第40話
そう、妹が香花の事を知る=他の俺以外の家族が香花の事を知るという事に他ならない。俺が恐れているのはその事なのだ。
香花と同居を始めてから半年ものの月日が経過しているが、俺は未だに彼女の事を家族には一切伝えてはいない。
話してしまっては色々と問題が発生するのではないかと思い、これまではどうにかして隠し通してきたのだ。
だからこそ、香花に関する情報は何一つ伝わってはいない。なので俺の家族側からすると、俺は独り身の生活を送っているという認知である。
それが突然、彼女っぽい人が出来た上に同居までしているともなれば、混乱する事は必須であると思われる。
というよりも、家族が混乱するとかはどうでもよくて、俺が気まずいというのが最たるものだ。付き合い始めた経緯とかを聞かれたりでもすれば、俺は何も話せなくなるだろう。
付き合うまでの期間も一切無く、出刃包丁を自分に向け、遺書をプレゼントするという最悪なコンボで脅されて付き合う事になった彼女の事をどう家族に対して説明すればいいというのだろうか。
間違いなくこれはハードすぎる試練だ。難易度が高過ぎるってレベルじゃない。まさに無理ゲーと言っていい。
「……えっ? そんな事?」
しかし、それに気付けない目の前の男はそんな事と簡単に言うのである。他人事だからといって、そんな風には言わないで欲しい。
「……考えてもみろ。二人を会せた時、俺は何て言って妹に彼女を紹介すればいいんだ……?」
「……あー、そう言う事か」
俺の言葉を受けて、神谷は納得がいった様にしてそう言った。
全く……自分がもし、同じ立場になったらどうするのか、しっかりと考えてから物を申して貰いたい。
……とは言っても、同じ様な状況になるという事はきっと、天文学的な確率で無ければ起きないだろう。
例えるならば、交通事故に遭うとか宝くじに当たるとか、それぐらいの確率だと思われる。
……そう考えると、そんな境遇に遭遇してしまった自分の不幸を呪いたくなるから、これ以上は考えるのは止めておこう。うん、そうしよう。
「けど、どうするんだ? 二人を会わせて誤解を解くのが駄目なら、他に何か良い案でもあるんか?」
「……それがまるで無いし、思いつきもしないからこうして困ってるんだよ……本当に、どうすればいいんだよ……」
どれだけ考えても良い案は思いはつかない。出口の無い迷宮に追い込まれたも同然の状況である。
あまりの困難な状況なせいか、俺は頭を抱える。この飲み会が終われば帰って香花と顔を合わせなければならないのに、このままでは無策で彼女と対峙しなくてはならなくなる。
そう思うと、俄然と自宅には帰りたいという気分にはならない。許容量としては今でもかなり限界に近いが、このままここで飲み続けていたくなる気分になる。
「それか……今日は帰らずに、神谷の家にでも泊まろうかな……」
そして思わずではあるが、家に帰りたくないという一心からそんな事を俺は口にしてしまった。
「えっ……いや、無理。それは無理だから」
しかし、その呟きは直ぐに却下される。抑揚の無いトーンで、神谷は俺に向けて無情にもそう言い放ったのだ。
「普通の友達だったら仕方ないと思って泊めるかもしれないけど、お前を泊めたら何が起こる分からないから駄目、絶対」
「……俺の事を助けると思って、どうか考え直したりとかは?」
「しません。無理です。俺はまだ、死にたくはないから……」
「この薄情者……」
「いやいや……さっきまで彼女さんに対する危険性を説いてたお前が、それを俺に言う?」
それを言われてしまうと、確かにそうなるよな……と納得してしまって俺は口を噤み、反論は出来なくなってしまう。
「頼むから、直接的にお前の彼女さんと関わる事だけは、避けさせてくれ……。愚痴なら幾らでも聞いてやるから」
これにより、神谷の家に避難するという時間稼ぎ的な手段も潰える結果となってしまった。
しかし、神谷が駄目ならもう俺には頼れる相手なんていなかった。一時的な回避策も使用出来ないとなると、家に帰るという既定路線からは絶対に外れられない。
こうなってしまうと残された手は無いので、おとなしく家にへと帰るかしかない。それかいっその事、酒をもっと浴びる程に飲んで、意識を手放してしまおうか。
「はぁ……本当に、面倒くさい……このままここで、眠ってしまいたい……五体満足な上で明日を無事に迎えたい……」
「いや、それは店の迷惑になるから止めとけって。というか、五体満足とか大袈裟……でも無いのか、あの彼女さんだと……」
自分の考えが甘い認識だった事に気づき、それを訂正しつつ、神谷は苦笑しながらそう言った。
そして俺はこの後の予定を真剣に考えていた……その時である。居酒屋の入り口である引き戸の開くガラガラという音が、俺達の席にまで響いてきた。
この居酒屋は造りが古く、店内は喧騒で賑やかい状況ではあるものの、その音は入り口から離れた俺達の席にまで届いた。
新規の客でも入ってきたのだろうか、その後を追う様にして、店員による威勢のいい掛け声がその客を出迎えていた。
俺はつい反射的に、何となくではあるが、その入ってきた客にへと目を向けてしまう。音がしたから反応してしまったぐらいの感覚であった。
知り合いとかであれば嫌だな……なんて事を思いつつ眺めていたのだが……
「……えっ?」
その入ってきた人物の顔がはっきりと分かると俺はぽかんと口を開き、唖然としてしまった。
同時に酔って朦朧としていた意識ははっきりと覚醒し、そして全身の血の気が一気に引くのを俺は感じ取った。
俺がそんな恐慌状態にへと陥っている最中、俺の目線の先、眺めていた相手が俺の事に気づき、こちらに向けて手を振ってから真っ直ぐ近寄ってくる。
その様子を見るからに、良く似た顔の人違いという線は完全に消滅する。勘違いとかでもありはしない。そもそも、俺が見間違えたりとはしない。
目の前にいる人物は紛れもなく他人ではなく、かといって知り合いの様な薄い繋がりでもなく、俺のとっては深い……いや、事情が複雑に絡んでいる相手である。
……というか、言わなくても分かるだろう。こんな人物、彼女以外に考えられるはずもない。
「えへへ♪ お待たせっ、まーくん♪」
そう、香花である。本当であれば自宅にて俺の帰りを待っているはずの彼女が何故か、そこに立っているのであった。
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