3章
第20話
「ん……」
あれからどれだけの時間が経っただろうか。闇に落ちていた意識は徐々に引き上げられ、俺は深い眠りから目を覚ます。
(俺は、どうしたのだろう……一体、何があったんだろうか……)
何があったのかは、未だに分からない。あの時、香花の料理を食べ、彼女と話し、それから急に眠気が……それ以降の記憶は、当然だが全く無かった。
(とにかく……まずは現状を把握しないと……)
まだ感覚ははっきりとしないが、ぼやけた視界で辺りを見回し、今の状況を探ろうとする。ここはどこで、今は何時なんだろうか。
しかし、視界を巡らせようにも、周りが暗くて分かり辛い。恐らくは、電気が着いていないからだと思われる。
それでも何とか目を凝らし、辺りを観察したところ、ここはどうやら俺の部屋だという事が分かった。
しかも何時の間に移動したのか、俺はベッドの上で眠っていた様である。背中から伝わってくる柔らかな感触が、それを物語っている。
(香花が……ここまで運んでくれたのだろうか……)
意識が落ちたのにも係わらず、ここまで移動出来たとは思えない。なら、それしか方法は無いだろう。
(とにかく……彼女に聞かないと。どうして、こうなったのかを……)
恐らくだが、俺がこうなったのも、香花が関与しているはずだ。そうで無ければ、最後にあんな事は言わないからだ。
『おやすみなさい……まーくん♪』
彼女がそう言った事を、俺は覚えている。そして微笑んでいた事も、忘れてはいない。
俺にはこんな事をされる覚えはない。どうして彼女は、こんな行動に出てしまったのか。
それを彼女の口から直接、聞かねばならない。俺はそう思い、起き上がろうと―――
(……えっ?)
そう試みたが、出来ずに失敗してしまう。それがどうしてなのかは、直ぐに分かった。
(何で、手を縛られて……)
今更になって気づいたが、俺の手は縄か紐かで縛られていた。
両腕を背中に回され、手首の部分できっちりと縛られているのだ。それだから動かせないし、起き上がれる訳も無かった。
どうにか外そうとしても、きつめに縛られているせいか、外れる見込みは無かった。
縄抜けしようにも、俺にはそんな特技は無いし、拘束具を切る為の道具も持ち合わせてはいない。用意している訳が無い。
これを解くには、誰かの手を借りない限り、無理であると思われた。
しかし、助けを求めようにも、それも難しい。何故なら、助けを呼ぶ相手といえば、これを実行した犯人しか近くにいないのだから。
(香花は……? 彼女は、どこに……)
俺はベッドの上で寝転んだ状態のまま、今の状況を作った元凶である香花の姿を探した。しかし、どこにも見当たらない。
この様な状況であれば、俺の近くにいて動きを観察していると踏んだのだが、彼女はいなかった。
(くそっ……どうすれば……)
起き上がれないし、彼女の姿も見えない。こうなっては、手詰まりであった。
しかし、まだ諦める訳にはいかない。どうにか起きれないものかと、俺は抗おうとする。
芋虫の様に体を動かし、体を何度も起こし、その反動で起きれないかを試し始める。これなら腕が使えなくても、起きれるかもしれない。
けれども、それは上手くはいかなかった。失敗してしまった。何度も動いている内に、体は横方向にへと移動しており―――
「……ぐっ!?」
最終的にはベッドから転げ落ちる事となった。床に背中から衝突し、呻き声が漏れ、室内に大きく音が鳴り響く。
(いっ、たぁ……)
ベッドから床までの高さはそれ程は無かった。だが、痛いものは痛かった。背中から伝わる痛みの波に、俺は顔を顰めた。
そうして苦痛に身悶えていると、隣の部屋からバタバタと慌てる様な物音が聞こえてきた。
何だろう……と、考える必要は無かった。それは見なくても分かっている。彼女なら、そうしてしまうだろう。
そう時間も経たない内に、彼女はこの部屋に現れるだろう。俺の事を、心配してやってくるのだ。
そして俺の考えは的中する。数秒もしない内に、俺の部屋の扉が勢い良く開かれた。
「どうしたの、まーくんっ!?」
そこから心配そうな顔をした香花が現れる。彼女は俺の部屋に入ってくると、俺の元にへと直ぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫っ!? 怪我してないっ!?」
仰向けに寝転がっていた俺を、香花は背中を支えて起こした。そしてどこが痛いのかを懸命に探している。
「そ、それよりも、香花……」
「うん、何? 何でも言って?」
「この、縛ってるの……解いて欲し―――」
「嫌」
彼女は短くそう言って、俺の願いを拒否する。俺が最後まで言い終わるのを待たずに、そう言い切ったのだった。
「駄目だよ。これを解いたら、まーくんはどこかへ行っちゃうでしょ?」
「は? そんな事、俺は―――」
「痛かったよね。今、戻してあげるからね」
まただ。彼女はまたも俺の言葉を最後まで聞いてはくれなかった。
俺の事を無視し、香花は俺をベッドの上にへと戻そうとする。
「よい、しょっ」
力が足りないからか、元の位置に戻すのにも香花は一苦労の様子だった。しかし、長い時間を掛けて俺はベッドの上にへと戻される。
その間、俺は抵抗らしい抵抗は出来なかった。それをしようにも、彼女は許してはくれないだろう。
「ごめんね、まーくん。また落ちると危ないから、大人しくしててね」
「いや、香花。俺は……」
「でも、安心してね。明日には柵を買ってきてあげるから、それまでの辛抱だよ」
「さ、柵、だって……?」
言われて真っ先に思いついたのは、ベビーベッドに付いている様な、転落防止用の高い柵。
あれを彼女は、このベッドに取り付けようと言うのだろうか。俺が落ちない様にする為にも。
両手を縛られた上でそんな事をされては、俺はベッドの上から移動が叶わなくなる。
もっと言えば、この部屋から―――いや、この家から出る事も出来なくなる。
という事は……彼女は俺を、ここに閉じ込めようとしているのだろうか。
その考えに辿り着き、俺は驚愕する。はっきりとした恐怖に、冷や汗が止まらなかった。
このままであれば、俺の人生は終了したも同然だ。香花がいなければ生きていけないのだから、違いは無かった。
(何故だ……何で、こんな事に……)
どうしてこうなったのか、俺には分からない。彼女の考えが、全く理解が出来ない。
俺は何を失敗したのだろうか。記念日を忘れていたから、こうなったのか。
分からない……何もかもが、俺にとって分からない状況だった。
この状況を理解出来る人間がいるとするなら、それを仕掛けた張本人である香花以外にはいないだろう。
「大丈夫だよ。不安な事は、何も無いからね」
まるで赤ちゃんをあやす様にそう言って、彼女は俺の頭を優しく撫でてくる。不安気な俺の表情を見て、落ち着かせようとしているのだろう。
こんな事をしているのにも係わらず、香花の表情は涼しげな顔だった。とても凶行に及んでいる者の顔では無かった。
まるで、自分は悪い事をしていない。これは正しい事なのだと言っている様である。俺にはそう見えてしまった。
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