第42話



「飲み過ぎちゃって帰れそうにないからーって言うからさ。だからここまで来てあげたのに……」



 目の前で空気になりつつある神谷が目線だけで『本当なのか?』と語り掛けてきたが、俺はそれに対してハンドサインを使って違うと全力で訴え掛ける。



 香花はそう言っているけれども、先に言った通りで約束した覚えも無く、ここで飲み始めてからも彼女に電話やメールで連絡はしていないのだ。そんなはずはありえない。



(けど、さっきまでかなり酔ってたから……知らず知らずの内に、連絡してたのかも……いや、そんな記憶は絶対に無いんだけれど……)



 俺は怖くなって携帯電話を確認してみたが、直近の通話履歴には彼女の名前は無く、メールを送信した履歴も、そんな形跡は見つからない。つまりは連絡はしていないという事である。



(えっ……じゃあ、何で香花は俺が呼び出したとか言ってるんだ……?)



 分かってはいた事だけれども、彼女を自分が呼び出した分けじゃない事は判明した。しかし、状況はますます混迷を極めていく。何がどうして、こうした現状にへと成り立ってしまっているのだろうか。



 情報が増えれば増えるほど、頭の中がこんがらがって訳が分からなくなる。そうして脳の処理能力がオーバーヒート寸前となり掛けたその時、香花はそっと行動にへと出た。



 俺の傍にへと近寄り、彼女は両手で俺の右腕の肘辺りを掴むと、ぐいっと自分の方に向けて引っ張ったのだ。



「ほら、今日はもう帰ろうね。外でタクシーも待たせてるし、早く行こうよ」



「は、はぁ!? ちょ、ちょっと、待って。帰るってそんな、いきなり……」



「あっ、そうだ。お会計っていくらなのかな? うーん……これぐらいあれば足りるかな」



 そう言って彼女は俺の肘から一時的に手を放すと、自分の財布を開き、そこから紙幣を2枚取り出した。



「ごめんなさいね、えーっと……――ゃさん。お会計ですけど、これで清算しておいてくれますか?」



 そして取り出したそれを、香花は神谷の目の前にへと置いた。



「え、まぁ、いいですけど……って、えぇっ!?」



 置かれた紙幣を手に取ろうとした神谷だったが、それを目にした途端、驚きと焦りを含んだ様な叫びをあげた。



「い、いや、これ……会計に対して、ちょっと多過ぎだと思うんですが……」



 神谷はそう言いつつ、紙幣を手に取って香花にへと見せる。その手には諭吉さんが二人、合計して2万円が握られていたのだった。



「えっと、多分、こんなに渡さなくても足りると思うし……1枚あれば何とでも……」



「あっ、大丈夫です。それで払っておいてください」



 1万円だけでも返そうとする神谷だったが、香花のその言葉によってやんわりと受け取りを拒否されてしまう。その瞳の中には、困惑の色が濃く表れている。



 どうすればいいものかと神谷の視線は虚空をしばらく彷徨っていたものの、やがて諦めたのか持っていた紙幣を自分の懐の中にへとしまったのだった。



「じゃあ、よろしくお願いしますね。ほら、まーくん。さっさと行くよ」



「わ、分かった。分かったから、引っ張らないで……」



 俺は立ち上がり、自分の荷物を纏めた後、彼女の後ろに着いて店を出ようとする。しかし、数歩歩いたところで俺は立ち止まると振り返って神谷の方にへと視線を向ける。



 そして右手を軽く挙げ、神谷に向けて悪かったと片手で謝罪する。



「神谷、すまん……そういう事だから。悪いけど……後は頼んだ」



「お、おう……気をつけて、な」



 神谷もそれに応える様に右手を挙げ、俺を見送った。それを確認してから俺も香花に続いて居酒屋から出ていった。



 それから香花が乗ってきたのか、それとも彼女が呼んだのか分からないタクシーにへと乗り込み、自宅にへと俺達は帰るのであった。



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