれだけ会が長引こうとも、帰ってくる事を催促する電話はあったものの、彼女は家で俺の帰りをずっと待っているだけだった。
だからこそ、今回のそうした行動の裏で彼女が何かを隠している様に思えてならない。もしくは、何かを極秘で進めているか……。
「……そういえば。今日は昨日までと違って、機嫌が良い様な……」
香花の機嫌を損ねて以来、昨日まで彼女はずっと不機嫌であった為、俺も相当に居心地が悪く、その鬱憤を晴らすべく今日は飲んでいた様なものである。
それが今日の場合、別に機嫌が良いという訳でも無いが、悪いという感じは見られない。概ね普通といったところだろうか。
ただ単に機嫌が元に戻ったというのなら、それはそれで歓迎するべき事であるが、きっと、多分、恐らくだけれどもそんな事はないと思われる。
香花の場合、時間の経過で落ち着くとかはありえない。彼女がそんな単純な存在であるのなら、俺はもっと楽をしているはずである。
「やっぱり……何かあるのか……?」
普段であればしない様な行動。自然と戻っていた彼女の機嫌。どう考えても不自然に見えてしまうし、疑わしいと判断するにはそれらで十分に過ぎる程の証拠になった。
「そうなると、彼女の動きには注意しないとな……何をされるか分かったものじゃない。それとも、全てを無視して寝てしまった方がいいのでは……」
眠りについてしまえば彼女と言葉を交わす事も無い。変に揚げ足を取られなくて済むのでは……と、そこまで考えた所で俺は頭を振る。それが悪手である事に気づいたからだ。
寝てしまえば確かに揚げ足は取られないかもしれないが、眠っている間は完全な無防備な状態になってしまう。
今の彼女を前にしてそんな事をすれば、自殺行為にも等しい行動になるだろう。捕食者を前にして、誰が無防備を晒すとでもいうのだろう。
「とりあえず……香花が眠りにつくまで、しっかりと警戒しておこう。前に約束しているから、拘束とかはしてこないだろうけど、何をされるか分かったものじゃないしな……」
そう結論を纏めた後、俺は自室で部屋着に着替え、それからダイニングにある食卓の自分の椅子にへと腰掛けた。
そして間もなくして、香花もダイニングにへと現れた。彼女も一旦は自室に戻ってはいたが、部屋着には着替えてはおらず、外着のままの姿であった。
「お待たせ、まーくん。それで……体調の方はどう?」
「ま、まぁ、それなり……って感じだな。さっきよりかは良くなってはいると思う。けど、まだ酔いも残ってるし……明日まで響きそうな感じかも」
「……私はあんまりお酒を飲まないから分からないけど、それって平気なの? 明日まで響くって事は、けっこう辛いんじゃないの?」
「い、いや、大丈夫だよ。水分を十分に補給して、しっかりと寝れば大丈夫……なはず。それに一応、俺って二日酔いとかした事が無いから、今回もきっと……」
「でも、本当に大丈夫……? 念の為にお薬を買ってあるけれども、飲んでおいた方がいいんじゃないかな?」
香花はそう言うと、俺の目の前にドリンクの瓶を差し出してきた。滅多に見ないのでよくは分からないけれども、多分、一般的に二日酔いとか飲み過ぎに効くと言われる医薬品だと思われる。
わざわざ俺の体調を気遣って彼女が用意してくれたのだ。普段であればこの彼女の気遣いに対して感謝をし、それを飲み干すというのがベストな選択なのだろう。
しかし、今の状況下でそれを飲むという事はどうにも気が乗らない。彼女が何かを企んでいるかもしれないという現状、その誘いに乗るというのは危険にしか思えなかった。
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