第21話

 



「ちょ、ちょっと、待ってくれ! 待って欲しい!」



「えっ?」



 先程から何かと、香花に無視されている。普通に話したところで、彼女は聞いてくれないだろう。



 俺は必死になって叫びを上げる。近所迷惑だとか、今はそんな事を考えている場合じゃなかった。



 あまりの事態を前にして、俺は余裕を持てなかった。いや、こんな場面に遭遇して、平気でいられる方がおかしい。



 とにかく、香花に話を聞いて貰いたかった。叫びを上げてでも、彼女を止めたかったのだ。



「何か、あったの?」



 慌てている俺とは対照的に、彼女の佇まいは落ち着いたものだった。



 俺が叫んでいても、慌てていても、彼女は優しく語りかけてきた。自分がいるから安心しろと、そう言っている様だった。



「何かあったの……じゃない。一体、何があってこうなったんだ……?」



「別にどうもしないよ。だから、まーくんは心配しなくても―――」



「教えてくれ……香花。俺に、何をしたんだ……? 俺は、何をしてしまったんだ……?」



 今度は俺が香花の言葉を遮って、俺は彼女に向けてそう問い掛けた。



 とにかく、分からない事が多すぎる。この今、置かれている状況についても。香花が何を考えているかも。俺が何に対して失敗したのかも。



 分からない事だらけで、頭が混乱するのだ。一度、情報の整理が俺には必要だった。



「頼むから……教えてくれ」



 手を縛られて動けない状況なので、顔だけを彼女に向け、そう懇願してみる。



 これでも無視され、何も反応が無ければ、俺の人生は終了する事が確定する。諦めたくは無いが、そうならざるを得ない。



 この部屋で俺は、香花にずっと世話され続けるのだ。それも、死ぬまでずっとだ。



 悪夢の様な未来である。そんな事になれば遠からぬ未来、俺の精神は壊れてしまうだろう。



(お願いだから……答えてくれ)



 俺は強くそう願った。まだ俺は、人生を諦めたくは無かった。



「……うん、分かったよ」



 そして、願いは叶った。香花は優しく微笑んでから、俺にそう言ってきてくれたのだ。



「何が聞きたいの? 何でも答えてあげるから、教えて?」



「それじゃあ……」



 香花からの問い掛けに対し、俺は心を一度落ち着かせる。彼女と向き合う上では、冷静でなければ答えに詰まってしまう。



 まずはそうした心持ちにする事が重要だった。そうして少しは落ち着きを俺は取り戻し、彼女に向けて疑問を投げ掛けていく。



「何で、俺は……唐突に意識を失ったんだ? さっきの料理に……何か入れてたのか?」



「うん、入れてたよ。まーくんが、ぐっすりと眠れる薬を……ね」



「あのハンバーグの中に、そんなものが……」



「ううん、違うよ。薬が入っていたのは……スープの中。あの中に溶かして、混ぜてあったんだよ」



 そうか、なるほど。それは分からなかった。ハンバーグばかりに気を取られていて、スープの方は丸っきり警戒はしていなかった。



 だから、香花は料理を食べなかったのか。一緒に食べてしまっては、自分も眠ってしまうから。



 今更ながら、俺は納得する。あの時も不思議には思っていたが、そうとは気づけなかった。気づけるはずもなかった。



 しかし、それを白状したという事は、これは香花による計画的な犯行だったという訳だ。



 昨日の夜の様な、突発的な行動では無い。最初からこうする事を考えた上で、彼女は行動していたのだった。



(でも、何で……?)



 俺を眠らせた方法については分かった。しかし、まだ分からない事はある。



 それは動機だ。彼女は何でそんな事をしたのか、その理由が分かっていない。



(それを聞いても、答えてくれるだろうか……?)



 香花は先程、何でも答えると言った。しかし、その確証はあるとは言えない。



 しかも、それは核心部分に触れる話でもある。そう易々と答えてくれるとは到底思えない。



 けど、俺には聞く以外の選択肢はあり得ない。聞かない訳にはいかないのだ。



「なぁ……香花。何で、こんな事を……?」



 俺はその質問を投げ掛けた。彼女の瞳を真っ直ぐ見据えた上で、そう言った。



 それを聞いた香花は、動揺するといった感情の変化を一切起こさない。それでも平然とし、俺からの疑問を聞いていた。



「まーくんには……分からないんだね」



「……俺には、こんな事をされる覚えは全く無い。だから、理由なんて分からないよ」



「……全部ね。全部、まーくんが悪いんだよ」



「香花……?」



 そう言った後、彼女の表情に変化が起こった。優しげな雰囲気は完全に消え去り、跡には何も残っていない。



 無だ。無機質で冷たい、仮面の様な表情がそこにはあった。



「私はね、まーくんの事が好きだよ」



「……」



「ううん、好きなんてものじゃないよ。大好き。この世で一番、まーくんの事を愛してるよ」



 はっきりとした口調で、彼女はそう告げてくる。



 それは俺も分かってはいる。ここまでの愛を、多くの感情を誰かから向けられたのは、香花が初めてだった。



 俺の人生の中で、彼女以上に俺の事を愛してきた人はいないと思う。



「だから、ね。私はまーくんに尽くしたいと思うし、私の全てを捧げたいと思ってるの」



 それも分かっている。この半年間、今まで一緒に暮らしてきたのだから、そんな様子はずっと見てきている。



「身体も心も、人生でも。私に関わる全ては、まーくんのものなんだから」



 けれども、それは重過ぎる。普通の人は、そこまではしない。そして彼女の全てを受け切れる程の器を、俺は持ち合わせていない。



「だから、私は……これまでずっと、まーくんに尽くしてきたんだよ」



 俺はそれを理解した上で、それなりに彼女と接してきた。彼女の想いを完全に、完璧に受け取った事は無かっただろう。



 ある程度は誤魔化して、自分に嘘を吐いて、それを重ねてきた結果が今までの半年間の暮らしであった。



「でも……ね。私はそうでも、まーくんはどうなの……?」



「俺……?」



「まーくんは私の事……どう思ってるの……?」



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